2012年07月22日

●和文解釈入門 第429回

(174) 「ニコライの見た幕末日本」、ニコライ、中村健之助訳、講談社学術文庫、1979年
 神田のニコライ堂や函館の正ハリストス教会の大主教で亜使徒聖ニコライРавноапостольный святитель Николай японский(1836~1912)は1861年来日し、函館の領事館付主任司祭として1869年まで滞在した時の経験をもとに日本人の宗教観についてЯпония с точки зрения христианской миссииとして書かれたものの邦訳。訳者中村健之介氏の訳注が詳しい。ダヴィド-フ(ダヴィドフが正しい)とかゴローヴニン(ゴロヴニーンが正しい)力点がおかしいものがある。この他に中村氏がロシアで発見したニコライの日記に基づいて書かれた「宣教師ニコライとその時代」、講談社現代新書、2011年や「宣教師ニコライと明治日本」岩波新書、1996年がある。「ニコライの日記」(中村健之介編訳、岩波文庫、2011年、3巻)も上巻、中巻、下巻が出版された。ニコライという人は19世紀末の日本の各地を旅した人で、その様子も日記に反映されているので面白い読み物となっている。

(175) 「回想の明治維新」メーチニコフ、渡辺雅司訳、岩波文庫、1987年
 1874~75年お雇い外国人として日本に滞在したロシア人革命家メーチニコフ(1838~88)の手記。当時開通したての横浜・新橋間の鉄道風景など面白い描写もあるが、日本外史から取ったと思われる日本の歴史の記述がかなりの部分を占め、その内容も大デュマのロシア史のように、やむをえないとはいえかなり誤解や誇張が見られる。またメーチニコフが名所旧跡の類にまったく興味がないことや、自分の目で見た日本の庶民の生活の記述もほとんどなく、印象記としては期待外れであるが、付録の「東京外国語学校の思い出」は当時の様子を伝えていて面白い。

(176) *「幕末維新懐古談」、高村光雲、岩波文庫、1995年
 木彫家で西郷隆盛の銅像の製作者である高村光雲(1852~1934)が、70歳のときに子息の高村光太郎や田村松魚を聞き手に語った半生。1922年初出。幕末の浅草、それも1860年の大火前後の雷門の様子などよく分かる。1875年の神仏混淆禁止により浅草寺の神馬が他に移されたことなど興味深い。光雲の祖父は富本節(浄瑠璃の一流派)が得意で声がよく、ねたまれてひそかに水銀を飲まされ半身不随になったとあるが、長谷川時雨の「旧聞日本橋」にも小唄だったかを習った師匠が、ひそかに飲まされた水銀で声をやられたとあるから、庶民の中にも悪い奴が昔もいたものだ。1912年ごろ声楽家で明治天皇薨去の際捧悼歌のレコード吹き込みを行った丹いね子が、ライバルの原信子にフランス料理に招かれ、食後に飲んだペパーミントで下痢をし、中毒性急性咽喉炎と診断された。世に水銀事件として喧伝された。結局犯人はつかまらなかったと大宅壮一が「日本新おんな系図」に書いている。水銀は当時辰砂(丹砂、賢者の石とも呼ばれ、塩化水銀(Ⅱ)のことである)として朱漆や朱墨にも使われた。辰砂自体は水に溶けにくいので、朱砂安神丸というような漢方薬もあり、あまり毒性はないとされるが、400~600度で熱すると水銀ができるのでこれを用いたか、自然の水銀鉱から入手したのかもしれない。光雲自身は親にも子にも恵まれ、弟子の育成にも力を貸し、自分も精いっぱい努力してまことにうらやむべき一生と言える。その時代の人情がよく窺える。

設問)「この店の中の品物で他のお店より値段の高い品物を見つけたお客様には賞金進呈」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年07月22日 06:43
コメント

Денежную премию подносят покупателям, которые
в этом магазине будут встречаться с товарами, продаваемыми по ценам дороже, чем в других магазинах.
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お答えはподносятと不完了体現在形が来ていますから、規則的な繰り返しを意味します。ところが、設問は「品物を見つけたお客様」ですから、品物が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれないという、文法用語でいう不規則の繰り返しです。このような場合、ロシア語では完了体未来形を用い、それを例示的用法といいます。それとподношениеというのはお寺への寄進とかファンへのプレゼントという場合に使われますので、この場合どうでしょう?встречаться/встретитьсяとвстречать/встретитьの違いは、前者が双方の人が偶然出会う、示し合わせて会う、ものなどが自然に存在する、問題などにぶつかるという意味で、後者は片方の人がもう片方の人を偶然見かけるという意味です。ですから買い物客が品物に偶然会うという風には使いません。この場合は「見つける」としなければおかしいと思います。私の答えは、Премия гарантирована тем покупателям, кто найдёт какой-либо предмет в нашем магазине дороже, чем в других магазинах.
相対時制の問題。「見つけた」をどう訳すかがポイントである。これは「見つけた」は「見つけたら」と考え、さらに「見つかるかもしれないし、みつからないかもしれない」とすれば、文法用語の不規則な繰り返し、つまり完了体未来形の例示的用法であることが分かる。こういうお知らせがある以上、偶然見つかるのではなく、意識的に探して見つけるということになる。

Posted by ブーチャン at 2012年07月22日 07:22

Обещано вознаграждение гостям-нашедшим товары в этом магазине
дороже, чем у других.
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いろいろ考えましたが不正解とします。それは能動形動詞過去では、В вузы будут приниматься учащиеся, сдавшие экзамен.(試験に受かった生徒が入学する)と使えますが、お答えでは、能動形動詞過去のнашедшийは、主文より過去に起こった出来事を示します。もし主語がВознаграждение будет полученоと未来の時制なら、正解の可能性があります。お答えの主語が現在の時制のため、賞金を約束した時点より前に品物が見つかっていると非論理的になります。設問の「品物を見つけたお客様」というのは過去の時制ではありません。日本語にはロシア語同様未来完了を別に示す方法がないので、タ形(これは日本語文法では過去形ではなく、確述とか確定表現というのでしょう)で代用するのです。未来でその品物を見つけ、その後賞金を受け取るという意味です。設問の「見つけた」というのは、見つけるかもしれないし、見つからないかもしれないということで、文法用語では不規則な繰り返しです。これには例示的用法の完了体未来形を使います。仮に過去における不規則な繰り返しにも、完了体過去形ではなく、完了体未来形を使いますから、そういう意味で、能動形動詞過去が使えないのではないかと考えたのですが、上記の能動形動詞過去の例文を見る限り使えそうです。また能動形動詞過去が使えるなら、主語を未来の時制にするなら、見方によっては例示的用法ではなく、単なる未来完了と捉えて、時制を転用して完了体過去形も使えるかもしれないなとも思う次第です。 いずれにせよ、形動詞、副動詞は会話では意味が取りにくくなるので個人的に使用は勧めません。-ший, -щийという音шипящие звукиの多用は、Розенталь Д.Э. 先生も音調の点から避けるた方がよい場合もあると書かれております。これはшшで分かるように、日本語の「しーっ」に相当する、威嚇、苛立ち、静止を示す音だからかも知れません。

Posted by メイ at 2012年07月22日 18:19

Преподнесём призы тем, кто нашёл товары нашего магазина дороже чем в других магазинах.
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お答えだと、すでに品物を客は見つけてしまったということになって、設問とは違います。通訳や翻訳というのは、日本語の見かけ(表層構造)に引きずられず、深層構造をいかにロシア語にするかということにあります。日本語文法の正しい理解と、それをいかに適切にロシア語にするかが重要です。不規則の繰り返しを用いる完了体未来形の例示的用法の見直しを勧めます。
 それとпризというのは競技の勝者への賞ということですからこの場合は違うと思います。

Posted by asuka at 2012年07月22日 23:38

ややこしい回答で失礼しました。そして丁寧なご説明をありがとうございました。

Posted by メイ at 2012年07月23日 19:26
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