2011年10月25日
●和文解釈入門 第158回
動作を否定するときには一般には不完了体が用いられる。これを「不完了体ライン説(路線・線路説とは言いにくいので再度改めて)」で考えてみると、不完了体はその動詞の語義だけが際立つ一つのラインだと考えると、その動詞の動作を否定するということは、その動作の持つさまざまなニュアンスというような枝葉ではなく、その動詞の本質的な語義の否定することになるわけだから不完了体を使うのだと考えるわけである。完了体というのはどこでも行ける車道や歩道、田舎道のようなもので、動作そのもののほかに可能性などいろいろなニュアンスがついて回る。ところがこういうニュアンスのつかないライン(その動詞の持つ本質的語義)だけというような単なる動作の否定となれば、不完了体を取らざるを得なくなるわけである。だから完了体の動詞を否定すれば不可能という意味が出てくることになる。
無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は、綴りの構造の単純さからみて言葉の起源では一番古いと言えるだろうし、不完了体だけのような気がする。原始人も古代の人も新しいことをするというのは、前例のないことだけに危険を意味するから、相手に対して「~しろ」という命令形は、実用的な必要性や、この状況下ではこうするのが当然だからこうせよということから始まったのではないだろうか。古代においては会話をする範囲はきわめて狭く、みな知り合いだから、することについては暗黙の内に了解していて、必要なのは始めよという合図だけだったのではないだろうか。そうなると不完了体命令法の着手の用法も、用法的には最も古いような気がする。だから初めは不完了体しかなく(また体の意識もなかったであろう)、その後、これにいろいろなニュアンスをつけるために完了体というような概念に発展したのではないかと推測する。
ハム(アマチュア無線愛好家)のことをкоротковолновикというが、ロシアのハムは短波しか扱えないのではなく、もともと世界中でハムが認められたときに当時ほとんど使われていなかった短波をハムに割り当てたため、ロシアでもこの名称が残った次第である。
勝者と敗者というのもロシア語では発想が違う。победители(負かした者)とпобеждённые(負かされた者)という。釣りの餌はнаживка, нажива, насадкаが使える。наживкаは稀に獣を取る時のえさに使われる。なおживецは生き餌のことである。棚はполкаで、一枚の板が普通である。これがэтажеркаとなると、陳列棚のように中に棚がいくつかついているラックである。開放型の戸棚はстеллажといい、戸棚はшкафである。
設問)「趣味と実益を兼ねるのは素晴らしい」をロシア語にせよ。
(1) Совместимость
развлечения и
практической выгоды
-это великолепное
дело.
(2) Замечательно, что
хобби приносит себе
практическую
полезность.
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(2)のполезностьを пользуに換えるともっとよくなります。両方とも意味は通じます。私の答えは、Прекрасно соединять приятное с полезным.
この他にсовмещать приятное с полезнымとしてもよい。これは故事成句крылатые словаの一つで前1世紀のローマの抒情詩人ホラチウスからの出典とされる。ロシア語にもギリシャ語やラテン語由来の句が入って来ているわけで、ある程度は勉強しておく必要がある。この種の辞典で有名なのはАшукины夫妻のものである。
Здорово было бы,
если я мог бы извлекать практическую пользу из своего хобби.
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こちらの方が前のよりよいと思います。
Прекрасно совмещать приятности с полезностями.
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正解です。ただロシア語では故事成句から来た決まった言い方があるので、そちらも覚えたほうがよいと思います。ただнеприятности(不和、семейные неприятности家庭不和)は複数になるのはよく知られていますが、приятность/полезностьが複数になる例は私は知りません。