2013年08月29日
●続和文解釈入門第198回
отвечатьに完了体の用法があることは第190回で述べたが、フォーサイス先生のA grammer of aspectの中に、この件について興味深い説明があったのでお知らせする。
ответитьがотвечатьの完了体として現れるのは、18世紀から19世紀初めにかけてであり、それまではотвечатьは完了体・不完了体同形の動詞であり、ペアの完了体はなかった。そのため、(アオリスト的用法や順次的用法で)、カラムジーン、プーシュキン、レールモントフはотвечалのみを使い、トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、レフ・トルストイにしてもотвечалの使用の方がはるかに多い。現代作家では作家の好みの問題もあり、ゴーリキーやパウストーフスキーはответилを主に使い、レオーノフやファジェーエフではотвечалの使用が多いとある。
出題)その時代に合わない人に対して、「彼は生まれてくるのが少し遅かった」をロシア語にせよ。
(1)Ты родился с
небольшим опозданием.
(2) Ты должен был
родиться чуть
пораньше.
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両方ともお答えは、実際の出産の場面のような気がします。私の答えは、Он немного опоздал родиться.
Немного было поздно,
что он родился.
宜しく添削願います。
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поздно + 不定形というのはありますが、節は来ないでしょう。しかし、なぜ節を使おうとしたのかということは想像できます。было поздно родитьсяとすると生まれるのが遅かったとなり、節にしたのも生まれたのが遅かったとする工夫の一つかと思います。このように創造的な人は、ロシア語もいろいろ調べて工夫しようとするでしょうから、このままいけばロシア語の上達も早いでしょう。
Он родился немножко позже чем в своё время.
Век у него чуть позже своего времени.
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二番目は正解と言えるでしょう。
(お題)
(時代に合わない人に対して)彼は生まれてくるのが少し遅かった
(コーシカ訳)
1) Ему было чуть поздно родиться.
2) Если он родился бы в немного ранное время!
3) Немного еще, и он родился бы в свое время.
またぞろ思いついた順に3通りです。
1) がたぶん正解:
・「遅かった」に力点があり
・生まれてきたことそのものを話題にしてもいるため
不完了体の不定形です。
時代に合わない人 → 早すぎた/遅すぎた天才、というつながりでрано を見たところ
Рано тебе такие книги читать. おまえがこんな本を読むのは早すぎる
Ей ещё рано выходить замуж. あの娘は嫁に行くにはまだ早い
((不定形は必ず不完了体を用いる))
(研究社、1916頁、рано)
とあり、これらの例文でも行為そのものを話題にしているために不完了体が来ている
と考え、回答1)の参考としました。
2) は1) で通じなかった場合のことを考えてみました。
彼という一人の人が生まれ出ることを話題にしているためродиться は完了体です。
3) は2) を作っている最中に、
第96回の「もう一歩の所でブルガリア大公におなりになれたのに」
Немного ещё, и вы были бы болгарским князем.
を思い出して流用してみました。この場合も2) と同じ理由から完了体です。
さて、正解は
ありゃ、また全然違う…
さとうさんのお答えのопоздал は結果の現存でしょうか。
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アオリスト的用法と考えるのが自然だと思いますが、発話の直後なら結果の存続という解釈ができます。アオリスト的用法は動作が1度、特定の時点であったことを示すので、その分文脈にとらわれることが少ないように思います。それにどちらに解釈しても和文露訳ではどちらでもいいことですし。
研究社1916ページに不定形は不完了体と記載あるようですが、理由は説明していないようです。実用的な面から言えば、それでいいのですが、学習者はраноだけかと思ってしまうかもしれません。これは不必要からの派生で嫌気、不適切、不本意には不完了体を用いるからです。これについては今後出題することもあるでしょう。