2012年10月13日
●和文解釈入門 第512回
「毎日通勤しています」という類の文を、応用性がないから出題しないと書いたが、考えてみると、常連の投稿者にとってはそうかもしれないが、このコーナーをただ閲覧するという人にとっては、そう簡単ではないかもしれない。実際に投稿しなければ分からないということは多々ある。簡単だと言えるのは、体の用法の観点からで、「毎日」とあるから反復であり、不完了体を使うという点だけである。それ以外の、難しいだろうと思われる点を挙げてみよう。
1) 主語がないというよりは、明示されていない。
日本語で主語が明示されていなければ、一人称と考えるのが普通である。文末に「よね」など助詞をつけないと、「あなたは通勤しています」という文は、座りが悪く、外人の日本語である。三人称なら、それこそ、「あの人が」とかと主語を明示する必要がある。一方、疑問文なら、二人称となる。自分に対して、記憶喪失でもしなければ、こういう事を尋ねることはないし、その場合は、「僕は」とか「私は」とか主語を明示するのが普通である。ロシア語でも動詞の活用語尾で、現在形(不完了体)や未来形(完了体)は人称が分かるので、主語を明示する必要はない。
2) 「通勤しています」
「通う」というのは、「行って来る」ということで、不定動詞を使う。しかし、なぜ定動詞ではだめなのか、使える場面がないかをきちんと説明しておかないと、従来の勉強法である丸暗記しかないということになる。定動詞は一方向しか示さない。だから、反復や繰り返しでも、次のような場合は使える。
(朝大学へは歩きで、夕方帰宅するのはバスです)Утром я обычно иду пешком в университет, вечером еду домой на автобусе.
3) 通勤
「会社に行く」という意味だが、人によって、オフィスв офисかもしれないし、工場на заводかもしれないし、作業場в мастерскуюかもしれない。на работу = на место работыなので、これを使えばすべてカバーできる。会社勤めをしている人が大半だから、в фирму (на фирму), на компанию (в конманию)も可能だろうが、あまり聞かない。ついでにместоはнаを取るのが普通だが、на местоかв местоのどちらかについては、「女性のための技術ロシア語」の6. 場所に書いておいたので、興味ある方は参照願う。
4) 不定動詞
「通勤する」が歩いてなら、ходитьで、家から会社までずっと、自転車かマイカーで通勤するならездитьである。ところが、普通は、家から駅まで、10分かその程度歩き、地下鉄か電車で会社の最寄り駅まで行き、そこから10分程度は歩くだろう。こうなると心理的な問題でもある。歩き以外が長いと感じればездитьだが、そういう事を意識しないなら、ходитьが使えるというふうに理解することも可能だが、ходить = отправляться куда-либо, бывать где-либо, посещать кого(что)-либоという意味があり、それは歩くことを必ずしも意味しない。語結合辞典のこの文意の例文でも、В прошлом месяце мы несколько раз ходили в Большой театр.(先月何回かボリショイ劇場に通った)は、地下鉄やバスを使わずに、歩いて通ったとは考えにくいからだ。
以上から、露訳するとしたら、Хожу на работу каждый день.が一番自然のような気がする。こういう短文を丸暗記するのは簡単だが、そうではなく、学習者に応用力をつけさせるような教え方をした方が、あるいは、そのような参考書で自学自習したほうが、勉強への意欲もわくし、結局のところ学習の効率も高いのではないだろうか。問題は、和文露訳に関してそのような参考書がないということであり、微力ではあるが、このコーナーがそういう方面のテストケースとしての役割を果たせればよいと思う。果たせたのかどうかは別として、そろそろその役割が終わりつつあることは確かである。
設問)ゴルフのルールの説明で、「打数が少ない人が勝つのだ」をロシア語にせよ。
Тот, у кого частота
ударов клюшкой
меньше всех станет
победителем.
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частотаは不要です。打つことがと発想を変え、打つを複合動詞にして、ударとменьшеの組み合わせを考えればよいと思います。私の答えは、Кто меньше ударов сделает, тот и выиграл.
ゴルフのルールの説明に使える。本来であれば、完了体未来形の例示的用法と順次的用法を組み合わせたもので、両方とも完了体未来形にするのだが、完了体過去形を確定的な意味で時制転用として用いたもの。完了体過去形は完了体未来形の代用もすることがあり、Я пропал.(もうだめだ)などと、未来における確定(確述)表現の意味で使い、口語的な感じがする。この回答は児童文学のПриключения капитана Врунгеля, А. Некрасов(ヴルンゲリ船長の冒険)で船長が、初めてゴルフをやる前にルールを調べるシーンで出てくる表現である。Побеждает игрок или команда, сделавшая это меньшим числом ударов.としてもよい。
Победителем считается игрок, у которого минимальное число ударов.
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正解です。相対時制を使えるような練習をした方がよいと思います。
Тот, у кого числа ударов меньше всего --- победитель игры.
動詞ならпобеждаетですよね?
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正解ですが、動詞を使うことを覚えないと、ロシア語はうまくなりません。述語動詞は、ルールと考えると、反復ですから不完了体で、побуждатьなどを使います。私の回答の二つ目の例がそうです。問題は、少ない打数(より少ない数のボールを打つ)が動作としては先で、その結果勝利を得るわけですから、このように相対時制の使い方に慣れないと、いつまでたっても、相対時制では、名詞文しか作れないということにもなりかねません。しかし、ルールはルールかもしれないが、もし~だったらという可能性を考えれば、例示的表現も使えますし、この方が生き生きした表現になります。文章の平板さということで考えると、名詞文が一番平板で、面白みのない表現で、通訳するときにも使いますが、よい文が浮かばない(たいていそうですが)、せっぱつまったときに名詞文を使います。こういうのを回避(行動)といい、通訳しているときは仕方がないのですが、学習や練習のときに、こういう回避ばかりしていると、一応は通じるものですから、ロシア語は上達しません。体の用法は、絶対にこの用法という場合もありますが、ある面で心理的な面もあり、話し手がどう表現したいのかによって体が変わる場合もあります。主観性ということを考えると完了体が使われます。