2012年01月13日

●和文解釈入門 第238回

完了体未来形の例示的表現というのは、不規則な繰り返し乃至は似たように起こるであろう事柄を例示的に一つ挙げるか、またはそれを強調して示す(生き生きとした表現になる)という用法である。つまり起こるかもしれないし、起こらないかもしれないということで、「必要なら~する」という表現は例示的表現のように見える。例えば(必要なら4時間の間隔をあけてもう一度注射をして下さい)При необходиимости инъекцию повторите с интервалом в 4 часа.などである。しかし不完了体現在形が来る場合もある。(必要なら輸血しなさい)В случае необходимости делайте переливание крови.これは必要なら何度でもという規則的な繰り返しを念頭に置いているからであり、表現的には平板なものとなる。もっというと何度も起こるという確信があるときに使われると考えてよい。日本語の字面だけ見てではなく、動作の本質をイメージできるようになれば、つまり頭の中でそのシーンを思い浮かべる練習をすれば、こういうイメージだからこの体を使うのだという事が分かると思う。

 無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は対応の完了体が接頭辞のつくものの場合(прочитать, написатьなど)は補語が絶対に必要だが、無接頭辞単純動詞は必ずしも補語を必要としないし、意味や使われる範囲も対応する完了体と比べて広い。

 否定文の場合は可算名詞が否定されときは複数生格が普通である。医療関係でいえば、(X線写真では病変は認められない)На рентгенограмме патологических изменений не обнаружено.などと言う。また疑問文でも有無を聞くときは、あるかどうか、複数か単数かわからないので念のためという事なのか知らないが複数形を使う。(麻酔の後に合併症を発症しましたか?)Были ли осложнения после наркоза?

設問)「これにはもう驚かなくなった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年01月13日 07:14
コメント

(а) Я уже стал этого
больше не испугаться.

(б) Это же уже меня
не пугает.
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(а)のстал не + 不完了体動詞というのは、動作を否定しておいて、それが始まるというのですから論理的に成立するのが難しかろうと思います。стал не только + 不完了体動詞, но + 不完了体動詞とか、стал не + 不完了体, а + 不完了体動詞ならまだ分かります。これなら次の動詞に意味の比重が移っているからです。多分не стал + 不完了体動詞であれば、意志の欠如ですから「驚くつもりなぞなかった」ということで設問とは違い、これを避けるための苦肉の策かもしれません。(б)は発想の転換で、これはこれでよいと思います。私の答えは、Этому мы уже и удивляться перестали.

Posted by カレヤンカ at 2012年01月13日 08:26

Я уже перестал этому удивляться.
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これはすごい。正解です。

Posted by メイ at 2012年01月13日 17:30

Этому уже перестал удивляться.
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正解です。

Posted by Ml at 2012年01月14日 00:14

前回の自分の回答に対する更に詳しい内容を
本文にてまとめていただき、感謝いたします。
時間を見つけて例示的用法を「使ってみよう」で練習するつもりです。

これにはもう驚かなくなった
Этим уже не удивишь меня.

ЗиРの例文を参考にしました(803頁、удивлять)。
一般人称文は不完了/完了の両方の体を取るようです(城田俊『現代ロシア語文法』381頁)が
この例文はなぜ完了体を取っているのか考えてみました:
「驚く」というのは予想外の出来事に対する個々の場面での反応であり、
長期ないし習慣的な事柄ではありえないため、と思われます。
また、これが自分を驚かせるのはもはや不可能、という意味で
完了体による不可能を表す文(第233回のn)、という側面もあると考えます。

「もう」はещеかужеか迷ったので露露を確認。
後者の方が完了の意味が強く出るようなのでこちらを使いました
(オジェゴフ153頁、еще;科学アカデミー1巻、468頁、同)
(オジェゴフ676頁、уже;科学アカデミー4巻、473頁、同)。

さて、正解は
な~るほど
「これに驚くのをもはや止める」と考えるんですか!
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ご回答は「常に俺はこんなことではもう驚かないよ」という意味でぴったりとは言えないかもしれませんが、正解と考えてもよいと思います。これはне + 完了体で現在時制(不可能という動作の一般化)で不可能を示すからです。これは非常に古い用法であり、完了体の根源的用法で、諺にも多用されます。第121回本文にБондаркоのТеория морфологических категорий и аспектологические исследования(形態的範疇理論および体の研究), Языки славянских культур, 2005によれば、歴史的現在という用法は18世紀末までは完了体未来形で行われ、それ以降は衰退し、その後不完了体現在形が用いられ現在に至っていると書きました。しかし現在時制の不可能を示す用法として今も使われています。
  ещёとужеは同義語ですが、ニュアンスの差はあります。難語辞典Словарь трудностей русского языка, Русский язык, 1981で説明すると、時間関係では、ещеは動作や状況が現在も続いているということで、ужеは現在までにすでに完了したというニュアンスです。На дворе ещё темно.(外はまだ暗い)とНа дворе уже темно(外はもう暗い)、Дети ещё спали, когда вернулся отец.(父が帰って来たときに子供たちはまだ寝ていた〔帰るのが早かった〕)とДети уже спали, когда вернулся отец.(父が帰った時にはもう寝ていた〔帰るのが遅かった〕です。
 場所の関係では、Ещё издалёка они махали нам платком.(まだ遠くから彼らは我々にスカーフを振っていた〔彼らはこちらの方に向かっている〕)とУже издалека они махали нам платком.(もう遠くで彼らは我々にスカーフを振っていた〔彼らはこちらから離れていっている〕。
 しかし期待していたより早めに時が到来したという意味では、全くの同義語です。Ещё (Уже) вчера это было известно.(夜にはもうこれは分かっていた)

Posted by コーシカ at 2012年01月16日 00:16
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