2012年10月22日
●和文解釈入門 第521回
(231) 「ある歩兵の日露戦争従軍日記」、茂沢祐作(もざわゆうさく)、草思社、2005年
日露戦争に従軍した庶民の茂沢祐作(1881~1949年)の従軍日記。原題は「明治三十七、八年日露戦役従軍日誌」。彼はクリスチャンで下戸だったが、語彙の豊富さには驚くばかりである。戦争の日常を、戦場も含めて淡々と描いている。捕虜を見て、「気の毒で可憐の情を催す」とあるのは、長谷川伸の「日本捕虜志」にもあるように、敵の捕虜に対するこの頃の一般的庶民の心情のようである。また日本酒の缶詰、粉味噌、醤油エキスなどが戦場に持ち込まれていたことが分かる。ロシア人の中にもズボンと長靴のみの裸で、爆裂弾を抱いて突っ込んだものがあり、すぐ突き殺されたがその勇敢さには驚いたとある。日露戦争のような勝ち戦でも、弾丸雨飛で、茂沢も左太ももに盲貫銃創、右太ももに貫通銃創を負い、また二度も抱えた小銃に弾が当たり運よく戦死を免れたりした。死が日常であったことが分かる。しかし、兵の生死の分かれというものは、大岡昇平の「レイテ戦記」にも描かれているようにや、同じ日露戦争でも乃木の第3軍に配属された兵など、将の不出来からほぼ確実に死地に追いやられなどしたから、そういう意味では少なくとも不運ではなかったと言えよう。戦時でも双方の死傷者の収容のための2~3時間の休戦があったことが分かる。日露戦争の従軍記には石光真清の「望郷の歌」(現代日本記録全集6日清・日露の戦役所載、筑摩書房、1970年)があるが、石光は第2軍(奥軍)の副官であり、軍神橘少佐の最後などは興味深いが、実戦でのリアリティーは本書に比べて、落ちる。ただ南山の戦いにおいては機関銃で敵になぎ倒される兵が相次ぎ、それでも「全滅を期して攻撃を実行」という命令を下さるを得ず、敵が旅順方向に退却しなければ、乃木軍と同じ目に遭っていたかもしれない。これも運か。しかし、石光と乃木では立場も違う。石光のは「曠野の花」の方がはるかに良い。
設問)「私はテレビで宇宙船のドッキング(アンドッキング)を(たまたま)見ました」をロシア語にせよ。
Я по телевизору увидел стыковку
космических
кораблей
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正解です。結果の現存ですね。私の答えは、動作の有無の確認ということで、Я видел по телевидению стыковку (расстыковку) космических кораблей.
<テレビを見るсмотреть телевизор>は、意識して見るということになる。たまたまというニュアンスはない。
Я в телевидении встретил, как совершают стыковку космические корабря.
たまたま見た…?!случайноを使わずに…。
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これは不正解です。テレビはпо телевидениюか、口語的ですが、по телевизоруで、встретитьは読書や研究などで、「ぶつかる」ということですから、встретить какое-дибо выражение у Пушкина.(不完了体はこの意味では使いません)<プーシュキン〔を読んでいて〕~な表現にぶつかる>とか、具体的なものに「出くわす」という意味なら、歩いていてという前提条件があります。