2014年01月11日
●続和文解釈入門第333回
『三訂和文露訳入門』8-1-1項に下記補足願う。これは第318回の本文にも関係する。
(彼はモスクワにいる)Он в Москве.
(彼はモスクワに〔明日〕行く、〔明日〕モスクワにいる)Он будет в Москве (завтра).
(今行くよ)Я сейчас буду.
しかし、上記のように現在形だけが一見「行く」というニュアンスがないように思われる。ところが、下記のように必ずしもそうは言い切れない例にぶつかることがある。
(私は家にいる)Я дома.
(今すぐ行きます)Я сейчас.
上記の最初の文はという文は文脈によっては、「ただいま」、「故郷に戻った」というようにも訳せる。これは3-1-6-2項に挙げたように、状態の動詞が結果の存続の意味を出せることから「来た」という意味を示す事ができるからである。二つ目の文もбудуなどが省略されているとも理解されるが、素直に、現在の時制でも「行く」という意味になるという例ととらえることもできる。
出題)「彼女は夫の喪に服している」をロシア語にせよ。
Она в трауре ходит
по муже.
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惜しい。по мужуです。私の答えは、Она в трауре по мужу.
Она в трауре по своему мужу.
Она в трауре по памяти о своём муже.
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最初の文は正解ですが、二つ目のは聞いたことがありません。
Она сейчас носит траур по мужу.
よろしくお願いします。
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正解です。
Она находится в трауре по своему мужу.
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正解ですが、находитсяを取った方がよいと思います。
В трауре по ком (или по кому)のはずですが、
両者の違いは?
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おっしゃるようにザルービンの露和ではтраур по ком-либоと前置格の例を挙げているのは承知しています。ただ最新のアカデミー版(2011年版)では人のことを思う(想う)、嘆き悲しむという意味で、по + 与格、ないしは前置格を挙げてはいますが、前置格の方は廃用としています。一応このコーナーは会話用の和文露訳ということなので、19世紀で広く使われた表現(例えば、「器具を使う」という意味でупотреблятьなど)は採用しないとい言うことは何度か申し上げた通りです。19世紀や20世紀前半の露文和訳で使われる文章でも、現代の会話で古めかしいと思われるものは廃用として勧めないというのが私の立場です。この基準については最新のアカデミー露露辞典に準拠していますので、お考えが違う方もいらっしゃるのは当然ですから、無理強いをするつもりはありません。ザルービンのは露和辞典であり、現代ロシア語(いわゆるプーシュキン以降の)露文解釈が前提であると理解していますから、現代の会話のみを必ずしも強く意識しているとは思えません。
解説ありがとうございます。
私も会話ならпо+与格を使っています。
по +前置格が現代では廃用であることは知りませんでした。感謝します。