2012年11月03日
●和文解釈入門 第533回
(236) 「たいこもち」、桜川忠七、日本人の自伝第22巻所載、平凡社、1981年
吉原の幇間桜川忠七(1889~1961)の自伝。1959年初出。幇間というのは芸能部門の小間物屋で、手ぬぐいと扇子だけで道でも山でも川でも表現する四畳半のあてぶりの芸であると桜川は述べている。客に従い遊興の酒間を幇くる者、とりなしをする者だが、常磐津、小唄、踊り、三味線、鉦、太鼓、都々逸という下地が必要であり、道楽者の果てということになる。花魁は新造やかむろが「おいらのところの姉さん」と言ったのの略だとか、冷やかしは浅草紙の職人が紙を水で冷やかす時間が2時間で、その間に吉原に回るのだが、座敷に入る時間はないことからできた言葉だと書いてあり、お職を張るというのはその店一番の売れっ妓ということだが、これも吉原からだという。そのほかにも、水商売は両国の水茶屋からとか、ざんす、どうしんす、ござりいす、ざますなどは京都の島原の廓言葉由来で、花魁のみが使う事を許されていたともある。これは似非上流婦人も使っていたのはおかしい。妓夫太郎の主な仕事は付け馬(客の勘定の不足分を客について行って払ってもらう事)だが、妓楼の主人が勘定が100円なら馬に80円で売る(これなら妓夫太郎も一生懸命やる)という事など他では教えてくれないだろう。忠七にとっての粋は、「物事心得あって、よく人に馴れ、その所々をさばき、それぞれの場所を考え推しながら、言葉少なく和すこと、ただ方円の器に従う水の如しとて、水〔すい〕とは名づくなん」という。粋の一つの解釈であろう。
設問)「モスクワに飛行機で行って、白亜のモスクワがどんなものか見て来よう」をロシア語にせよ。
Полетим туда на
самолете и посмотрим
какова белая (снежная,
белокаменная)
Москва.
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モスクワの枕詞постоянный эпитетはбелокаменнаяです。белоснежная вершина(真白き峰), болоснежный костюм(真っ白な服)というのは聞きますが、モスクワには使わないでしょう。いずれにせよбелокаменнаяが出てくるのですから、日ごろのロシア文学の読書量は並々ならぬと推察いたします。полетимのような完了体未来形には、文脈によって意志の意味が出てくることがあります。ただ、「見て来よう」というのは、意志(~するつもりです、(必ず)~します)のみならず、決意も含まれています。それと、「行って・・・・来よう」とあるのですから、往復も加味する必要があります。私の答えは、Дай слетаю в Москву, погляжу, что за Москва белокаменная.
дай (те) + 一人称単数未来形は、「~してこよう(か)、~してみよう(か)」という自分の意志、決意、覚悟を示す口語的用法。
Дай, тебе я сам надену.(俺が着せてやろう)
一方、дай(те), давайте + 一人称(単数・複数)未来形は、だれかのために助ける、行うということで、позволь(те), разреши(те)と同義。これはLet's(~しよう)という意味のдавай(те) + 一人称複数完了体未来形(不完了体不定形)とは違う用法である。
Давай я хоть картошку почищу.(ジャガイモの皮むきでもさせて)
Дай-ка, я перевяжу.(包帯してあげよう)
P.S. いろいろご配慮ありがとうございます。
Я полечу в Москву и посмотрю своими глазами красоту города Москвы с многими белыми каменными зданиями.
この目で見てやろう…勝手に書き加えてすみません…で白亜で有名なのですか?
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белокаменнаяは枕詞で、こういう枕詞がある以上、昔のモスクワは石造りが映えたのだろうと思います。モスクワのような固有名詞ではなく、普通名詞につきやすい形容詞を集めた辞典にСловарь эпитетов русского литературного языка, Горбачевич/Хабло, Наука, 1979があり、これなども和文露訳でどういう形容詞がつくことができるのかを知る一つの手掛かりになります。белокаменныйを白亜と訳していますが、厳密に言えば違うかもしれません。ただ日本語でも、このような枕詞的な形容詞で適当なのが思いつかないだけなので、いいのがあれば教えていただきたいと思います。
完了体未来形についてはブーチャンさんのところに書きましたから省きます。посмотрюは付け加えることが、この設問では不可欠です。
Лечу в Москву и посмотрю снежную Москву.
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лечуは運動の動詞不完了体現在形の予定の用法で、ロシア語だけ見る限りは間違いではありませんが、設問の和文とは違います。лечуというのは、飛行機で行く予定だということで、意向というニュアンスも、決意というニュアンスは特にありません。カレンダーでそういう予定になっているという感じです。不完了体は未来形などで意志のニュアンスが出ることがありますが、それもその場の状況から~するつもりになるということで、その場の状況とは別に(勝手に)、行きたい気持ちになったので行くというニュアンスはありません。不完了体は場依存型で、完了体は場独立型というのはそういう意味です。枕詞についてはブーチャンさんのところに書きましたので省きます。