2014年01月26日
●続和文解釈入門第347回
和文露訳もロシア語のテスト形式としてはよく出題されるが、出題する側にとって一番楽な出題方法は露文の中で適当と思える短文を和訳し、それを出題するというものである。もっと楽なのは、知り合いのロシア人に頼んでの和文露訳の分業をするのである。つまり和文を日本人でロシア語のできる人が訳し、それをロシア人にチェックしてもらうというやりかたである。その時に、その日本人、ないしはロシア人が日本語とロシア語両方にかなり深く精通していないと、日本語だけ、ロシア語だけを見て適否を判断しがちである。ただ両方に深く精通しているのなら、分業する必要はないから、そこに問題の根が生じる。
いずれにせよ、一般の和露の問題集同様、後ろにポツンと模範解答があるだけのものが多いようで、学習者に模範解答を丸暗記せよと言っているようで感心しない。自分の経験に照らしてみると、こういう模範解答だけでは学習者はフラストレーションがたまるだろうと思う。だいたい和文露訳に一つの回答しかないということはあまりないはずだし、文法的なミス、タイプミス(書き間違い)ついて指摘するのは、出題するぐらいのロシア語のレベルの人にとっては難しいことではない。しかし、そういうミスの類がないような回答が出てきたときに、その適否を判断し、語結合が適切かどうかも含めて、学習者が納得のゆく説明ができるかどうかということが大事であり、それが学習者のやる気や語学力を高めるのに役立つものだと思う。そのためにはこの種の和文露訳問題集には、できるだけ多くの考えられる回答のバリエーションを載せるのが理想だが、紙幅の関係から無理だろうから、メールでするのかブログでするのかは別にして、読者向けの無料の添削サービスが欠かせない。この添削は出題者にとっても見返りが非常に大きいことは自分の経験からも言える。そういうサービスがないと思われる現在、模範解答だけの和文露訳の問題集を前にすれば、学習者は自ら自分の回答の適否について調べなければならなくなる。そういう意味では、インターネットの発達した時代とはいえ、やはり手近のロシア人に聞くのが一番近道なのかもしれない。そうなると、その時に、そのロシア人が日本語に精通していないと、ロシア語だけを見て正否(適否ではなく)を判断しがちであるというような問題が起こる。どういうことか説明しよう。
例えば、「被疑者はここに来ている」という文を、和文の末尾が現在形だから被疑者が今現在そこにいると解釈した場合、Подозреваемый здесь.と訳しても、日本語をあまり知らないロシア人ならOKというだろう。しかし、これは主語が被疑者だから、被疑者がその辺にうろうろしているのかという素朴な疑問もあり、文脈によっては正解の可能性が低い。この他の露訳として考えられるのは、次の通りである。
Подозреваемый приехал сюда.(〔1回だけ〕被疑者はここに来たことがある) <これはアオリスト的用法での解釈だが、無論文脈によっては結果の存続(意味的にはПодозреваемый здесь.と同じ)ということで「被疑者は〔今〕ここに来ている」という解釈も可能である>
Подозреваемый приезжал сюда.(〔何度も〕被疑者はここに来たことがある) <経験の用法である。ただこの露文は= Подозреваемый приехал сюда и уехал.(被疑者はここに来ていた〔が、今はいない〕とも解される)
和文露訳の場合もニュアンスも含めて正しく、日本語をロシア語に表現できるかということであり、日本語やロシア語の文単独で正しいかどうかではないということを、訳す人がどれだけ肝に銘じているかということのほうが大事である。
出題)「どうしたの?どうして学校に行かなかったんだい?」をロシア語にせよ。
Что с тобой случилось ?
Почему ты не пошел
(идешь) в школу ?
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動詞の体を二つお書きですが、не пошёлは正解です。не идёшьというのは、予定の用法の否定か、反復(一方向)の否定となり違います。私の答えは、Что случилось? Почему ты не пошёл в школу.
当然行くはずという期待に反しているので、完了体過去形の否定形を用いる。『三訂和文露訳入門』2-1-2-2項、2-2-2項参照。
Что с тобой? Почему ты не пошёл в школу?
今日なのか、昔なのか、どちらでも行けると思いました。
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正解です。ただ昔ではありません。これはЧто с тобой (случилось)?と、ご回答の文にслучилосьという完了体過去形が省略されている、つまり結果の存続の用法なので、たった今の話ということが分かります。не пошёлの文単独では、無論おっしゃる通りです。しかし、基本的にはどんな文でも文脈は存在するのです。