2012年07月20日
●和文解釈入門 第427回
(167) 「ながさき稲佐ロシア村」、松竹秀雄、長崎文献社、2009年
日本でロシアと最も縁の深い所は、私の生まれ育った函館ばかりと思っていたが、ピークリの小説で稲佐にロシア人が多くいたことを知り、なんとか詳しく知りたいものだと考えていた。本書は1860~1904年まで長崎県稲佐に存在したロシア村Русское поселениеを軸に、レザーノフの来航から日露戦争まで扱ったものであり、写真や図が非常に豊富である。幕末・明治のロシア語通訳志賀浦太郎(1842~1916)が長崎の庄屋の出ということは知っていたが、本書で詳しく教えられた。
(168) 「ロシアの長崎、稲佐での最後の停泊Русский Нагасаки или Последний причал в Инасе」, Амир Хисамутдинов, Издательство Дальневосточного университета, 2009
英文も含む豊富な文献を駆使して、ロシア側から見た稲佐について紹介している。1859年長崎の出島における火事で300人のロシア人水兵が鎮火に当たり、これにより日露友好が確実なものとなったというのは知らなかった。ロシア人は北国の日本人と同様、一見とっつきにくいが気持ちに裏表がなく、心の温かい人が多いという事と、タタールのくびき以来アジア人との付き合いが長いので、他の欧米人とは違うという事があるということかもしれない。長崎で亡くなったロシア人すべてを網羅しているようで、著作は非常に丁寧な作りだが製本が悪く、ほとんどのページがばらばらと取れてくる。
(169) 「函館の幕末・維新」、中央公論社、1988年
フランス士官ブリュネは徳川幕府のフランス軍事顧問団の副団長として1867年来日。1869年旧幕府軍と行を共にするために脱走し、箱館の五稜郭での戦いまで軍事指導をした。ブリュネは100枚のスケッチを残し、本書でその内容が分かる。
(170) 「幕末遣外使節物語」、尾佐竹猛、講談社学術文庫、1989年
1929年の著書。新見豊前守、竹内下野守、池田筑後守、徳川民部大輔の4つの遣欧使節について。池田筑後守の一行が上海のホテルにて、間違って小便器で手を洗って小便くさくなったとかの珍談は面白い。新見豊前守一行に随行した長野桂次郎(または慶次郎1843~1917)は幕末の遣米使節新見豊前守一行に加わった立石斧次郎(米田為八)で、アメリカでは非常に婦人にもて、トミー(トムミー)という愛称を奉られた由。岩倉具視の米欧使節にも加わり、行きの旅の途中女子留学生にちょっかいを出し、同志裁判にかけられたという。帰国後何かを為したということを聞かないから、当時珍しい軽めのプレーボーイだったのだろう。
設問)「今年は例年になく雨が多い」をロシア語にせよ。
В этом году больше
осадков по сравнению
с обычными годами.
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осадкиは雨、雪、霰、雹などですから、亜目だけ別に表現すべきです。私の答えは、В этом году необычайно много дождей.
設問のポイントは雨を複数にできるかどうかである。雨の複数は雨季という意味になる。ちなみに大雪はмного снегаであり、複数のснегаは積もった大量の雪を指す。
В этом году дожди бывают чаще (,чем обычно).
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正解です。ただчащеの後にобычногоと続けるか、カッコを取るかしないと、「例年より」という意味が出ないと思います。研究社の露和ではдождиは雨季、雨量とあり、それから判断すると、чащеではなく、большеの方が自然かと思いますが、語結合辞典にДоджи зачастили (зарядили, заладиди)は「雨が激しくなった」という意味の口語であると記載しているので正解としました。