2017年02月24日

●和文露訳要覧第181回

太平洋戦争で戦没された方の遺骨(英霊)収集についての記事を目にすることがある。これは我が国において、火葬の後、骨拾い(骨揚げ)し、骨壺に納めて、それから納骨するという一般的な葬儀と関係しているからであり、骨尊崇の思想があるからであろう。これに関して『死の民俗学』(山折哲雄、岩波書店、1990年)に興味深い記述があるのを見つけた。イギリスの歴史家ジョン・マクマナーズの『死と啓蒙』に世界の奇習の一つとして骨拾いが挙げられているという。日本でも骨尊崇の思想は昔からのものではなく、古来日本ではもがりのような風葬のあと、庶民においては遺骨は川に流すか、土に埋めるか、野ざらしにするとか、骨に特に執着しなかったが、仏教渡来と共に仏舎利崇拝が6世紀ごろから貴族階級に広まり始め、それが11世紀ごろ(藤原道長の時代)から、骨を依代とする考え方が庶民にも伝わるようになったのではないかとある。

出題)「7月18日はモスクワ郊外の警察にとってついていない日だった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2017年02月24日 21:54
コメント

18 июля не повезло
полиции подмосковья.
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正解です。私の答えは、18 июля стало чёрным днём для подмосковной милиции.
День 18 июля сталとした方がより自然かもしれない。

Posted by ブーチャン at 2017年02月24日 22:53

18-ое число июля
оказалось
неудачным днем для
подмосковной
полиции.
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正解です。

Posted by ブーチャン at 2017年02月25日 07:24

Для полиции подмосковья, 18-го июля было невезучее.
よろしくお願いします。
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18-еとしないと主語がないことになります。ですから18-е июля было невезучим. (День 18 июля был невезучим.)とすべきです。

Posted by やま at 2017年02月25日 08:04

Восемнадцатое июля было день незадачливый для подмосковной полиции.
宜しく御願い致します。
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былоの後にденьが来ていますが、語結合的に無理がありますからднёмとすべきです。деньとすると、恒久的な感じがします。
Она была моя мать!(彼女は私の母だったのだ)

Posted by さきちゃん at 2017年02月25日 08:05
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