2012年07月23日
●和文解釈入門 第430回
(177) 「榎本武揚シベリア日記」(現代語訳)、榎本武揚、諏訪部揚子・中村喜和編注、平凡社ライブラリー、2010年
榎本武揚(1836~1908)がロシア公使の職を終えてシベリア経由1878年7月26日より9月30日にウラジオに到着し、帰国した時の日記。市川文吉(1874~1927)、寺見機一、大岡金太郎が随行した。時期的にはセルゲーイ・マクシーモフСергей Максимов(「シベリアと流刑」Сибирь и каторга, Книговек, 2010、7巻選集の第1巻と第2巻)の著者で1860~61年シベリアを踏破して刑務所の実情を調査した。彼の著作をジョージ・ケナンも大いに参考とした)と、ジョージ・ケナン(「シベリアと流刑制度」(2巻、完訳)、左近毅訳、法政大学出版局、1996年を著し、1885~86年シベリアを踏破し、主として政治犯について調査した)の間に相当する。コースもほとんどケナンと同じである。やはりナンキンムシ(ワンドロイスと榎本は書いている)に悩まされた。避虫粉もほとんど効かなかったようである。タランタスという馬車に乗ったシベリア流刑囚(50人とか100人とか)にも出会ったようだが、足に鎖もないからこれは貴族だろう。途中榎本は硝酸銀で塩分があるかどうかの実験もしているからまじめな性格だったようである。
(178) 「自伝」、片山潜、日本人の自伝第8巻所載、平凡社、1981年
労働運動の先駆者片山潜(1859~1933)の半生伝。1931年版。津山の天領の庄屋の家に生まれる。エタは幕府時代も肉食であり、十手と縄を持って番太(巡査のようなもの)を勤めたなど幕末の農村の暮らしが具体的でためになる。親たるものは子供の頭などは決して叩いてはならないなど全く同感である。自分の性格の長短についても冷静に具体的に記している。田中正造を人気取りをするからか、嫌いなようで豚目などと呼んでいるのは面白い。
(179) 「曠野の花」、石光真清、龍星閣、1958年
石光真清(1868~1942)は軍人で満州、沿海州の諜報に携わった。他に「城下の人」、「望郷の歌」(日露戦争従軍記)、「誰のために」という自伝がある。菊池正三という名でハルピンに写真店を営んだ。このとき二葉亭四迷とも知り合うが、二葉亭に満州駐在ロシア軍の移動命令書の翻訳を頼んだところ「こんな詰まらんものは嫌だよ」と一蹴されたとある。二葉亭はその後身体を悪くしてウラジオで保養中に、くたばって仕舞えになってしまったと聞いたと書いているのも面白い。二葉亭四迷のペンネームの由来(父から文学などやって、くたばって仕舞えと言われたから)についても当人から聞いている。これは「予が半生の懺悔」(二葉亭四迷、日本人の自伝第15巻所載、1980年)にも記載されている。二葉亭はウラジオでも文学を研究しており、コンマもピリオドも、果ては字数までも(ロシア語)原文通りにしようと苦心したとある。今で言えば、文の表層構造に執着するあまり、深層構造には目が行かないという事になるのだろうが、翻訳・文学・口語体表記のパイオニアとしての苦心がしのばれる。そのころ菊池写真館に出入りしていたのに大庭柯公もいて、二葉亭同様ロシア文学を研究していたという。大庭は二葉亭とは性格も違い滞満の目的も異なっていたらしいとある。石光と似たような境遇で、もっとスケールのでかいのは、小日向白朗(1900~1982)で、その自伝「日本人馬賊王」(ドキュメント日本人第9巻アウトロー所載、学芸書林、1968年)には当時の馬賊の様子がよく分かる。馬賊は侠客と強盗を併せたようなものであるらしい。小日向は満蒙の馬賊の頭目まで上り詰めた人物であり、二丁拳銃は一度に二丁使うのではなく、一丁の弾を撃ち尽くしてしまった場合、左手でもう一つの充填してある方の拳銃でもって敵を射撃しながら、右手で片方の空になった拳銃を、右側の膝の折り目に挟んで弾丸を装填するのが習わしであるという。それは射撃を止めて装填している時に撃たれてしまうからであると書いてあるのには感心させられる。馬賊全般に関しては「馬賊頭目列伝」(渡辺龍策、徳間文庫、1987年)が詳しい。
設問)「他店で40%値引きのところ当店全品15%値引きというのは、とりもなおさず当店が元々他店より安く販売していたという証拠であります」をロシア語にせよ。
То, что в нашем
магазине все товары продаются со скидкой
в размере 15% против
40 % скидки в других
магазинах, другими
словами является
доказательством
того, что с самого
начала мы продавали
товары дешевле,чем
в других магазинах.
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意味は分かると思いますが、тоが文の先頭に立つという例は、ないとは言えませんが、あまり多くはありません。то, что... ялвяется доказательством того, чтоという構文はто, чтоが繰り返されてくどい感じがします。どちらか、できれば、先頭のто, чтоを値引きなどの名詞にするなどの工夫が必要です。それと「他店で40%値引きのところ」の「ところ」は対比を示しているので、その訳も必要です。私の答えは、15% скидки, которые мы делаем на все товары, в то время как в других магазинах она достигает 40% - служат доказательством того, что у нас и прежде было дешевле всех.
У нас скидка на весь товар 15%, тогда как в других магазинах 40%(сорокопроцентная) скидка -- это и есть доказательство того, что мы с самого начала продавали дешевле, чем в других магазинах.
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構文的にはこれでいいと思います。直すべき点は、скидка в 15%, все товары, сорокапроцентная, преждеです。元々は直訳するとお答えの通りですが、設問では、前からぐらいだと思います。岩波や研究社では差を示すということでскидка на 15%としていますが、ザルービンではскидка в 15%です。これは値引きの大きさを示しているのでвの方がよいと思います。наの差というのは比較級とか、比較するものが必要ですが、値引きの額は比較そのものではなく、数量の表示だからです。мороз в три градуса, расстояние в 10 км, дом в три этажаの類です。
Продажа товаров со скидкой на 15 процентов, когда в других магазинах продаются со скидкой на 40 процентов, нечто иной как доказательство о том, что давно продовали дешевле чем в других магазинах.
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これで大体よいと思いますが、直す点はскидка в 15 процентов(メイさんへのコメント参照ください)、 когдаの代わりにтогда как (в то время как「~であるのに」)、доказательствоの前に動詞を入れてслужит доказательством(証拠となる)としたほうがすっきりします。доказательствоは後に生格を要求しますのでдоказательство того, чтоです。давноは「昔から」という意味でよい使い方です。