2012年10月09日

●和文解釈入門 第508回

(226) 「露国及び露人研究」大庭柯公、中公文庫、1984年
 ジャーナリスト大庭柯公(1872~1923)のロシアおよびロシア人についての評論集。1925年初版。20世紀初期で革命前のロシアについてのエッセー集だが、湯屋(蒸風呂бани)は混浴だとか、三助のチップの出し方、待合дом свиданияの様子も興味深いし、屑屋はХалат! Халат!と呼びかけるなど現代ではなかなか分からないことなども窺える。ユダヤ嫌いのようで、これもロシア人に感化されたせいか。ロシア全般、モスクワやペテルブルグの記述は百科事典から取ってきた様な感じもするが、ウラジオについては実体験が反映されて非常に生き生きとして書かれていて好感が持てる。1914年ごろには桐生悠々という人が信州と甲越の有志を連れてウラジオに観光旅行に行ったり、ロシア人も箱根まで観光したことが分かる。大庭柯公は1921年モスクワで消息を絶ったが、久保田栄吉(本名寺田二三朗といい、本人は否定しているが軍事密偵として入露した模様、1887年生)の「赤露二年の獄中生活」(矢口書店、1926年)に、久保田がモスクワ陸軍大学日本語教授となる約束で入露し、イルクーツクにて大庭柯公や富永某の軍事密偵であるとの密告により入牢したが2ヶ月後無罪釈放。これは大庭が万朝報をレーニンに買収してもらえないかという提案を久保田が拒否したからだと久保田は書いている。モスクワで秘密警察に逮捕され、その後2度死刑判決を受けた。大庭と同じブトゥルカ刑務所に入れられ、シベリアの刑務所を転々としてウラジオから帰国した。日本に帰国して大庭に書き立てられることを恐れる片山潜の画策により、大庭はペルミの刑務所で1923年2月ごろ銃殺されたと聞いたと書いている。大庭は政治犯ではなかったために、強盗と一緒の牢屋に入れられたためひどい目に遭い、死ぬまで片山を恨んでいたという。久保田はモスクワでも片山や大庭の密告で逮捕されたが、後に大庭がわびて、久保田は無罪であるとの書面で提出したため、また密偵であることに対してしらを切りとおし命が助かった。一般に、この久保田の本はロシアの刑務所の現実をよく描いているが、当時の日本ではそこまでソ連がひどいとは信じるのは難しかったろう。久保田自身が軍関係であり、後にユダヤフリーメーソンの研究家となっているから色眼鏡で見られたのかもしれない。本書を読んでも当時のボリシェビキーのトップがほとんどユダヤ人に占められていたからか、ユダヤ人についてはやや感情的になっていて、いい思いを抱いていないことが分かる。

設問)「回りには他に船はない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年10月09日 06:30
コメント

(1) Вокруг кроме нас
ни одного судна нет.

(2) Вокруг нас нет
прочих судов.
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正解です。私の答えは、Поблизости нет других судов.

Posted by ブーチャン at 2012年10月09日 07:07

В окрестностях нет других суднах.
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正解だと思います。окрестностьにはокружающее пространствоという意味もあります。ただ海や湖で使った例は個人的には知りません。

Posted by аяка at 2012年10月09日 22:35

Кругом нет ни каких кораблей. 
これは第一回から読み返さないと!
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正解ですが、корабльというのは、大型船、宇宙船という意味なのでсудноを使ったほうが、一般的です。

Posted by at 2012年10月09日 23:31

Вокруг нет других кораблей.
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正解です。

Posted by Ml at 2012年10月10日 05:39
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