2012年10月18日

●和文解釈入門 第517回

前々回の設問〔中座する際、相手に酒などを勧めての「勝手にやっててくれ」〕については、設問自体があまりにも人工的と考える人もいるかもしれないが、こういう思い出がある。会社の飲み会などに行くと、1時間ほどして上役はお先に失礼するとばかり、このセリフを言って、いなくなるのだが、ロシア語で何と言うのか、入社早々の頃気になったことがある。当時、高輪のソ連通商代表部の何人かとは日頃の付き合いもあり、聞こうと思えば聞けたのかもしれないが、ロシア語で質問するにしてもややこしいし、特に急ぐような話でもない。そのままにして、10年か15年か過ぎた。

 モスクワに駐在して、地方に出張した時の事、工場の夕食に招待された。宴たけなわとなったときに、工場の偉い人が、急用ができたという事で帰ることになり、そのときにПейте без меня.と言ったわけである。その後、2~3回、宴会の別な機会に、別のロシア人がこう言うのを耳にすることがあり、これは状況から判断して、「勝手にやっててくれ」という意味であろうという事に気がついた。ソ連と日本は体制は違うとはいえ、同じ人間であり、現代人であれば、同じような状況下におかれるわけで、しかも、このような表現は不要不急のものなので、辞書や会話集に載ることはまずない。そうなると、似たような状況下で偶然発話された表現を、覚えておくしかないと思う。こういうロシア語は言わないという、ロシア人の方もいるかもしれないが、それはそれで構わない。自分としては、2回か3回であろうと、そういう状況を覚えているわけだし、他の人に強制はできないし、するつもりもないが、「自分のいないところで(自分がいなくても)飲みなさい」というのは、論理的だなと、酔っ払った頭で感じたことを覚えている。最近「ネップ時代のモスクワМосква НЭПовская」というРуга/Кокоревの本を読んだら、この表現が載っていたので、まんざら私の記憶違いというわけでもないと知って喜んだ次第。

設問)「アネクドートによっては、語るだけではなく、身振り手振りが不可欠である。これは書いたものでは無理だ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年10月18日 06:33
コメント

Завися от анекдотов, невозможно жестикулировать, не только рассказать. Это невозможно показать в письменнной форме.
-------------------------------------------
в зависимости от + 生格ならありますが、зависяはないでしょう。副動詞の場合、主語が共通でなければなりませんが、お答えの場合主語自体が見当たりません。またневозможноが二つ続くのもよくありません。жестикулироватьが不完了体なので、これでは禁止の意味になってしまいます。不可能なら完了体にすべきです。

ぶーちゃんさんの答えが一番最初だったのですが、スパムメール(たまにあり、1日の最高記録は70通ぐらい)を削除した後、一つ残っていたらしく、ぶーちゃんさんのお答えに返事を書いているときに、当方コンピューターの不具合と操作ミスで答えが消えてしまいました。私の答えは、ぶーちゃんさんのところに書いてあります。

Posted by аяка at 2012年10月18日 11:49

Некоторые анекдоты можно понять не только с помощью слов, но и с помощию каких-то жестов. И этот анекдот тоже не интересен, только когда читать писанные букви.
算数の掛け算は、一般的な真理を言うときはнесовだと思うのですが…。♪вычитать и умножать малышей не обижать учат в школе, учат в школе, учат в школе♪違ってますか?
-----------------------------------------
地球が太陽のまわっているというような公理についてはそうです。一般的な真理という意味はよく理解できませんが、一般的な事柄というなら、おっしゃるように不完了体が来ます。しかし、マイナスかけるマイナスがプラスになるのは真理ですが、かけること自体は真理ではありません。この場合は結果が真理だったというだけです。例えば、9 x 5 = 46は誤りですが、この場合は掛けるが真理を扱わないので、完了体になるということではありません。具体的な数字やことがら(設問ではマイナス)を扱うから、このように結果が誤りでも掛けるという動詞には完了体が来るのです。ご引用の例文についても、具体的な数字や具体的な事柄を扱っているわけではないことにご注意ください。不完了体が扱うのは設問のような個別的なものではなく、反復を含む、もっと一般的なものです。
 さて、некоторыеを使ったのは、よいと思いますが、с помощьюが二度使われているので、言い換えた方がよいと思います。文法的にはнаписанные буквыですが、こうは言わないでしょう。писаныйは形容詞化しています。писанныйは17世紀ごろには使われたのかもしれません。

Posted by ゴ at 2012年10月18日 23:17

Среди ряда анекдотов
существуют такие,
для рассказа которых
необходимы также
жесты.

Соль таких анекдотов
невозможно передать
в письменной форме.

尚、昨日の投稿の際にはПей без меняに関する私の更なるコメントを
書きましたが(先生へ対する肯定的な小生の
コメント)リピートするのは割愛させていただきます。
-----------------------------------------
まことに申し訳ありません。お答えが一番最初だったのですが、スパムメール(たまにあり、1日の最高記録は70通ぐらい)を削除した後、一つ残っていたらしく、お答えに返事を書いているときに、当方コンピューターの不具合と操作ミスでお答えが消えてしまいました。お詫び申し上げます。
 おほめにあずかったのにもかかわらず、私の早とちりでしたが、読者の中には設問が作りすぎと感じる人もいるかもしれないので、そのままにしておきます。ご配慮ありがとうございます。
 ご回答ですが、正解です。最初のよりもよくなったように思います。невозможноのあとに完了体を使って不可能を示すなど、初級者にも参考になると思います。他の初級者の方のために書いておきますが、сольはアネクドートのオチという意味です。私の答えは、Некоторые анекдоты необходимо не только рассказывать, но и показывать, чего в письме не делаешь.
показать = дать какие-либо разъяснения, обычно сопровождая это указательным жестом, движениемということと、письмо = писание = что-либо написанноеであり、в письменном виде, в письменной форме でもよい。

Posted by ブーチャン at 2012年10月19日 09:05
コメントしてください