2011年10月29日

●和文解釈入門 第162回

前の回で体の用法の中ではアオリストが難しいと書いた。同じアオリストでも過去の時制で動詞が二つ以上次々と出てくる順次的用法は分かりやすいし、その逆に厳密に言えば不完了体過去形の事実の名指しであるアオリスト的用法の中には分かりにくいものもある。この日本人には分かりにくいという体の用法の用例を見つけたので紹介する。ラスードヴァ先生が著書「ロシア語動詞 体の用法」の中でロシア語を学習する多くの外国人にとっての躓きの石として А. А. Спагисの論文「非ロシア人を含むクラスにおける動詞の体の実際的学習について」において、外国人学生が犯す次のような体の用法の誤りを引用している。共に完了体過去形が正しいとしている。
× Товарищ добивался больших успехов.(友人は大成功をおさめた)
× А. С. Пушкин правдиво изображал образ Пугачёва.(プーシュキンはプガチョーフのイメージを真に迫って描いた)
 不完了体を用いた外国人学生は、「ここでは持続的で、時間的に引き延ばされた動作が問題になっているからだ」と答えたという。ロシア人は母国語としてロシア語を習得しているので、例えば日本人がこれらの二つの文で不完了体の動詞を使ったとしても、なぜだめなのかロシア人は説明できないだろう。こうは言わないの一点張りかもしれない、そこで自分なりに解釈すると、最初の文では、достигатьと違い、добиватьсяは過程の意味でも使えるが、そういう文脈(過程を示す副詞、後に動詞の不定形を取るとか、意味として「困難を排してだれかと話をしようとする」という場合)が必要である。Рабочие бастовали уже третью неделю. Они добивались повышения зарплаты.(労働者たちはもうストをして3週間目だ。かれらは賃上げを目指していた)などである。露露辞典を見ると完了体しか来ない例として、добиться признания(苦労して人に知られるようになる), добиться известности(苦労して知られるようになる)を挙げ、不完了体も来る例としてдобиваться успехов в работе (спорте)〔仕事(スポーツ)で努力して成功する〕を挙げているが、不完了体のは反復・習慣の用法だろう。上記の例文のように過去の具体的な行為(友人が大成功した)という文脈では、反復や習慣はありえないから、結果の現存とかアオリストと理解するのが普通で、いずれにせよ完了体過去形が来る。2番目の文は「作品を書いた」と同じ発想で、その作品が残っている、つまり結果の現存と考えて完了体過去形を取る。こういう体の用法は日本人が自然に分かるものではない。理屈をきちんと学ぶ必要があり、そうでないとこのような文ではどちらの体を使わねばならないのか永久に分からないことになる。
設問)「また食べる前に手を洗っていないわね」をロシア語にせよ。これもお母さんが子供に対して小言を言っているという文脈でとらえてほしい。

Posted by SATOH at 2011年10月29日 05:27
コメント

(1) Разве ты помыл свои
руки перед едой ?

(2) Я тебе сказала, что
надо руки помыть
перед едой.

(3) Ты скажи, что тебе
надо сделать пепед
едой.
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否定文を使わなかったためにかなり無理があります。(1)は「食事の前にまさか手を洗ったのか」ですから違います。(2)は「食事の前に手を洗わなくてはならないと言った」ですから違うでしょう。говорилаなら正解の可能性はあります。(3)は「食事の前に何をしたらいいか言いなさい」ですからイントネーションによっては正解の可能性がありますが、まあ違うでしょう。いずれの答えも「また」が訳されていません。私の答えは、Опять руки не помыл перед едой.
過去時制の動作を否定するときには完了体過去形と不完了体過去形を否定する二つの方法が考えられる。不完了体過去形を用いれば、動作の名指し(結果の有無の「ない」という事の確認のみ)である。私の不完了体ライン説では、不完了体は語義というだけのラインがあるだけで、ニュアンスというものがない。ところが設問の私の答えのように完了体過去形が用いられているのは、設問の「また」という言葉から以前に洗えと注意したか、洗っていなかったという前例があり、それゆえ手を洗って当然という期待があり、それが裏切られたというニュアンスがあるからである。このように動作の否定にニュアンスがあると話者が感じれば完了体過去形で動作を否定することになる。仮に食事の前に手を洗う習慣がないとか、話者が手を洗う事に何の意味も感じないような人なら、つまり、単に「手を洗っていない」ということを指摘するだけなら、不完了体過去形の否定を使うということになる。第150回の表(すでにかなり例文を加え、改訂作業中で、多分第200回でそれをご紹介ということになるだろう)の「過去における否定」の項を参照。これも分かりにくいアオリスト的用法の一つである。

Posted by カジューシャ at 2011年10月29日 07:31

(1) Как тебе не стыдно!
Ты опять забыл руки
помыть перед едой.

(2) Не забывай, что тебе надо помыть
руки перед едой.
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(1)は表現が強いですが正解です。(2)はне забывайというのは「絶対に忘れるな」という意味なので、не забудьと完了体を使ったほうが、「うっかり忘れないで」と設問の日本語に近くなります。

Posted by カジューシャ at 2011年10月29日 09:12

Опять ты не руки помыл перед едой!
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ほぼ正解です。неがрукиの前という不思議な文章です。まあ勘違いでしょう。ただ設問の趣旨はよく理解されているようです。こういう過去形の否定というのは上級者でも難しいものです。理論面ではメイさんは体の用法は黒帯ですから、後は語彙を増やすことと、多くのロシア文(会話文の多いもの)を読んで、用法に惑わされないようにすることです。またこのような凡ミスをなくすということも大切です。集中して1カ月もやればかなり自信がつくはずです。今は頭の中にいろいろな用法がごちゃごちゃに詰め込まれている状態ですから、何か引き出しのようなものに整理して、即座に出す訓練をすべきです。例えば次回の本文で紹介するようなものや、対話形式のものがよいでしょう。

Posted by メイ at 2011年10月29日 20:22

Опять ты не помылась руки перед едой.
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惜しい。помытьсяとсяのついた自動詞では対格補語は取れません。それにмытьсяは自分の体を洗うですから、手を洗うはпомыть рукиとすればよかったのです。こういう凡ミスはともかく出題の意図である過去の否定は理解されているようで、これは上級者でも間違う人がいますから、大したものです。ロンロンさんの投稿は最近なので、体の用法全体で黒帯かどうかは判断できませんが、これはアオリストとともに一番分かりにくい用法の一つですから、体の用法というロシア語でも一番理解しにくいところ、その本質を分かっているようですから後のロシア語の勉強は他の人に比べて楽なものです。語彙を増やすとか、ロシア人の話す発音に慣れるとかそれくらいでしょう。念のため第150回の表を見て自分の弱点を探してみてください。なければ体の用法は黒帯です。

Posted by ロンロン at 2011年10月29日 20:33

ご指摘ありがとうございました。このところ気になっていたことをぐさりと言われてしまいました。毎回必死で答を出してはいるものの,毎回どこかちょっと違っていたりするので,気をつけなければと反省していたところでした。また,ボキャブラリー不足も深刻な問題ですが,これは一朝一夕には不可能ですね。エラいことです。今後とも引き続きご指導をよろしくお願いいたします。

Posted by メイ at 2011年10月30日 22:33
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