2012年01月19日
●和文解釈入門 第244回
休暇は個人がバラバラに取るのはотпускであり、学校の夏休みや冬休みはканикулыである。だからканикулыは一斉に取る休み(一斉休暇)に使える。例えば(議会休暇)парламентские каникулы、(クリスマス休暇)рожденственские каникулы、(復活祭の休暇)пасхальные каникулыである。
ледоходはдвижение тающего льда по течению рекиなので、流氷と訳すのは問題である。流氷は河口から海を流れるもので、これはдрейфующий лёдであり、ледоходは解氷である。流行はмодаであり、мода на мускулы(ムキムキマン流行)というが、ファッションではなく一時的に勃発的に起こる流行は、たとえば(密造酒の流行)всплеск самогоноваренияなどとと言う。リーダーは(党指導者たち)партийные лидерыなどはлидерでよいが、動物や鳥の群れのリーダーはвожак(先導者が原意で、人間に使う場合は大衆指導者という意味もある)である。лидерにはヤクザの組長という意味もある。
証明書は、身分証明書、全権委任書、権利関係はудостоверениеといい、出生、婚姻、死亡、健康状態、学歴関係はсвидетельствоという。それ以外の証明書はсправка о местожительстве(居住証明書)などで、俗語ではкорочкаという。対立はпротивостояниеで、これは立場の違いという感じであるが、конфронтацияとなると同じ対立でも、思想や社会体制の対立で和解できないような対立である。
в середине は時間的にも場所的に等間隔のところにあるということで、(昼の中ごろに戻って)вернувшись в середине дняとなる。на середине + 生格はостановитьсяやпроисходитьという動詞と共に用いられ、「途中で、中途半端に」という意味であり、(今となっては中途半端にやめることはできない)Теперь уже нельзя остановиться на середине.のように使う。伝説にはлегенда、предание、поверьеがあるが、преданиеは言い伝え、口碑ということであり、поверьеは迷信に基づいた言い伝えということである。
設問)「彼は私たちの(大学の)3年で教えていた」をロシア語にせよ。
Он преподавал на
третьем курсе
нашего университета.
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正解です。私の答えは、Он у нас на третьем курсе читал.
大学における学年はкурсを使う。школа(小中学校)の学年はклассである。「教える」も大学の場合はучитьではなく、читатьであり、単に教えるという意味では補語も取らず、対応する完了体もない。читать лекции (лекцию) по + 与格 в университетеは大学で「~(具体的な科目)の」講義をするという意味になる。この意味でпреподаватьはпреподавать в школе〔小中学校で(в институте単科大学で, в университете総合大学で)教える〕と使える。читатьも補語を取ると、教える内容が具体化し、читать лекцию по русской литературе(文学を講義する、文学の講演をする)となる。
Он преподавал у нас на третьем курсе.
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正解です。
Он преподавал на нашем третьем курсе.
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正解です。
彼は私たちの(大学の)3年で教えていた
Он преподавал в нашем третьем курсе.
・(大学で)教える
専門性が高いですから、意味の広いучитьよりも
преподаватьが適すると考えます
・体の選択
過去の事柄と思われるので完了体過去でアオリストが適すると思います。
しかしながらпреподаватьに対応する完了体がないと考えられることと
(преподатьでは意味が変わってしまうように思います)
「教える」というある一定期間に及ぶ過程であることを考慮し、
不完了体過去形を充てております。
・わたしたちの
нашを使いましたが、裏は取れていません。
у насでも良さそうですが、それぞれどう違うのか、これからの課題です。
さて、正解は
あ~やってもた
курсはнаを取るんですね。
せっかく単語までたどり着いたんやし例文ももっとちゃんと見なあかんなぁ…
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この設問は未完了(過去進行形と言い換えてもよい)か動作の名ざし(~したことがある)であり、不完了体過去形しか来ないと思います。ただアオリストについてはいい点をついていますが、アオリスト基本的に過去の一点です。無論в период с 5 по 10 января とかв 1963 - 64 г.г.というのもアオリストとしてツ会われますが、期間を一つのまとまったものと考えているのです。設問は「教えていた」で、この教えるというのは、普通ある程度の期間を想定するものです。そのためアオリストとはなりえませんから不完了体過去形を使うのです。他に未完了その1としています)としていくつか不完了体過去形を使ったものをいくつか第233回の表に挙げており、その中に(彼が入って来たときに私は手紙を書いていた)Я писал письмо, когда он вошёл. があります。これなども過去進行形(~していた)ですが、彼が入った時という過去の一点(だからвошёлとか完了体過去形が来ている)対して、私の動作はそのとき継続中だったということを述べているので不完了体が使われているわけです。同じ一点でも、進行中の一点なのか、動作を切り取ってみての一点かが、不完了体と完了体の使用の分かれ道です。