2011年10月31日
●和文解釈入門 第164回
私はこのコーナーの設問をほぼ正しく回答できる自信がある。自分が作ったものだから当たり前だが、第150回の表を見ることもない。たまに体の用法で疑問が湧けばその関係の参考書をみることがあるぐらいだ。40年ロシア人と付き合い、ロシア語をやっているから、設問に似た表現は目にしたり、耳にしたりしているので似たようなロシア語ないしは構文がイメージとしてすぐ浮かぶのである。確認のため自分作った語彙集や参考書を見ることはある。だけどここに至るまでに40年かかっているから当然と言えば当然の話である。ロシア語の体の用法をマスターするためにこのような長い年月が学習者に必要だろうか?10年だって多いだろう。私はモスクワに10年、カザフのアルマトゥイに2年駐在し、駐在していない時も年の1/3はソ連やロシアに出張していた。このようにロシア人と仕事で長く頻繁に接することのできる人は稀だろうし、仕事以外でロシア人と定期的に会話やメールをできる環境にある人も多くはあるまい。だからこの表が学習者にとって体の用法をマスターするきっかけになればと願っている。常に体の用法を意識していれば、いつか分かったという瞬間が来る。悟りを開いたようなものだ。初めはその悟りは偽りのもので、後で使うときに迷うというかうまく自分の中で説明がつかないことが多い。このコーナーの設問で試してみれば本当に分かったかどうかがすぐ分かる。集中する期間にもよるが1~2年で体の用法の実践的な面での悟りは開けるものだと思う。悟りが本物かどうかは、つまり体の奥義を会得したかどうかはロシア語の本、それも会話の多い現代小説(隠語や俗語の少ないものがよい)、ドキュメンタリー、エッセーなどアトランダムに1~2ページほど精読してみて、全ての動詞の体の用法の説明が自分なりにつき、日本語の新聞や小説も同様に1~2ページを読んで、その動詞をロシア語にするとき具体的な動詞は浮かばなくとも、どちらの体を使うか、どの時制や法(命令法や不定法など)で訳すべきかがわかったと思う時点である。そうなれば免許皆伝ということになる。仮にぬか喜びであっても、誰に迷惑をかけるわけでもないし、よい趣味というか生きがいにはなるはずだ。ロシア語でも日本語でも小説や会話、映画などの別の楽しみ方ができること請け合いである。
いきなり免許皆伝というのはどうもと考えるのが普通だろうから、体の用法では日本語の感覚と随分違うなという用法、例えば結果の現存、アオリスト、アオリスト的用法、例示的用法、歴史的現在などが分かったと思ったら黒帯とする。だから、完了には完了体を使うとか、繰り返しや真理、過程に不完了体を使うというようなすぐに体の用法として理解できるものは黒帯の対象にはならないことになる。この黒帯かどうかを認定するのは私ではない。学習者自身ということになる。自分のロシア語の実力を一番よく知り、己に対して一番厳しいのは自分自身だからだ。黒帯だとか奥義を究めるだとか硬く考えなくともゲーム感覚で各用法をクリアしていくと考えるのが現代的かもしれない。
設問)「犬は飼い主に甘えている」をロシア語にせよ。
(1) Собака ластится
около хозяина.
(2) Собака балуется
хозяином.
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(1)は惜しい。ластится к хозяинуとすれば正解です。(2)は「犬は主人によって甘やかせる」としか訳せないのでこれは違うと思います。私の訳は、Собака ласкается к хозяину.
(1) Собака ласкается
к хозяину.
(2) Собака прижимается
к хозяину, виляя
своим хвостом.
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(1)は正解です。(2)は「犬はしっぽを振り振り、主人に寄り添った」ですから正解といえば正解、訳しすぎと言えば訳しすぎのような気もします。
体の用法が自由自在に使いこなせればそれはほんとに悟りの境地なのでしょうが,煩悩が多すぎて遠い遠い道です。
Собака ласкается(ластится) к хозяину.
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正解です。ラクラクといった感じですね。たまには不完了体現在形のいわゆる正統派和文露訳を出題したのですが、ひっかかりませんね。
Собака приручается хозяйну.
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приручиться = стать ручным, послушным воле человекаで、「人に馴れる」ということで、野生の動物でも母親に甘えることはあるでしょうから違うと思います。