2012年01月25日
●和文解釈入門 第250回
花粉症ではないが、私にはハウスダストのアレルギーがある。それはこれまで買い集めたロシアの本のせいだと確信している。ロシアは湿度の低い国だから、防カビ剤など本に塗らないだろう。だから梅雨になると本にびっしり青カビらしきものがつく。ダニはカビも食べる。その死骸が私のアレルギーを引き起こすのだ。学生時代からチェーホフやドストエフスキーの全集を買い出したときに、やがてカビがついて、拭くと緑色になるの気がついた。防カビ剤をコーティングしたりしたがまるで効かない。そのうちに本の栄養分がなくなったのか、ひからびたのか、カビがつかなくなった。まったく1ページも読んでいないのに、表装を見れば、古本屋でも引き取りを拒否するだろうというぐらいボロボロである。
最近はインフルエンザも流行っているという。乾燥がインフルエンザ菌を増やすので、加湿器を使っている人も多いだろう。なぜ乾燥がインフルエンザを増やすのかについて、テレビで乾燥すると菌の水分が減って、体重が軽くなり、空中にフワフワ漂いやすくなるからであると解説していた。一番簡単なのはお風呂の蓋を取っておくのがよいというので、さっそく実行している。気持ち気分がよい(変な日本語という気もしないではないが)し、くしゃみが少なくなったような感じがするので続けているだが、菌のくせして、楽してダイエットというのが気に入らないという気持ちもなくはない。
設問)「彼が来るまで待っていた」をロシア語にせよ。
今晩は投稿できないので早めに
(お題)
彼が来るまで待っていた
Я его дождался(...лась).
動詞はアオリストか結果の現存だと思います。
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お答えだと、ずっと待っていて、待ったかいがあったということで、確かに結果の現存ですが、設問の方は、「待っていた」というのですから、たんに過去の「繰り返しか」、「過程」で、現在と関係がありません。例えば「ハチ公は〔毎日〕ご主人を待っていた」というの過去のは繰り返しでしょうし、「彼女を見かけたとき、彼女は彼を待っていた」は過程でしょう。私の答えは、Я ждал, пока он не пришёл.
相対時制である。この「来る」は「来るのを待っていた」の「来る」のように待っていた時点より未来の完了ではなく、すでに来たという動作の完了を意味しているから完了体過去形を使う。「待っていた」は過去の動作の繰り返し(渋谷のハチ公のように)か過程であるから不完了体過去形となる。またждать, подождатьはпокаの節に完了体未来形が来ればнеを省略できる。Подождите, пока он придёт.(彼が来るまで待ってください)
(1) Я ждал пока он не
придет.
(2) Я ждал до его
прихода.
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(2)のждать до + 動名詞(動詞由来名詞)の生格という構文はないと思います。問題は(1)です。日本語に書いてある通りに訳したように見えますが、この「来る」は「来るのを待っていた」の「来る」のように待っていた時点より未来の完了ではなく、すでに来たという動作の完了を意味しているから完了体過去形を使います。
またпридётと完了体未来形を使って過去の例示的用法を使えるかどうかですが、ждалが繰り返しの意味なら、それは規則的繰り返しであり、例示的用法の不規則な繰り返しとは論理的に矛盾するから使えないと思います。ждалが過程の意味であったとしても、例示的用法は「何かあったら」ということだから、事実の経過をそのまま記述している文と合わないので使えないと思います。
Я ждал его до прибытия.
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Я ждал его приезда.(彼が来るのを待っていた)という文は正しい文ですが、ждать до + 動名詞(動詞由来の名詞)の生格という構文は見たことがありません。
簡単なほど難しいので今日もどうなることやら…
① Я ждала до того, как он пришёл.
② Я ждала, пока он не пришёл.
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ждатьが従属節と用いられるのは、ждать, когда (что)(пока)ぐらいです。Она лишь ждала - кто следующий.(次はだれなのとだけ彼女は待っていた)も使えますが、疑問代名詞です。чтоは接続詞でも疑問代名詞としても使えますが、接続詞の場合(ждать, что)は強調する文での使用が多いようです。ですから2番目は正解ですが、最初のは不正解です。
Дождалась его.
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コーシカさんと同じで、待ち人が来て、そこにいるという現存ですから、違います。дождатьсяは場所との結びつきが強い動詞ですから、場所の副詞句なしに用いられるのはあまりないことです。これと対照的なのがожидатьで、これは待つという行為の内面的な心の動きに集中しますから、場所を特に文の中で用いるということは必要がないのです。
Дожидалась его.
"и"が抜けていました、不完了体を使います。
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これだと「彼が来るのを待っていた」ということで、この時点では彼は来ていないという理解しかできないと思います。繰り返しではない1回の待ち合わせということではдожидатьсяはждатьと同義と考えてよいと思います。