2012年01月31日
●和文解釈入門 第256回
モルタルというのはセメントと砂とを水で練ったもので、レンガ積みのつなぎ(目地шов)、壁・天井・床に使うのだが、ロシア語では(строительный, цементный) растворという。ただрастворというのはふつう溶液ということで液体である。一度モルタルを塗った壁の説明をしていた時に、ロシア人の女性からさとうさんの通訳はおかしい。これがрастворのはずがない。なぜなら乾いているからと言われてギャフンとなった。無論そのロシア人の言う事が間違いだが、そういう発想ができなかった自分にも驚いた。растворと聞けば、壁ならモルタル、化学分野なら溶液と条件反射のように訳が口をついて出てくる。語彙というのは自動翻訳機のようにロシア語から日本語、日本語からロシア語が瞬間的に出るようにこの40年訓練してきたが、それではロボット志願ではないか。いずれ自動翻訳機もできてくるだろうから、機械と張り合っても勝てる道理がない。ロシア語も挨拶や技術などの専門語彙のように、訳が決まっているものだけを覚えるのではなく、ロシア語やロシア人の本質に目を向けるというか、そういう勉強をしたいものだと思う。私はそれが体の用法だと思うし、不完了体が自然体を表すというのも、ロシア人の本質に関わるのではないかという気がする。
モルタルについていえば、ソルジェニーツィンの収容所列島にНосили раствор на 4-й этаж носилками.(モルタルを4階にもっこで運んでいた)という表現を見つけたのはつい最近のことである。
設問)「彼が来ないとも限らない」をロシア語にせよ。
1) Необязательно, что он не придет.
2) Вовсе не значит, что он не придет.
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1)は「彼が来ないとは必ずしも限らない」ですが、необязательноがそのまま節を取れるとは思えません。необязательно думатьとした方がよいと思います。2)は「彼が来ないということを全く意味しない」となり、вовсеは否定の強調ですから不正解です。Не вовсеとすれば部分否定ですが、現代語では廃用です。
私の答えは、Не исключена возможность, что он придёт.
今回の設問は二重否定と部分否定を組み合わせたものである。一つの考え方としてはисключать возможность + 生格 = считать маловероятнымは「可能性を排除する」ということで、「まあ(ほとんど)ありえないと思う、まあないとおもう」となり、これを受け身にしたものである。設問の日本語は「ことによったら彼が来るかもしれない」、「彼が来るかもしれない」、「彼が来るというのはおおありだ」、「彼が来る可能性なきにしもあらず」としても同じである。
「なくはない」は「ある」ではないから、そう言いたければ、「(そういうことを)排除しない」を受け身にして、не исключён (не исключена, не исключено. не исключены)という表現もある。これはЭто исключается.(それは問題外だ〔反復、事実の一般化〕)〔「問題外」はОб Африке почти не может быть речи летом.(アフリカは夏はほとんど問題外だ)という言い回しもある〕とか、Это исключено.(それはありえない)、Это почти исключено.(ほとんどありえない)から、Это не исключено.(そういうこともなくはない〔潜在的可能性、期待のニュアンス〕)と発想が展開するのである。исключено がневозможно, немыслимоという意味の時はисключать/исключитьにそういう意味がないので、論理的に能動態に直せないが、「除名する」という意味なら可能なので、(彼は除名されなかった)Его не исключили.は、完了体動詞過去形の否定だから期待のニュアンスというか、潜在的可能性が出てくるはずであり、Он не (был) исключён.が潜在的可能性を示すのも理解できる。ちなみにбылがつけばアオリストであり、なければ結果の現存である。
Не можно сказать, что он обязательно не придёт.
いかがでしょうか。
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発想はよいと思いますが、можноの否定не можноは使えません。невозможно, нельзяを使いますが、нельзя + 完了体動詞 で不可能を表すのが一般的です。そうすればНельзя сказать, чтоで「彼が必ずしも来ないとは言えない」となり、ロシア人には通じるでしょうが、かなり回りくどい言い方です。
モルタルがらみの理解の違いがおもしろいです。最初セメントと水と砂(?)を混ぜた時には確かにどろっとした液体ですし、既に乾いた壁から液体は想像できませんから。
① Он может прийти.
② Возможно, что он придёт.
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発想を単純化したものです。言わんとすることは同じですが、正確に訳そうとすれば、 Он может прийти и может не прийти.とすべきですが、これだとくどい感じがします。世の中には「なくはない」という表現を好む人がいて(私は違いますが)、こういう人は設問を「彼は来るかもしれない」と訳せば違うというでしょう。つまり「彼は来るかもしれないし、来ないかもしれない」と訳すべきだという考え方です。通訳に関して言えば、あまり単純化すると、訳の時間が短かくなるわけで、ロシア語が分からない人にも、訳を端折っていると誤解されかねません。
彼が来ないとも限らない
Он может прийти.
辞書でмочьを引くと、岩波も研究社も似た例文が出ていました
(岩波885頁;研究社1,038頁)
・体について
мочьはなんで不完了体なんやろ、と考えました。
可能性が”ある”、ということを指すので不完了体なのではないか、と思われます。
完了体にしてしまうと未来の否定になってしまうような気がします。
прийтиの方は完了体で、可能性を表していると考えます。
辞書の例文でも、不完了体を使った場合は
彼は来なくてもよい、など
行為そのものを否定している例が挙げられていました。
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мочь + (не) + 完了体は予想・懸念「(しない)かもしれない」に用いられます。これについては拙著「アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法」に書いておきました。ご回答は、「彼は来るかもしれない」ですから、本質的な意味では正解ですが、ストレートすぎてニュアンスが伝わらないかもしれません。