2007年04月15日

●帯研(第75回)

1993年にあるアネクドート好きのロシア人女性(28歳)が小話の出版社に書いた手紙の一部を紹介しよう。Пусть сколько угодно говорят о приличиях и чистоте родного языка, но анекдоты «не для печати» - целый пласт нашей культуры и закрывать на это глаза даже смешно.(ロシア語の上品さとか、純粋さについては好きなだけ言ったらいいと思うけど、活字にならないようなアネクドートはわが国の文化の一つの大きな層をなしているのであり、それに目をつむると言うのはお笑い種だわ)。ポルノ小話を帯研で紹介するのはどうかと思われる向きもあるかも知れない。ただポルノかどうかは意味が分かってからの話であり、オチや隠語の意味が分かった上で、ポルノは訳さないのだというのは分かるとは言うものの、通常プロは訳せと言われたら意味が分かる限り仕事なら訳すべきで、仕事の選り好みをするようではプロではない。それはアマである。帯研は男女平等で18歳未満お断りということもない。もっとも、時にはバンドルネームを変えて参加するのは各自の自由だ。今回の課題は露骨とは言えないものを紹介する。この程度でどのこうのいうのであれば、実際にロシア人の男同士(女同士はどうなのか知らないが)で酔いが進んでからの小話を聞いたらどうjなるのだろう?
Соревнования по стрельбе. Первым стреляет немец. Он попросил посадить муху на забор и с десяти метров попал в неё. Англичанин сбил на лету шмеля. Выходит русский, выпустил комара из коробочки. Раздался выстрел. «З-з-з-з», - продолжает гудеть комар, правда, на полтона выше.
- Так ведь он же летает! – бросились к стрелку судьи.
- Летает и будет летать. А вот любить – никогда!
設問1)和訳せよ。

Posted by SATOH at 2007年04月15日 13:14
コメント

シモネタアネクドートに対する見方については、帯研に入れていただいてから少し考えが変わりました。毎回数行のアネクドートの課題に対し、ネットからネットへと探し回るうちに、子供向け、大人向け、政治や経済、コンピュータ関係、映画やテレビから、歴史上のヒーローに関するもの、民族的なものなど、各ジャンルで数十から数百のアネクドートを集めているようなサイトがたくさんあることがわかりました。そして必ずシモネタはその中でとても大きなウェートを占めています。考えてみれば、誰でもどこでも男女をとわず(さとうさんが書かれているように程度の差はあれ)、楽しめるものだからでしょう。政治問題や民族問題など微妙なものはやはり、これはここで話してもいいかどうかと二の足を踏んだりしますから。そういえば、ロシア語の達人の徳永氏や米原万里氏もシモネタを好んで使っている(た/合掌)のですから、それなりの理由があるのでしょうね。達人ほどシモネタアネクドートの使用率が高い!これ、一面の真理だと思いませんか?

和訳です。

射撃競争です。最初にドイツ人が撃ちました。彼はハエを塀においてもらい、10メートル離れたところから命中させました。イギリス人は飛んでいるマルハナバチを撃ち落しました。ロシア人が出てきて小箱から蚊を放しました。射撃音が響きました。「ぶぅ~ん」。たしかに半音高くなって音が続いています。
「なんだ、飛んでるじゃないか!」 審判たちがロシア人のところにかけよりました。
「飛んでるさ。これからだって飛ぶさ。けど永久に交尾できなくなったのさ」

まずは文法から。посадить муху на забор はこの訳でいいのでしょうか。これだと死んだハエになりそうです。もうひとつひっかかったのが, правда,でした。このアネクドート、撃ち落せなかったロシア人の負け惜しみともとれそうですが、この, правда,があるのでやはりミクロレベルでの命中と考えて、笑うべきですね。このправда、「こころなしか」と訳したいところです… 
こんな射撃手がいたら、ボーフラの発生率も低くなったりして。
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посадить муху на заборはお考え通りだと思います。作者は深くは考えていないと思います、確かに生きたハエなら置いた瞬間飛び立つでしょうが、その瞬間命中させたということだと思います。これは負け惜しみではなく(一応小話なので)、オチの理解は正しいと思います。ただこれは小話ですから、「交尾」という訳をつけると訳は正しくとも雰囲気が出なくなると思います。またправдаは、この場合、хотяという意味です。私の訳は、
射撃大会。最初に撃ったのはドイツ人でした。ハエを塀の上におくように頼んで、10メートルから命中させました。イギリス人は飛んでいるマルハナバチを撃ち落しました。ロシア人の登場です。蚊を小さな箱から出しました。発射音が轟きました。蚊はブンブンとうなり続けています。ただ半音高めの音ですが。
「まだ飛び回っているじゃないか」と審判たちがロシア人に文句を言いました。
「今も飛び回ってるし、これからも飛び回るだろうけど、愛し合うのは無理だね」
解説)半音高めというのがミソ。комарは男性名詞であり、大事なところが撃たれておかまになってしまったということ。

Posted by メイ at 2007年04月19日 22:43

бросилисьは「文句を言う」なのですね。правдаがхотяという意味もわかりませんでした。「実際」と言う意味にとってしまいました。やはり細かいところはまだまだです。
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厳密に言えば、броситься на когоで「相手に飛び掛って襲う、攻撃する」という意味で、これを比ゆ的に用いたものだと思います。たんに文句を言うというよりは、かなり強い意味で、「つめよる」くらいの感じ(鷲が獲物に襲い掛かる感じを想像してみてください)だと思います。

Posted by メイ at 2007年04月21日 23:27
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