2012年01月24日
●和文解釈入門 第249回
電力は動力の一種だからмощностьであり、単位はKW (кВт)である。似た単語に電力量があるが、これはэлектроэнергияであり、単位はKWh (кВт・ч)と時間当たりである。電力料金は時間当たりなのでцена на электроэнергиюとなるので注意する必要がある。蛇の毒牙はядовитые зубыである。жалоというのは蜂やサソリの毒針であり、蛇の場合は二股に分かれた舌先をいう。昔はここから毒が出ると思われていたためである。
「冷やす」というのはохладитьだが、冷やして病気(風邪など)や病的な状態にするという場合はзастудить を使い、Плечо застудите!(肩が冷えるよ)などという。в один прекрасный день という句を見たら、「ある晴れた日に」と訳したい気に駆られるのは理解できるが、в одно прекрасное времяと同義で、однажды(あるとき)という意味である。訳が滑り過ぎないようにすることも肝心である。窓はокноだが、船舶や航空機の窓(舷窓)はиллюминаторという。
回数は単に数える回数なら10 разのようにразを使うが、マッサージ、催眠術、モデルのポーズ、上映など基本的に公開して行う催しものの回数はсеансを使う。сеансы лечебных процедур(治療の回数)とか25 сеансов рентгеноского облучения(レントゲン照射回数25回)となる。交渉ではраундを用い、второй раунд переговоров(2回目の交渉)となる。турも同じように使える。в первом туре анкетования(1回目のアンケートで)とか、В апреле 1980 г. был проведён второй тур (первый - в январе) повышения цен на бензин.〔1980年4月2回目(1回目は1月)のガソリン値上げが行われた〕、И только после пяти туров переговоров(たった5回の交渉の後で)、Начните повязку с двух туров вокруг головы.(手始めに包帯を頭に2回巻いて下さい)などである。
設問)「人のことはほっといてって言ってるでしょ」をロシア語にせよ。
Я тебе говорю, что
оставь меня.
--------------------------------
正しいようで、何か変ですね。чтоを取って、Оставь меня, я тебе говорю.なら正解です。私の答えは、Оставь меня в покое, тебе говорят.
不定人称文の特殊用法を使って、人 = 私を表現してみた。говорятの意味上の主語はяである。不定人称文は主語をぼかす用法で、意味的には受動態として使えることは説明済みだが、日本語の「人は人、自分は自分」や「人の言うことは聞くものです」の人(他人、私)の訳として使えると思う。もっと分かりやすい例では、(市場には行きたくないと人が言ってるのに)Не хочу идти на рынок, говорят тебе. があり、(〔人の話じゃ〕彼結婚するんだって)Говорят, он женится.とか、(すぐ行きなさい、人が待ってるよ)Идите скорее, вас ждут.がある。また、(お名前は?)Как вас зовут? の意味上の主語は二人称である。
Оставь меня в покое, говорю!
-------------------------------------------
正解です。
人のことはほっといてって言ってるでしょ
Я же говорила тебе, чтобы ты не вмешивался(...лась) в чужие дела!
問題文を見て思いついたのが次の文です:
Я же говорил, что 1-я страница копий должна была сверху.
コピーの1ページ目は上に来るって言ったろう。
(さとうさん『実践ロシア語会話』42ページ例文)
вмешиватьсяの語結合を確認すべく辞書を引いたところ
研究社露和にて下記の例文を発見:
Прошу не вмешиваться в мою личную жизнь.
私のプライベートな生活には干渉しないでください。
Не вмешивайтесь в мои дела.
ひとの事に余計な口出しはしないでくれ。
(研究社218頁)
これらを参考に組み立てました。
・体の選択について
なぜговорить?
恐らく話者には「これまで何度も言ってきたのに」と
繰り返しが念頭にあるためではないかと考えられます。
また事実の名指しも含まれているように思います
(сказатьを完了体過去で使って結果の現存にしても良さそうです)。
вмешиватьсяと不完了体なのは動作の否定に当たると思われます
(他のニュアンスを一切感じさせない強い意味)。
・чтобы
「干渉してくれるな」と願望が絡んでくるためчтобыを使っています。
・「人のこと」の数
気になること、その内訳もさまざまですから複数を充てております。
-----------------------------------------------
だいたいこれで意味は伝わるでしょうが、一番の問題は時制です。設問で「言っている」と書いているのに、お答えは「言っていた」で、これでは今現在の話ということにはなりません。вмешиватьは干渉するという意味で、設問の本来の意味とは同じですが、日本語の「放っておく」と、「干渉しない」の意味ぐらいの差というか、日常会話で娘が母親にはあまりこういう方はしないでしょう。この言葉から連想するのは、вмешательство во внутренние дела(内政干渉)という語彙です。
① Было говорено, чтобы не соваться в чужие дела.
「人のことはほっといてと普段からよく言ってるでしょ」 ととりました。例えば、人のことにかまって自分のことを何もしていなかった子供に母親が注意しているシーンなど。
② Ведь я тебя попросила оставить меня(в покое, в стороне).
相手とけんかをして、相手が何か言ったり行動を取ったりし始めた時に、私にかまわないでと振り切って言った言葉も可能かもしれません。その場合は、попросить で結果の現存ととり、言ったでしょというニュアンスになっているかどうか…不安ですが。
--------------------------------------------
これもコーシカさんと同様時制の問題です。設問は「言っている」と現在です。これを「言ったでしょ」としても意味上の違いはないでしょうが、それならЯ сказалにすべきです。говореноというのはすごいのを見つけましたね。私の持っている用例では、Салтыков-Щедринのに、Сколько раз было говорено, чтобы стакан этот убрать.(このコップを片づけなさいって何度言えば気がすむの)というのがありますが、150年前のものです。こういうのを現在の会話で使うのはどうかなと思います。用法は一括化かなという気はしますが、私の関心は現代語の会話の和文露訳ですから、こういうのは専門の学者の方にお任せしたいと思います。実戦的に使わないものは興味がないのです。
二つ目のは「だって放っておいてって頼んだわよね」という結果の現存で、切り口上のような気がしますが、これはこれで正解です。ただ会話ではговорю тебе (вам), гооврят тебе (вам) というように挿入語として使うのが普通で、研究社などにもそう書いてあります。個人的には、挿入語という考え方もできるし、不定人称文という考え方のどちらも可能だとおもいますが、挿入語とだけみると、不定人称文の特殊用法が理解できなくなるのではと思います。