2016年08月13日
●和文露訳要覧第84回
完了体未来形の偶発的反復(例示的用法)というのは、起こる確率がゼロの場合もあり得るという意味で、複数の不定の用法に似ているし、もっと言うと、-нибудьの用法とも通じるものがある。同じことは、不完了体の規則的反復・単数・-тоの関係にも言える。この点を深く突き詰めて考えてみることにした。何か成果があればこのコーナーで発表することにしたい。
出題)「手が近づくと明りがつく」をロシア語にせよ。
Когда руки приближаются, свет
зажигается.
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手と手(両手)が近づくと灯りがつくというのはオカルト的ですね。出題は近接スイッチの説明のつもりなのですが。私の答えは、Свет включается от приближения руки.
よろしくお願いします。
При приближении руки к датчику свет автоматически включается.
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正解と言ってもいいのですが、приを使うと、お答えのように、灯りのつく説明として、センサーとか、自動的にというような、出題にない単語を補わないと論理的な文章にならなくなります。これらの単語なしでも、отとか理由を示す前置詞や前置詞句をつけるだけで正しい露訳ができます。
При приближении руки, свет включается.
規則的反復でнвとしました。よろしくお願いします。
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直訳ですね。
Когда руки приблизите, то лампа сгорит.
必ずつくのだからнесов?
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規則的反復と考えるべきです。お答えだと両手を何に近づけるのかという疑問が湧きます。
前回の記事に関連して質問ですが、предоставитьもдатьもともに「与える」という意味のようですが、なにか違いはあるのでしょうか。
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おっしゃるように、даватьとпредоставлятьは「一時的ないしは常時使用してもらうために渡す」という意味では類義語ですが、предоставлятьは要求されるもの、望まれるものを渡す(委ねる)というニュアンスがあります。許可する、可能性を与えるという意味では同義語です。
1.Свет включится при приближении ладони на него.
2.Если ладонь подойдёт, свет включится.
宜しく御願い致します。
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1. ладоньは手のひらであって、手の一部です。приближениеはк + 与格を取りますし、на негоとは何を指すのか分かりません。光ということであれば、近づくときにはまだ光は存在していないわけで、文学的(文法的)にはともかく、論理的にはおかしいと言わざるを得ません。2. ладоньを主語にしているからには擬人的用法と思いますが、普通の会話ではおかしいと思います。