2013年12月04日
●続和文解釈入門第295回
拙著『ロシア奇譚』でロシアの犯罪エリートであるヴォールвор в законеについて、その成り立ちを含めての小史(稗史)を書いた。ヴォールは1930年代初めに多分ウラジーミル中央監獄で監獄内の犯罪者の親分格のと当時の収容所トップ(フレンケリН. Френкель, 1883~1960)の合意のもとに、収容所の秩序維持、およびその見返りとして、親分たちの待遇改善のために誕生したものと思われる。強制収容所は公式には1934年から1960年まで存続したが、その前身は1930年にできており、1930年から34年の間にヴォール襲名の儀式も含めて、ヴォールが制度として確立したと私は考えている。
『サイコパス 秘められた能力』(ケヴィン・ダットン、小林由香里訳、NHK出版、2013)によると、アメリカにもロックという集団があり、1964年カリフォルニア州のサン・クエンティン州立刑務所内で白人至上主義者によって創設されたとあり、Blood in, blood out.(入会するためには組織の示す人を殺し、死んで初めて脱会できる)であり、「何事も何者も恐れるな」という主張をもち、アメリカの刑務所で最も恐れられている集団だとのことである。長生きはできず、40前に死ぬものがほとんどだというのは40年代のヴォールの生き様と重なる。
出題)「岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した」をロシア語にせよ。
В нескольких сотни метрах от берега дорожки соединились с хорошей дорогой.
よろしくお願いします。
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発想は悪くはないと思います。отとともにв + 前置格を使うと、場所と特定してまい、手前とか、その後かは分かりません。それとсотняにはв сотне шагов(百歩のところに)とかсотня рублей(100ルーブル)というようにстоと同じ意味もあり、数百という意味でも使えますが、стоの複数生格であるсотを使って、несколько сот долларов(数百ドル)と言いかたも覚えておきましょう。несколько сотенも可能ですが、これは主に若い人が使うようです。これはсотがсоты(複数のみ)ミツバチなどの蜂房の複数生格と間違えやすいからかもしれません。それと「~の手前」は歩いているときや、車などで移動している場合にはне доходяとか、не доезжаяが使えますが、このような状態の場合は、時の場合と同様 за ... до ..という構文が使えます。私の答えは、За несколько сот метров до берега тропинки соединились в одну прекрасную дорогу.
「川、通り、道が合流する」にはвливатьсяも使える。
Множественное число
тропинок влилось в
одну прекрасную
дорогу на этой стороне берега на
несколько сотен
метров.
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複数を直訳したわけでね。文法用語としてはいいのですが、このような出題には使えないと思います。それとお答えでは、こちらの側にあってとありますが、наは順序数詞と結び付き、メートルの場合はвですが、いずれにせよ場所が特定してしまい、手前という意味が出ません。
(2) Тропинки влились
в одну замечательную
дорогу на этой
стороне берега на
сотни метров.
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お気づきになったようですね。
В сотнях метрах от берега совпало несколько тропинок с прекрасной дорогой.
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сотняを複数にすると、口語でбольшое количествоとなり、数百というよりも、何百という感じです。вを使っているために、特定の場所という意味になり、手前という意味にはなりません。совпастьというのは一致する、重なるという意味ですから違います。
В нескольких сотнях метрах до берега дорожки сольются с прекрасным проспектом.
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お答えでは起点が不明確のため、これもвだと手前という意味が出ません。岸に至るまでのある起点から数百メートルという意味にも取れます。ただвを取って、100 метров до берегаという看板にあるような表現は見かけます。
(お題)
岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した
(コーシカ訳)
В сотнях метров до берега тропы соединились в прекрасную дорогу.
枝から幹へ。
単複を区別する言語なればこそ数を明示せずとも変化をすらりと表現できますね。
岸の数百メートル手前=岸まで数百メートルと考え、до 生格を使ってみます。
「合流した」は話し手が感動を伝えるべくアオリストの意味で完了体過去を使うと考えます
(本当なら誰が通っても同じ所で合流しますので不完了体現在が来そうです)
(でもそれだと事実を淡々と述べるだけ、と味気なくなりそうでもあります)。
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ゴさんと同じですね。вは使えないと思います。
Дорожки слились в замечательную дорогу в нескольких сотен метров от берега.
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вは使えないと思いますが、使えるとしたら前置格になりв нескольких сотнях метровのはずです。дорожкиと дорогаの組み合わせも一考の余地があります。