2012年07月19日
●和文解釈入門 第426回
幕末の宮廷」、下橋敬長(ゆきおさ)、羽倉敬尚注、東洋文庫、1979年
摂家一条家の旧臣の1921年の講和速記。博覧強記の人だったようである。幕末当時の外国人の皇室について記したもの中には、天皇の食器は一度しか使われないので土器を用いたなどと書かれているが(ゴロヴニーンも「禁裏は又食事の度に新しい食器を用いるが、一度使用した食器はただちに打ち壊すことになっている。その食器で物を食う事をあえてするものはたちどころに死ぬという」と書いている)、本書によれば16枚の菊の花びらのついた白地の陶器で東山の清水焼が多く、月に2、3度は下げ渡されたようだが、毎回毎回捨ててはいないことが分かる。食べ残しは御末(女中)に毎回下げ渡された。天皇・皇后はおからが好きだったとか、孝明天皇はご酒が好きで夕食の始まる6~7時ごろから10時ごろまでは飲まれていたなどほほえましい話もある。ミッドフォードが京都で即位したての明治天皇に拝謁したときに、鉄漿をしていたので驚いたと書かれていたが、本書を読むと当時の天皇や公卿は鉄漿を隔日ないしは3日に一度していたことが分かる。後光明院より表向きは火葬だが、土葬となり、孝明天皇から正式に土葬となったというのも他では窺えないことである。門跡寺院に天皇、摂家、親王家が子を遣わすというのも、年に50~100石相応のお手伝いがあるからだというのはなるほどと感心した次第。朝廷は幕府より10万石もらっていたが、そのうち天皇は30,021石6斗であり、輪王寺家には13,000石、残りを宮家、五摂家、その他の公卿で分けたという。
(164) 「旧事諮問録」(旧事諮問会編、進士慶幹校注、岩波文庫、1986年、2巻)
将軍家の日常、お庭番、幕末の外交の様子を江戸幕府の役人が証言している。問答の形になっており、現代の話し言葉に近いことが分かる。1891年から1892年の第11回までの記録で、将軍は自分の事を「余」ではなく、「こちら、自分」と言い、御台所は「わたくし」と言っていたとか、将軍の飲んでいた酒は、真っ赤な変なにおいのある(保存が悪くてそうなったのだろう)のだったなど非常に面白い。
(165) *「英国外交官の見た幕末維新」、A. B. ミッドフォード、長岡祥三訳、1985年、新人物往来社、
1866年~1870年まで駐在したミッドフォード(1837~1916、英国外交官)の手記。手際良く当時の日本の国情が描かれており、読ませる内容である。アーネスト・サトウとともに立ち会った切腹の場面や、パークス(1828~85)を襲撃した二人の浪士のうち一人をミッドフォード自身が取り押さえた場面は圧巻(残りの一人は後藤象二郎と中井弘蔵が組み伏せ斬首した)。同じ事件をサトウとは別の角度から知ることができるのは興味深い。若き明治天皇にも拝謁し、天皇が当時の慣習に従い鉄漿をつけ、眉を抜き、顔に白粉を塗り、唇に紅をさしていたなど興味深い記述もある。ミッドフォードの著作には四十七士など日本古来の物語を欧米に紹介した「昔の日本の物語」などある。
(166) 「ミッドフォード日本日記」、A.B. ミッドフォード、長岡祥三訳、講談社学術文庫、2001年
1906年の40年ぶりの日本再訪記(東京、静岡、京都、下関、鹿児島、奈良、名古屋訪問記)。卓越した文章である。訳の日本語も素晴らしい。鴨猟の体験や女性柔術家の護身術模範演技など非常に興味深い。
設問)「彼は世界タイ記録を出した」をロシア語にせよ。
Он показал равный
мировому рекорду
результат.
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意味は通じるとは思いますが、こうは言わないでしょう。私の答えは、Он повторил мировой рекорд.
Он повторил мировой рекорд.
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正解です。
Он повторил мировой рекорд.
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正解です。