2013年08月05日
●続和文解釈入門第174回
時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動態動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動態動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来だけを示し、現在はテイル形を用いて示す。
一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動態動詞、状態動詞に分かれる。動態動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは歴史的現在か、アスペクト的用法で訳すことになる。3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。
достигать(達する)、замечать(気づく)、касаться(触れる)、клевать(餌にかかる)、лишать(奪う)、мигать(またたく)、радоваться(喜ぶ)、разыгрывать(イタズラをしかける)、спрашивать(尋ねる)などはロシア語では遂行動詞だが、和訳すれば形式上はテイル形である。つまり日本語のテイル形にも遂行動詞としての用法があるとするか、結果の存続の用法を援用しているということになる。和文露訳する際に、日本語のテイル形でもロシア語では遂行動詞になりうるということを理解しておいてほしい。
〔お前にも分かるように尋ねているんだ(尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ)〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.
しかし、テイル形でも「間違っている」などは結果存続兼評価型動詞である。露訳する際に、テイル形は状態の動詞、遂行動詞、結果存続兼評価型動詞に分ける必要があり、不完了体を使う場合が多いが、被動形動詞過去短語尾(アオリスト的用法および結果の存続)となる場合もあるので要注意である。『新訂和文露訳入門』の遂行動詞、状態の動詞、結果存続兼評価型動詞の種類をチェックし、どのような動詞がそれに当てはまるのか研究するのが肝要である。
出題)「一度見た顔は死ぬまで忘れない」をロシア語にせよ。
(1) До смерти не забуду
лица, которые раз
увидел.
(2) Знакомое лицо до
смерти не забывается.
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(1)は直訳したわけですね。完了体過去形には相対時制と言って、未来の時制でも先に終了した動作を示す用法(確言、確述)がありますが、出題は、「一度顔をを見たとしたら、見たとしても」ということで、条件法ですから、完了体未来形の例示的用法を使う必要があります。例示的用法というのは、完了体未来形の専売特許ですし、過去の時制でも完了体未来形のままで使われることは『新訂和文露訳入門』でも述べてあります。
(2)は「知っている顔は死ぬまで忘れないものである」という総称時および否定の用法であり、意味的にも出題とは違います。
私の答えは、Кого раз увижу - до смерти не забуду.
最初の完了体未来形は例示的用法で、二つ目のは否定の強調。
Раз увижу любое лицо и уже никогда не забуду.
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正解です。любоеは訳しすぎです。それとлицоを使うと、いかにも外人訳という感じなので、その点を工夫すべきです。
(お題)
一度見た顔は死ぬまで忘れない
(コーシカ訳)
Я увижу лицо раз и не забуду лицо, пока не умер(ла).
完了体未来による条件法が使えると思います。
「顔を見る」は顔が視界に入る、という捉え方をするだろうと考え
увидетьを使っております。
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正解だとは思いますが、лицоが2回出てきてくどいのと、пока не умруとしたほうがましかと思います。生死を扱う動詞で、これを確言の用法とは言え、1人称で「私が死んだ」とするのは、抵抗があるように思います。それとこれは条件法は条件法なのですが、用法的にはロシア語文法では例示的用法と言っています。これは私が作った用語ではないので悪しからず。ただ強制するものではありません。ただ条件法はより広い概念を示す言葉だということも言えます。
Лицо, которое увидел (хотя) один раз, не забуду до смерти.
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ブーチャンさんと同じです。『新訂和文露訳入門』の例示的用法を精読されることを勧めます。これだと、相対時制で、具体的な(特定の)顔を1回未来の時制で見るということになり、例示的な意味はないことになります。しいて訳せば、「1度見るその顔を死ぬまで忘れない」ということになります。