2012年10月02日
●和文解釈入門 第501回
日本に住んでいるロシア人は、みな日本語の会話が上手なようである。しかし和文読解のほうはどうだろう?けっこううまい人とそうではない人の差があるのではなかろうか?「日本語と日本語論」(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)には、日本人はすぐ分かるが、日本語のうまい外国人が理解できない文章が挙げられている。もっともこれは多田道太郎の「日本語の作法」からの借用とのことである。ご参考までに挙げておく。一つは幸田文の「流れる」の冒頭の文である。
「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった」
もう一つは金田一春彦の挙げたもので、
「私の娘は男です」
二つ目の文は日本人でもすぐには分からないだろうが、二人のおばあさん同士の会話で、孫の話という事なら分かるだろう。
このコーナーの先も見えてきたようなので、今回は趣向を変えて、短文ではなく、SFで言うショートショートのような問題を出して見たい。非常に簡単なので、全問正解できなければ、日本語とロシア語の時制を完全に理解していないという事になる。
設問)1)「佐藤さん来た?」
2)「佐藤さん来てた?」
3)「佐藤さんは去年来たよ」
4)「佐藤さんモスクワに行っちゃった」
5)「佐藤さん来週モスクワに行くよ」をロシア語にせよ。
(1) Сато сан пришел ?
(2) Сато сан был ?
(3) Сато сан приходил
в прошлом году.
(4) Сато сан уехал в
Москву.
(5) Сато сан уезжает
в Москву на той
недели.
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(3)は不正解です。アオリスト的用法が分かっていないことになります。この用法は第3回にすでに出題しているわけで、体の用法の基本的な用法ですが、それだけに分かりにくいのかもしれません。ただ、ご自身の文法の力は上級ですから、多分、理屈は簡単なので、5分もあればマスターし、今後間違えることはないと思います。しかし、理屈が理解できないと、又間違うことになります。(2)は正解ですが、運動の動詞を使って回答しないのは、勘ぐれば、回避のようなもので、体の用法に自信がないからかもしれません。この点も要チェックです。私の答えは、
1) Господин Сато приехал?(結果の現存、期待〔和文露訳入門3-2-1および2-2-4参照〕)<佐藤さんが来て、今そこにいるのかを尋ねている>
2) Господин Сато приезжал?(動作の有無の確認〔和文露訳入門2-1-1参照〕)<単に佐藤さんがいたか、いなかったかだけを、何のニュアンスなしに尋ねている。この他にпри-という接頭辞のついた運動の動詞には対義語として、у-の接頭辞のついた運動の動詞が対応しますが、その場合不完了体過去形には、приезжал = приехал и уехал、つまり「来たが、帰った」という意味になります。приехал и уехалだけ取り出すと、完了体過去形の順次的用法〔和文露訳入門2-2-3参照〕で、さらに後ろのуехалだけ取り出すと、結果の現存で、その場にいないということになります>
3) Господин Сато приехал в прошлом году.(アオリスト的用法〔和文露訳入門2-2-1参照〕)<過去の一点、この場合は去年を示しているので、完了体過去形が来る。不完了体過去形では、過去の一点という事を特に意識せず、過去に1回、ないしはそれ以上あったという事を述べているので、具体的な過去を示す語句とは結びつきにくい。そのような語句と結びつくとしたら、前の文脈で、佐藤さんが来たГосподин Сато приехал.という事を述べておいて、その後で、それは去年だと伝えれば、刺身のつまのような用法で不完了体過去形が使われることになるが、いきなりでは使えない。このような新規の事柄は完了体の領域だからである。例えば、
- Когда в последний раз были в Саратове?(この前はいつサラートフにいらっしゃったのですか?)
- Приезжал в прошлом году на финал чемпионата.(昨年の選手権の決勝戦のときです〔に来ました〕。これなども来たというのは分かっているわけで、いわば、刺身のつまのような用法であり、приезжалがなくても意味が通じると言える。またбыть動詞の繰り返しを避けて、運動の動詞を使うという意味もあるのだろう>
4) Господин Сато улетел (уехал).(結果の現存)<у-のついた運動の動詞の完了体過去形は、「その場にもういない」という事を示します。поехалでもよいが、поехал自体は時制の転用(Я поехал.で「出かけますЯ поеду.」という意味で使うのが多い)でも使うので、使用を避けられる傾向にあるように思う>
5) Господин Сато улетает (уезжает) в Москву на следующей неделе.(予定の意味の不完了体現在形〔和文露訳入門4-1-2参照〕)<прилетает, приезажает(улетает, уезжаетは佐藤さんが出発したところにいる人が使い、приезжаетはモスクワにいる人が使うことになる。文法的には間違いではないが、個人的にはпри-のついた運動の動詞の不完了体は過程(進行形)で使えないので、これから発展したと思われる予定の用法には使わない方がよいような気がする。会話でもロシア人もあまり使わないように思われる。その場合は完了体未来形прилетитを使うか、летит〔これも定動詞の予定の用法〕とした方が自然である。>
1) Господин Сато пришел?
2) Господин Сато приходил?
3) Господин Сато приезжал в прошлому году.
4) Господин Сато уехал в Москву.
5) Господин Сато улетает на следующей неделе.
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(3)は不正解です。無論、去年何度も来たというニュアンスがあれば正解ですが、設問にはそのように書いていません。何も書いていなければ1回と取るのが普通です。来たことはあるが、それがいつなのか、あるいは何回なのかも分からないというのが、一番自然な不完了体過去形の使い方です。Mlさんですらミスをするというのは、アオリスト的用法というのを理解なさっている方があまりいないということでしょうか?これは問題です。Mlさん個人については、ロシア語もトップクラスですから、何かの勘違いとしか思えません。理屈を理解すれば、ブーチャンさん同様、5分でマスターされるでしょう。しかし、他の方々が心配です。個人的には、アオリスト的用法がこのコーナーを始めたきっかけの一つです。しかし、500回も過ぎて、常連の方々が間違うというのは、私にとってもショックです。もういい加減やめようかと思っていたのですから。
アオリストの選択肢がすぐ浮かんできませんでした。まだまだですね。
第3回を見直しましたが、具体的な過去の一点に関する動作には完了体が伴い、вчераとприезжатьは相性が悪いということです。
では、昨日やって来て、その日のうちに帰って次の日にはもういないと表現したい場合は
Господин Сато вчера приезжал в Москву.
とは書けず、
Господин Сато вчера приехал и в тот же день уехал.
と、しなければならないのでしょうか。
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その通りで、それが自然です。前にも書きましたが、приезжал = приехал и уехалですが、不完了体過去形の方は過去を具体的に示す語句とは、その性質(過去に動作が起こったことは確かだが、いつなのか、何回なのかは明示しない)上、相性が悪いので、完了体過去形の順次的用法および結果の現存を利用した方が、ロシア語らしいということになります。
ただГ-н Сато был здесь. Он приезжал врера.なら文脈的に可能だということはすでに述べた通りです。いきなり、新規の事柄として不完了体を使うということ自体が、おかしいとも言えます。不完了体は雰囲気に応じて、つまり場依存型なので、場独立型の完了体と違い、場がもともと存在しなければ使いにくいのだろうと思います。
過去の時間を示す語句と不完了体過去形が相性が悪いというのは、時間を示す語句というのは、全般的に場独立型であって、新規の事柄(レーマ)として出てくる場合が多いからだろうと思われます。