2016年08月07日
●和文露訳要覧第81回
体の使い分けを考える上で重要なのは、完了体はその動詞の語義の動作を完遂するということである。пойтиのような始発の動詞であれば、「歩き出す」という語義を完遂するということになる。その語義の動作の完遂ということから、時制で考えると動作を点で示さざるを得ないし、現在のその瞬間(狭い意味での現在)を示す事が出来ないのは、完遂(動作の終了)というのは過去か未来しかないからである。過程の意味の「~しつつある」というのは動作が完遂していないことはお分かりだろう。一方不完了体については不完了体現在形で一番分かりやすい過程(進行形)の用法で説明すると、идтиなら、歩いているという動作は終点が明示される場合もあるが、その時点では動作が継続中であるし、時間の経過と共に狭い意味の現在の点が連続して動いていると考えてもよい。状態の動詞лежатьなら、状態には動作の終点が明示されないということで完遂ではないし、横たわっているという動作の点は動かずにそのままのように見えるが、いくつも点が重なってきていると考えればよい。ところが完了体のполежатьは、少しの間だけ横になるわけで、少しの間が過ぎれば横たわるという動作は完遂される。遂行動詞では発話という狭い時間の中で動作の点が始発→過程→終了と動くというものであり、評価解釈型動詞では、発話の終了と共に評価という動作が伝えられる。そのため評価解釈型動詞(現在形)は完了体過去形と意味上接近する。
結果の存続では狭い意味での現在(現在のその瞬間)が含まれるのではないかと疑問に思われる方もいるかもしれないが、動作は過去に完遂され、例えばприехал(来ている)では、「来た」という動作は過去のある時点に完遂されていることが分かり、その結果が現在まで及んでいるに過ぎない。しかも結果の存続というのは、アオリスト的用法の派生であり、動作の結果が現在までに及ぶかどうかは文脈次第であるため、意味上では過去の時間軸の一点において動作が起こったということを示すのみである。
近接未来完了(一瞬後に動作が完遂する)や未来完了(ある程度時間が経過してから動作が完遂する)も文脈次第であり、はっきりしているのは、現在の一瞬以降の未来の時間軸の一点において動作が完遂するという事だけである。
出題)「だって私は彼に対し含むところは全くありません」をロシア語にせよ。
1.Но, я ведь совсем не имею скрытой ненависти к нему.
2.Но, я ведь совсем не держу камня за пазухой на него.
宜しく御願い致します。
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1. ноはよけいです。憎悪は強すぎます。
2. ноを取れば正解です。私の答えは、Я ведь в душе против него ничего не держу.
Ведь я совсем не
имею тайного
намерения против
него.
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秘密の意図というのはいい意味も悪い意味もあり得ますから、どうでしょう?
Ведь я ничего не имею против него.
よろしくお願いします。
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正解です。
初投稿です。よろしくお願いいたします。
Ведь у меня нет никаких негативных чувств к нему.
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これからもよろしくお願いいたします。お答えは直訳的です。否定的というような形容詞を使わなくとも、против негоを活用すれば、もっとロシア語っぽくなります。
Поскольку я не прячу никаких чувств к нему.
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посколькуというのは硬い言葉で、気取って言うなら別ですが、会話ではまず使わないでしょう。どんな感情というからには、よい感情も悪い感情もあるので、出題は悪い感情でしょうから違うと思います。против негоを活用すれば、もっと簡単にできます。
Ведь у меня ничего нет против него.
よろしくお願いします。作ってしまいました。
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正解です。