2013年05月03日
●続和文解釈入門 第82回
否定においてもアオリスト的用法が完了体過去形の基本であり、動作が過去の一点に行われるかどうかに関係するときには、неと共に完了体過去形を用いることになる。つまり過去の一点を示す語句があれば(ないしは暗示されれば)、基本的に不完了体過去形は使えないと考えてよい。使えるとすれば『和文露訳入門』2-2-1-2項で述べているように、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられている場合である。
(彼は昨日来なかった)Он не приехал вчера.
出題)「もし誰かから電話があったら、1時間後には、いるから」をロシア語にせよ。
Если кто-нибудь позвонит мне, скажи ему, что я буду там через час.
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正解です。出題は不完全文ですが、それを完全文に直しての回答ですね。私の答えは、Если кто мне позвонит, я буду через час.
このкто = кто-нибудьであり、主節にскажи, чтоが省略されている。出題は不完全文だが、面白いことに、ロシア語でも似たような表現をする。未来の時制でеслиの後における体の使い分けについては、『和文露訳入門』4-1-1-9項参照のこと。
Если откуда-то
будут звонки,
передавай, что я буду
у себя через час.
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かなり作った文だと思います。-тоだと名前は分からないか、言いたくないが、電話が来ると確信しているということになり、不自然です。передавайも、電話があれば、それは具体的1回行為ですから、これに不完了体命令形を使う理由が分かりません。着手の意味にもなるとは思えません。そのような場というか雰囲気がないからです。
Если от кого-то будет телефон, через час я буду.
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基本的にтелефонは電話通信、電話機、電話番号という意味で、電話の呼び出しという意味では使いませんが、俗語で、обрывать телефон комуと言えば(Мне с самого утра из-за вас телефон обрывают.「朝っぱらからお前のしつこい何回もの電話にはうんざりする」)、何度もしつこく電話がかかってうんざりするという意味ですし、Сато-сан, телефон!(佐藤さん、電話)と言われたこともありますから、まったく使えないとは思いませんが、звонокの方がよいでしょう。やはり-тоが問題です。
(お題)
もし誰かから電話があったら、1時間後には、いるから
(コーシカ訳)
Если меня позвонят, я нахожусь, во всяком случае, через час.
うむ、変な文。設問の文も不明な要素が多いんやし仕方ない。
「電話がある」のは未来のことで、1人以上が連絡を取ろうとする可能性があるため、
完了体未来を不定人称文にしております。
「(1時間後に)いる」のがどこか
(ここ帰ってくるのか、どこか別の場所へ到着しているのか)
(こちらから折り返すのか、ここかどこか別の場所で相手に会うのかも)
一切不明なため、あえて目的語をとらずにいます。
いずれにしても話し手の頭の中では確実なことでしょうから
不完了体現在の予定の用法が出てくると考えました。
さて、正解は
кто-нибудьを使うのですね。なぜか文を作りながら(кто-тоが使えるかと思っていましたが)
「複数では使えない」と思い込んでしまっておりました。
-нибудьは不定の意味もあるのですね(そや、英語やったらanyのイメージやもんな)。
未来はя будуで好いのですね:意向だからでしょうか。
もう一度『和文露訳入門』の未来の部分を読み返してみます。
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意向ということではなく、нахожусьというのは現在の時制ですから、1時間後にいるという意味では使えません。日本語の「いる」は非過去(現在と未来)で使えますが、нахожусьは現在の時制だけです。-нибудьには「不定の意味も」ではなく、「不定の意味だけが」あるのです。英語で言えば、anyに相当します。