2012年10月14日
●和文解釈入門 第513回
(229) 「明治日本見聞録」、エセル・ハワード、島津久大訳、講談社学術文庫、1999年
1901年から1908年まで日本に滞在した英国夫人エセル・ハワード(1865~1931)による島津家の5人の子息の養育体験記。同じころ日本に滞在したベルギー公使夫人で英国人女性のエリアノーラ・メアリー・ダヌタン(1858~1935)も「ベルギー公使夫人の明治日記」(長岡祥三訳、中央公論社、1992年)を書いており、当時の日光や鎌倉の様子や日清日露戦争時代の日本の上流階級の様子が垣間見える。ダヌタンは「ソロモン王の女王」を書いたヘンリー・ライダー・ハガードの妹で文才もあった。アーネスト・サトウやイザベラ・バードとも親交があったことが分かる。京都は古き日本そのものであり、有難いことには嫌なにおいがしないと書いてある。日本中糞尿の匂いが鼻についていたのだろう。
設問)「3位で来たのは誰ですか?」をロシア語にせよ。
Кто пришел на
третьем месте ?
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体の用法は正しいのですが、на третьем местеとприйтиの語結合は聞いたことがありません。私の答えは、Кто пришёл третьим?
при-という接頭辞のついた運動の動詞は、過程を示せないということは何度か述べた。приходилは過去の繰り返しか、приходил = пришёл и ушёлという意味になり、来た人がその場にいないというニュアンスとなる。そのため、次の例も、過去における反復を意味する。
Все приходили в офис к 10 утра, но тот, кто приходил первым, сразу же включал компьютер и делал вид, что работает с 8.(皆、事務所には朝10時までに来た。しかし、1番に来た人は、すぐにコンピューターのスイッチを入れ、8時から働いているふりをした)
このようなпри-という接頭辞がつく運動の動詞という特殊性もあるが、設問の場合は、「誰」、「3位」、「来た」のいずれにも、文の焦点があると言える。これはこの文自体が新規の事柄を扱っているからでもある。たった今という結果の現存のニュアンスもあり、完了体過去形を使うしかないということになる。和文露訳入門2-1-2-3参照。
(お題)
3位で来たのは誰ですか
(コーシカ訳)
Кто пришел третьим местом?
駅伝か何かのゴールないし区の境での会話と見ました。
・一定方向への動きということで定動詞
・(足で)走る競技とは限らないので一番意味の広そうなприйти
・重点はктоではあるものの既に通過した選手について尋ねていると思われるため
完了体過去によるアオリストないし結果の現存
と考えました。
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体の用法は正しいのですが、местомがよけいです。
Кто пришёл третий?
マラソンのゴール付近の中継のつもりで書きましたが過去形はおかしいか。京都には家畜の臭いがしなかったのでは。そんなことないか。馬は何処にでもいたはずですよね。やっぱりкака?!
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体の用法は正しいのですが、третьимでしょうね。「江戸の夕栄」(鹿島萬兵衛、中公文庫、1977年)という本に、「維新のときに19歳だった著者の話として、江戸には犬公方のおかげで犬も、その糞もが多く、小便用のトイレはあったが立ち小便も絶えず、ドブなどで臭気はものすごいものだったという」とあり、それと江戸時代は各都市はエコであった代わりに、肥やしの匂いがすごかったと思います。今は少なくなりましたが、私が高校時代を過ごした函館でも、トイレは汲み取り式で臭かったものです。江戸時代をあまり美化して考える必要はないと思います。その分寄生虫も多かったことは確かでしょうから。当時の京都も程度の問題で、現代に比べれば、臭かったと思います。馬糞は出来たても、乾けばなおさらにおいはしないものです。過去とкакаですか。糞の類義語は「るいごプラス!」の大便の項に書いておきました。