2012年11月05日
●和文解釈入門 第535回
体の使い分けを考えるときに、場違いかどうか、つまり状況に依存するなら不完了体、そうでなければ完了体という説明をしてきたが、分かりにくいと考える人もいよう。iPS細胞でノーベル賞を取った山中教授も、一つの遺伝子ということに固執しなかったところに成功の秘訣があったわけで、体の用法についても、ある説にこだわるよりも、いくつかの説を検討した上で、自分なりに納得できる使い分けをいくつか試した方が実戦的である。
今回は不完了体の着手の用法に着目して体の使い分けの説明してみよう。不完了体は語義の動作の開始に意味の焦点があり、動作の継続や終了ということには特にこだわらないと考えるのである。こういう点から不完了体の動作を帯グラフで示すと、次のようになる。左端が動作の開始であり、右端が動作の終了である。(残念ながら、残念ながら帯グラフを表示できない)
Садитесь.(おかけ下さい)も、動作の着手に焦点があり、すわるという動作が終了するかどうかはどちらでもよい。座らなくても、座っても、声をかけられた人の自由という意味であって、座りなさいと声をかけたという意味である。しかし、そうかと言って、完了体が強制を示すと早合点してはいけない。経験(~したことがある)というのも、動作の有無の確認ということだから、これは動作が着手さえすれば、動作が終わろうと終わるまいと関係ないということになる。
不完了体もいろいろな動詞があり、継続の動詞は、終わり以外は塗りつぶされた形となる。
状態の動詞は、全てが塗りつぶされた形であり、伝達型の動詞は、動作が始まって終わるという事に焦点があるので、左端と右端が塗りつぶされた形になる。
過程(進行形)の用法では、黒く塗りつぶした部分が、左端から右端に移動すると考えてもらうとよい。繰り返し(反復)は、左端が塗りつぶされた同じ帯グラフがいくつかあるという事になる。
不完了体を否定すると、動作の着手がないのだから、動作が始まらないということで、動作そのものが成立しないということになる。
一方、完了体は動作の終了に意味の焦点があると考えるのである。帯グラフで示せば右端だけが黒い場合である。過去の時制のアオリスト的用法や結果の現存はまさに動作の結果という事だから分かりやすい。完了体未来形を使うЯ уеду в Москву.(モスクワに行くよ)という場合、いつ動作を開始するかということは、重要ではない。уехатьは「今いる場所から移動手段を使っていなくなる」という意味だから、いなくなる動作がいつ開始になるかはどうでもよいということになる。重要なのはいなくなるという動作が完了するということで、それに焦点があるということになる。
Сядьте.(座りなさい)というのは、動作の着手が考えにない場合で、いきなり動作の終わりがイメージされる場合という事になる。強制にも着手を考えに入れてのものと、そうでない(突然)という場合があるから、完了体がすべて強制と考えるのは正しくない。Говори, кто убил наших парней!(誰がうちの(組の)若いものを殺ったのか言え)というのはイントネーションもよるが、この不完了体命令形は強制と考えるのが普通である。体の用法と強制という概念は切り離して考えるべきである。完了体を否定すると、動作が終わらない、ないしは終われないということで、動作終了の否定(否定の強調)か不可能を示すことになる。
最近、不完了体というネーミング自体が、体の用法に対して誤解を招くのではないかと考えている。不というのは打ち消しや否定だから、不完了は完了しないことになる。しかし、本来、不完了体は完了体とは用法が違うということにあり、そうなると非を使った方がよいということになろう。非はそうではないことなので、非完了体とすれば、より実際の用法に近くなるのではないかと考える次第。
いろいろ書いたが、完了体は完了で、不完了体は完了ではないという考え方で、間違えずに体の用法が使えるなら、それはそれでよいのである。しかし、自分の経験から考えて、体の用法は、本質はともかく、見かけ上はそんなに単純なものではない。そうではなくて、体の用法がよく分からないというなら、上に書いた説も考えに入れたらよいと思う。一般的には、体の使い分けは動詞一つ一つによって違うと考える人も多い。そこまで極端ではなくとも、時制や法によって、あるいは動詞をグループに分けて考えるべきだいう人もいる。私は、折衷型で、体の理解には大所高所からの見方(トップダウン方式)と、動詞群、時制、法などからのボトムアップ方式の両方を併用すればよいと考えている。もっというと、どんな高邁な説を唱えるよりは、実際に体の使い分けができなければ無意味なのだ。
設問)「1年もたたないうちに、モスクワ当局から最初の重大な警告が来た」をロシア語にせよ。
Менее, чем в год было
доставлено первое
серьезное
предупреждение от
московских
подлежающих властей.
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подлежащиеは省くべきです。警告が届けられたというのは、レターのような形でなら分かりますが、предупреждениеには特にそのような意味はないようです。私の答えは、Не прошло и года, как от московских властей поступило первое серьёзное предупреждение.
Пока не прошёл год, мы получили первое серьёзное предупреждение от московской власти.
昨日のдолжны были быть、これは知りませんでした。
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お答えは、「1年が経過するまで、~を受け取った」ということで、これでは意味が通りません。多分、この意味でのкакの使い方を覚えれば、解決すると思います。特段難しいというものではありません。それと、当局という場合は複数にすべきです。これはロシア語では人を暗示しているからです。