2012年07月29日
●和文解釈入門 第436回
(190) 「ディアス・コバビアス日本旅行記」、大垣貴志朗。坂東省次訳、雄松堂書店、1983年
メキシコ天体観測隊が1874年地球と太陽の距離を太陽視差値として求めるため英米仏の観測隊と共に来日した。ディアス・コバルビアス(1833~1889)は天文学者でその隊長だった。神奈川の野毛山に基地を置いた観測は成功し、翌年離日するまでの見聞を書いている。科学者ということもあるが、日本びいきのようで、その人柄がしのばれる。日本人は通常親切で、勇敢で、謙虚さがあり、各種の文化を吸収する柔軟性を備えているなど中国人と比較している。通りに酔っ払いを見たことはなく、日本人は慎み深く、本質的に従順で、秩序正しい民族であるともある。駅で切符売り場に到着順に行列するとも驚きの筆致で描かれている。当時日本は外国に対しては何でも学ぼうという気持ちがあったことと、国際通貨はメキシコ銀だったということも日本にメキシコに対してよい影響を与えたのかもしれない。添付の写真の鎌倉の大仏の膝に人が乗っている。今では考えられないことだが、これも僧侶が金を取ってやらせたもので、酒も僧侶が売っていた。当時日本ではスペイン語を学ぶ者はなく、スペイン公使館、ペルーの政府代表部ぐらいがスペイン語を話す人たちのいるところだったという。メキシコの日本における領事事務を代行していたのはビンガム米国公使で非常によく尽くしたらしい。ビンガムはグラント将軍訪日のときも公使だった。
(191) 「松山守善自叙伝」、日本人の自伝第2巻所載、平凡社、1982年
松山守善(1849~1945)は熊本の人。若いころは川上彦斎(1834~71、佐久間象山を暗殺、人斬り彦斎と呼ばれ、海舟ですら非常に気味が悪い奴と評した)に私淑し、敬神党に入るも、あまりの神慮による傾向(事をなすのにすべて神の卜占による)に嫌気がさした。敬神党の乱のときに弾に当たって戦死した富永次男という人は、胸に矢除けのお守りをたくさん身につけており、狂信者ぶりが知れる。その後民権自由の宮崎八郎(1851~77)につくも、「まず西郷の力をかって政府を崩壊させ、しかる上第二に西郷と主義の戦争をなすのほかなし」という考えについていけず、熊本県裁判所15等出仕となる。これにより同志より指弾されるが意に介さなかった。「人は読書と友人と境遇と年齢とによって思想は変遷する」というのは至言である。乃木将軍の殉死についても、批判的であり、難波大助(1923年の虎ノ門事件で、後の昭和天皇を狙撃した)の助命を求めたり、両親に対しても正当防衛は成り立つ(尊属殺人)として、ある友人から絶交を言い渡されたりした。当時としては珍しくまともな人のようである。またまじめな人のようで27のときに妓楼に上がって何をするところなのか初めて知ったという。ただ結婚後の芸妓との浮気や、その芸妓を捨てたこと、別の芸妓に浮気されたことなども赤裸々に書いているのは正直な人柄だからだろう。本文は文語調だが読みやすい。松山は西南の役後代言人になり、後弁護士となった。何度か選挙に打って出たが、落選。改進党の重鎮でもあった。
(192) 「西南の役」、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房、1964年
鹿児島県史から1877年の西南の役(丁丑の役)についての部分を収録したもの。西郷軍3万、政府軍6万の戦いであった。これにより明治維新は終焉したと多くの学者は考えているとのこと。筆致は淡々として非常に客観的な叙述である。
(193) 「薩摩反乱記」、マウンジー、渋谷啓蔵、富森篤、物集女清久、青木保訳、安岡昭男補注、東洋文庫、1979年
1876年~78年まで英国公使館に勤務したマウンジー(?~1882)の西南の役(1877年)に関する分析記録。訳は擬古体の名文。
設問)「どんな燃料でこの車は動くのですか?」をロシア語にせよ。
На каком топливе
эта машина работает?
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正解です。私の答えも、На каком топливе работает эта машина?
① На каком топливе работает автомобиль?
② Какое топливо используется в автомобиле?
③ Каким топливом заправлять автомобиль?
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全部正解ですが、(1)以外は、日常会話では使わないでしょう。