2012年01月09日

●和文解釈入門 第234回

この40年ロシア語をやって得得した体の用法の要諦は、不完了体は自然体(自然の感情の発露)という事である。その検証用にと思い、第233回の表を作って見たわけである。私のこれまでのロシア語の勉強法は初級・中級の勉強をし、慣用句・諺・熟語をおさえ、仕事で使う技術ロシア語や観光ロシア語をするために文例を集め、その暗記に努めた。今にして思えば、当時これしかロシア語をマスターする道はなかったとは思うが、非常に効率が悪い。20年、30年と時間がかかり過ぎるのだ。

 会話を実戦レベルまでできるだけ早く挙げることができれば、仕事にも使えるし、ロシア人と話もでき、何よりもモチベーションができる。だから一番難しい体の用法を初級の文法を終えた時点で、ロシア語と日本語の時制の対比をしながら徹底的にマスターさせれば(その過程で体の用法に関連した例文を覚えさせる)、語彙の暗記などは一人でできるものである。ロシア語を習得する上で、自分は日本人だから日本語は完璧であり、ロシア語と日本語を別々に考える人が多いようだが、頭の中で遅速の別はあるにせよ、常に日本語からロシア語、ロシア語から日本語へと解釈しているわけである。常に二つの言語の違い、特に時制の現れ方の違いに留意する必要がある。

 体の用法を会得する一案として、第233回の表の文例にある日本語の部分について、どちらの体でどの時制を使うのかをまず自分だけで考えて、次にある露訳を見て正解かどうかみるのである。これを繰り返せば、短期間(1週間とか1カ月とか)で体の用法の本質が分かると思う。問題は理解したかどうかの検証である。それには(本人が納得するまで)1年ぐらいはかかるだろうが、時間的に見れば非常に短いと言えるし、そうなれば根をつめてやらなくても気軽にやればよい。

 ロシア人が外国人のロシア語を聞いて、まずおかしいと思うのは体の用法である。これはラスードヴァ先生の参考書にもあるし、我が国でロシア語を教えるロシア人の先生方の話でもそうである。語彙を増やせば何とかロシア語の話は分かってもらえるが、体の用法だけは自分で意識して勉強しなければ一生不十分な理解のままである。

 例えば一からロシア語を初めた人が、初級の文法を終えたとしよう。つまりNHKのラジオ講座を半年一生懸命聞いて本文を全部暗記したとして、その人に和露辞典を与えて、このコーナーの短文の和文露訳をさせたとする。基本的には主語は主格であり、動詞、直接補語(普通は対格で日本語の「~を」に対応する)、間接補語(与格で、普通は日本語の「~に」に対応する)、場所の副詞句(方向なら対格、所在なら前置格)、時間の副詞句で作れるはずだ。ところがロシア人が分かるような文は簡単には作れない。無論類義語についての記述が和露辞典にほぼないということも大きな問題だが、それ以前の問題、体の用法を理解していないから、どの体、どの時制を使えばよいのかが分からないのである。もっと問題なのは誰も教えてくれないから体の用法の重要性が分からないということである。

 ロシア語の本質は体の用法であり、これをマスターすれば、日本語の小説や新聞などを読んでいても、ロシア語にしようとする場合、語彙は分からなくても、ここはどの体を使うべきかが分かるようになる。そうなれば後は語彙を増やすだけでロシア語はマスターできることになる。体の用法の本質が分からないままに語彙だけ覚えても、それは枝葉であって、いつまでもロシア人から変なガイジンロシア語を話すと思われるばかりであり、いくら通訳しても日本語のニュアンスも完全には伝わらないし、ロシア語のニュアンスも完全には分からないままで一生終わることになる。それではロシア語をやった甲斐がないと思う。
 だれか初級者か中級者で、この表を使って体の用法の奥義を会得して、私のこの説を証明してくれるような奇特な人はいないものかと切に願う次第である。

設問)「自分のすることをしたら帰れ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年01月09日 06:34
コメント

(а) Сделай свое дело
и иди домой.

(б) Убирайся когда
было сделано свое
дело.
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今回の設問は未来において二つの動作のうちどれが時間的に先行するかをどうやって示すのか、つまり相対時制という問題です。(а)はすることをまだしていないということで、正解ですが、動詞の出てきた順番通りでしょう。つまり完了体未来形が時間的に先に来る動作を示す役割を果たしていることになります。(б)はすることはしたのだから、とット失せろという意味ならまだ理解できますが、もしそうなら設問は「することをしたのだから帰れ」となるはずです。それとУбарайсяとкогда (посколькуとかтак какと理由を示す接続詞の方が自然だと思います)の間にカンマを入れるのが普通です。ただ(б)を私の答えと同様、相対時制と考えた場合、それは成り立たないと思います。なぜならкогдаは同時性を示すので、когда 以下には不完了体が普通です。もし完了体未来形が来れば例示的意味になります。Когда он увлечётся работой, он только думает о картине.(彼は仕事に夢中になると、絵のことしか考えない)などです。私の答えは、Сделал своё дело – уходи.
二つの動作のうち時間的に先行しているのをどのように示すのか、つまり相対時制の問題です。通常は完了体未来形が時間的に先に来るものを示し、その後に来るものには不完了体を使う。しかし時間的に先に来るという点を強調する意味で、完了体過去形を使う場合もある。私の回答例がそうである。これは日本語とも似ている。ただ私の回答例は、文脈によっては「自分のしたことをしたのだから帰れ」という意味にも取れる。

 уходиと不完了体が来ているのは、すぐにではなく、帰るまでにある程度の時間がかかるのと、いつ帰るか不定だからである。それと、このように「とっとと失せろ」というようなニュアンスの暴言には不完了体が使われる。これは促しが強い催促や切迫になるということで理解できる。

Posted by カレヤンカ at 2012年01月09日 07:26

昨夜はmy PC からSkypeを4時間もやっているやからが1名いてとうとう投稿できませんでした。今日はなんとか自分のPCからSkypeができるようになったもよう。
第233回の詳しいまとめをありがとうございました。さっそくゆっくり読ませていただきます。この表を使って正確なロシア語会話ができるよう頑張りたいものです。なんとか仕事をさがしてみようと思索中です。

Уйди после того, как сделано свое дело.
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ロシア語業界にとっても未曾有の不景気ですが、(尋ねよ、さらば見出さん)Ищите и обрящете.とかНа ловца и зверь бежит.(これは飛んで火に入る夏の虫という意味ではなく、求めよさらば与えられんとか、意志あるところに道は開けるという意味です)という言葉もあります。お互いに頑張りましょう。さてご回答ですが、これだと時間の流れから見て不思議な文です。もうすでに成すことは済んだので帰れというなら意味は通りますが、そうだと理由を示す接続詞にして、будетが必要でしょう。それとуйдиだとここから去りなさいということで、怒りのニュアンスとかは出ません。

Posted by メイ at 2012年01月09日 22:02

1) Ты закончил свои дела, а теперь иди отсюда.

2) Если ты закончил свои дела, иди отсюда.
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ご回答は「1) 自分のしたことをしたのだから、ここから立ち去れ」「2) 自分のことをしたのなら、ここから立ち去れ」ということですが、設問はこれからすることをしたら、早々に立ち去れということで、未来の時制の文です。1) についてはа теперьがなければ時制の転用(完了体過去形で未来完了の意味を持たせる)と考えることもできます。2) については時制の転用ということで使ったのならなら正解です。ロシア語には未来完了形がないので、完了体過去形をこのように使って、意味を明確にする場合もあります。

Posted by Ml at 2012年01月10日 00:40

自分のすることをしたら帰れ
Выполни твое задание и вернись!

不完了体を使う理由が見当たらないので
消去法で完了体命令を使いました。
さて、正解は
相対時制ですか。どこかで聞いたような初めて聞くような…
明日また文法書に当たってみます。
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設問の日本語はよく理解しています。ただこのように完了体を続けてしまうと、順次的用法のような感じになり、動作が次々と起こっているような感じがします。それとвернись!という完了体では罵り言葉のニュアンスは出ません。そういうつもりがなくて、単に帰れというならこれでもいいのですが、未来完了について理解していてもその運用にもう少し勉強の余地があると思います。一番問題なのは消去法でというところで、体の用法の本質を理解していないからとしか言いようがありません。完了体と不完了体の違いということをいつも頭に置けば、何らかの試行錯誤で、ぼんやりとした何かが浮かぶと思います。

 「見たら返すよ」と「見たから返す」という二つの文では、前の文が未来完了(日本語の文法で正確に何というのか知りませんが)で、未来での動作の完了を示しているのはお分かりだと思います。二つ目の文は見る動作が完了していることを示しています。他の投稿者の回答では、「した」という文字の字面だけで過去と決めつけているように思います。通訳ではある程度自動的に訳していかないということは理解できますが、このような日本語の本質的な時制の違いということにも目を向けてもらたいものです。

 さらに、「明日学校に行ったら、佐藤さんに聞いてみる」
「明日学校へ行くなら、佐藤さんに聞いて見る」という二つの文で、最初の文は学校に到着する動作が先で、その後先生に尋ねるという動作が来ます。佐藤さんは学校にいるわけです。ところが二番目の文では、佐藤さんは学校ではないどこか(今この文を発話しているところ)にいるということになります。二番目の文では学校へ行くという動作は完了していません。このように未来完了のときは日本語でも「~した」という過去形を用いるのです。原求作先生が書いているようにロシア語には未来完了がありません。それで未来完了には完了体未来形と不完了体を組み合わせるか、完了であることをより明確にさせるため、完了体過去形を用いるのです。

Posted by コーシカ at 2012年01月11日 02:58
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