2012年01月21日
●和文解釈入門 第246回
これまで何度もガムテープで補強したのだが、先日私の愛用している岩波露和辞典が、崩壊寸前で一見ミイラみたいになっているのに気がついた。出張用に岩波はもう一冊もっているとはいえ、岩波には少し休んでもらう事にして、しばらく気分転換に研究社の露和を使う事にした。何気なくсестьを見たら、「完了体сядьтеは命令、不完了体садитесьは促し、勧めを表す。садитесьの多用から、具体・特定的一回動作でもсадитьсяを使う事がある。同様な傾向はлечь, ложитьсяにも認められる」と書いてある。ラスードヴァ先生もびっくりの新説というか珍説である。この項は体の用法の大家である磯谷孝先生が書いたとはとても思えない。研究社の露和には他の分野の大家も書いておられるから、磯谷先生も強くは言えなかったのかもしれない。
ここで問題なのはなぜсадитесьが多用されるのかという理由が書いていないことである。またすぐ上に、Сядь поближе к свету(もっと明るいところにすわりなさい)と完了体命令形の例文があるが、これは命令であって、勧め・促しではないのだろうか?ロシア語もその訳も正しいのだが、この説明では用語として使っている「命令」「勧め・促し」の違いが分からない。лечьの命令形はляг(те)であり、ロシア語教師が「寝なさい」をロシア語で何と言うかなどとテストで生徒に嫌がらせに出す程度で、私個人はこの命令形を使ったことはない。こういうのを例にするならпроходите(奥へどうぞ)のほうがはるかによく使う。最近買った現代ロシア語頻度辞典Частотный словарь современного русского языка, Ляшевская/Шаров, Азковник, 2009で調べると、лечьは100万の文例で63.5回、проходитьは175.4回と3倍近い差がついている。頻度ランキングでもлечьは1899位なのに、проходитьは642位である。このようにこの動詞やこの用法は例外だと決めつけて、丸暗記せよというのはよくあることだが、19世紀のロシア文学偏重ということもあって、現代ロシア語、特に実際の会話を知らないからではないか?このコーナーや第233回の表を見てもらえば分かるように、例外ばかりなら、もはやそれを例外とは呼ばない。
さて岩波はというと、「Сядьте!(座れ)/Садитесь(おかけなさい)≪完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を表し、より丁寧な、柔らかい表現となる≫」とあるから珍説がないのはましとはいえ、説明は五十歩百歩である。丁寧な命令というなら、сядьте, пожалуйста = садитесьなのかという問いに答えられないだろう。こういう問いは初心者でも考えつくことであり、これではわざわざ完了体と不完了体の二つの体がある意味が分からないだろう。まさに辞書は語彙の語義を調べるものであって、文法書ではないのだから誤解を招く、ひいては文法書を読まなくなるような安易な注釈は書くべきではないと思う。ただ初級の参考書にも体の説明にはずいぶん怪しいものもあるようであり、単に紙面が限られているでは済まないような気もする。
設問)「彼には人を見る目がある」をロシア語にせよ。
(1) Он имеет зоркий
глаз.
(2) Он обладает
наблюдительностью
за людьми.
(3) Он умеет зорко
следить за людьми.
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(1) は「彼は炯眼である」で、何に炯眼なのかがないから不正解です。(2)のнаблюдательностьは日常の何気ない現象や事実からから本質的な細部を見分ける力ということですから 違うと思いますし、за (над) людьмиという語結合はないとは言いませんが、普通ではありません。この単語はこのような語結合なしに単独で使われると理解しています。(3)は注意深く観察する(見守る)能力があるということですが、見守ると見分けるは違います。私の答えは、Он разбитрается в людях.
Он понимает в людяхでも同義である。Он понимает людейでもよい。
>岩波ロシア語辞典
今なら市場に出回ってるみたいですよ:アマゾンでも新品が売ってます。
お近くの本屋さんで取り寄せられるのも良いかもしれませんね。
こちらでの投稿を通じて良くも悪くも日本語の辞書を疑ってかかるようになりました。
裏をしっかり取るようになれたのもさとうさんに鍛えていただいていればこそです。
(お題)
彼には人を見る目がある
1) Он имеет глаз на характеры человека.
2) Он умеет распознавать характеры человека.
・「…を見る目」
最初に思いついたのは2)の方です。
まさかと思ってглазも確認すると「眼力、眼識」の意味がありました
(岩波297頁、研究社366頁)。
露露にも下記の定義があり、日本語同様に使えるのではという感触を得ました:
Особая способность ви"дения; способность ви"дения, присущая человеку благодаря тому или иному занятию, профессию и т. п.
(科学アカデミー1巻313頁、глаз、定義2-2)
・「人」をどう訳すか
念のため広辞苑を引くと「人材」「人柄」の意味を確認できました。
今回はどちらとも取れそうなので、
より意味の広そうなхарактерと訳出しました
(личностьでは個人という意味が強すぎるように感じます)。
・「人」は単数か複数か
性格は人によってさまざまですから複数で
(人間の)を補っていますが、これは人間一般と考えて単数を使っております。
・体の選択について
иметьもуметьも不完了体しかないようです:
両方とも状態を表す単語ですから当然と考えます。
уметьが使えるとして、
その後に続く不定形はどちらの体かを辞書で確認してみました。
岩波、研究社とも不完了体のみが例文に挙げられておりました
(岩波2,047頁、研究社2,452頁)。
「見切る」と考えれば完了体かとも思いましたが
「人を見る」能力ですから、一度手にした才能は今後も備わったまま、
と考えて不完了体との結合が一般的であろう、と結論付けました。
мочьではなくуметьなのは、
人を見る目もやはり経験を通じて磨かれると思われること
распознаватьを充てたのは
人となりを見抜くには観察が不可欠、と考えたためです。
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岩波は2冊ありますから、もうこれ以上は要りません。ご回答ですが、目のつけどころがよいというか、たしかにглазも使えるのです。У меня на людей глаз верный.(俺の人を見る目は確かだ)とかУ неё намётанный глаз на посетителей их лавок.(彼女は彼らの店の客に対しては目が肥えている)と言いますから。問題はиметьという科学技術で使うような動詞は会話では使いません。英語のhaveの用法とは違うのです。у + 生格が会話ですぐ出るよう留意ください。それとхарактеры человекаだとその人の性格(しかも性格が複数ある)ということになり、У него глаз на людей.が正解です。
2)はраспознаватьは見分けるという動作だけなので、この意味では使いません。その証拠にпонять/понимать, разобраться/разбиратьсяはそれぞれ見出し語で出ています。これは完了体と不完了体で意味に違いがあるからです。そうでない動詞の場合は辞書の編集方針によりますが、どちらか一つの体で語義の説明をするのが普通です。
Он хорошо разбирается в людях.
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正解です。
Он всегда судит о людях быстро и правильно.
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судить = делать заключение, вывод; составлять мнение, суждениеと動作を示しています。つまりご投稿の回答だと、「彼はいつもすばやく、正しく、人についての意見、判断を下す」ということで、動作の繰り返しです。設問は状態、つまり能力です。結果的には意味は実質的に同じようなことなので、正解にしてもよいのですが、設問のポイントは動作か状態かということですからやや違うと思います。