2013年07月10日
●続和文解釈入門第148回
『新訂和文露訳入門』において、完了体の本質は時間軸の特定かつ不動の一点での(その動詞の語義にある)動作をイメージするとした。そうであれば不完了体は特定かつ不動の一点での動作をイメージしないということになるから、反復や総称時(一般的に~である)については御理解いただけよう。しかし、過程(いわゆる進行形)となると、まさに今のこの一瞬に動作が行われているわけだから、この定義と矛盾すると感じる人もいよう。しかし過程の今のこの一瞬と言うのは、特定ではあるが、不動ではない、動いている一点である。動いている動作(過程や進行中の動作)をビデオに撮れば、特定の時間の一瞬を一コマという形で切り取れるのは誰しもが知っていることであるが、その一コマは、その一瞬が固定化されたもの、つまり結果の存続(厳密に言うとアオリスト的用法)であり、それは一コマの隅に撮影時間が印字されることでも分かる。一方、過程(進行形)における一瞬というものは、刻々と動いている一瞬であるという違いがある。そのため過程には不完了体が用いられるのである。
ビデオや写真を撮ると、その一瞬が保存されるわけだが、写真は削除もできるし、印画したものはなくすという事もありうる。そういう意味で、アオリスト的用法と言うのが正しく、現在まで残っていれば結果の存続という面が出るという事なのである。
出題)「僕がチスチャコーフだったら、もうとっくに君と離婚してるね」をロシア語にせよ。
Если я был бы
Чистяковым, уже давно с тобой развелся бы.
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正解ですが、Если быとした方がよいと思います。私の答えは、На месте Чистякова я бы с тобой давно уже развёлся.
仮定法過去。
Если бы я был Чистяковым, я бы уже давно с тобой развёлся.
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正解です。
(お題)
僕がチスチャコーフだったらもうとっくに君と離婚してるね
(コーシカ訳)
На месте Чистякова я уже давно дал бы тебе развод.
далと完了体過去になるのは仮定法であることのほかに
過去の1点を意識していることや結果の現存
などの意識も働いているのではないかと考えます。
さて、正解は
体は○
с кемを取る動詞の形があるのですね。
дать кому разводだと「三下り半を突きつける」という風な
少し堅い言い方に聞こえるかな…
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дать кому разводは離婚を迫られて、承諾する(別れてやるよ)というニュアンスです。