2011年07月31日

●和文解釈入門 第82回

キリスト教が日本で普及していない理由(キリスト教各派を合わせて信者数200万人程度)は、キリスト教のような一神教において当然と見なされる他の宗教を排撃するという考え方が日本人のそれとなじまないという事や、先祖を大切にする日本人にとって、ザビエルが主張したキリスト教に改宗しなかった先祖は地獄に堕ちる、つまりキリスト教に改宗した者だけが救われるという考え方についていけなかったという事ではないかと思われる。
道の「カーブ、曲がり」という意味ではповоротが一番普通であり、лукаやизлучинаも使えるが、これらは川に使うのが多い。петляはкрутой проворот(急カーブ)のことで、серпантинはつづら折り(山道で急カーブが連続するところ)であり、коленоは一つの曲がりから次の曲がりまでの区間от одного поворота до другогоを指す。виражというのはオートレース場などの傾斜のついたカーブの事である。
設問)「列車は23時ちょうどに7番ホームから発車します」とアナウンスが聞こえてきた。このカッコ内の和文をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年07月31日 05:14
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(1) Поезд отправляется ровно
в 23 часа с платформы
№ 7.

(2) Поезд отходит
ровно в 23 часа с
седьмого пути
(перрона).
---------------------------------------
どちらも正解ですが、実際に駅のアナウンスで聞くのは(2)のほうだと思います。私の回答は、Поезд отходит в 23 часа 00 минут с 7-го пути.
この場合は不完了体現在形の予定の用法。列車などの出発に使われる場合отходить, отъезжатьは構内のアナウンスで使われるような硬い用法である。

Posted by パラショーノク at 2011年07月31日 06:53

(訳)
列車は23時ちょうどに7番ホームから発車します
Поезд отправляется в самый 23 часа с 7-ой платформы.

お、銀河?(←違います)
今や花の都・大東京でさえ、発着する夜行は
カシオペア、北斗星、あけぼの、サンライズ[瀬戸・出雲]
の5本のみになってしまいました。
全国寄せ集めても上記5列車に
はまなす、トワイライトエクスプレス、日本海、きたぐに
の4本を加えて、わずか9本のみが定期運行。
時代の流れとは言え、寂しい限り…

それはさておき
・отправляться は不完了体現在で未来を表わせる動詞なので不完了体で使いました
 (ЗиР では完了体現在での未来の例文が載っとったけど気にしない気にしない:464頁)
 (国産辞書は不完了体現在形での来を例文として採録しておりました:
 研究社1,371頁、岩波1,159頁)。
・時はどうやら в+対格を取るようです、危ねぇぇ
・платформаが女の子だとは露知らず。危うく с 7-го платформаとやるところでした。
・на платформеで「…番線で」となったはずなので
 「…番線から」は с платформы となります:
 в を取るものから離れる時は(内から外へとなるから) из、
 на を取るものからは(表面から離れるから) с 、と記憶しております。

さて、正解は…
「…番線」は путь を使うのですか。
そう言えば地下鉄でもそのように言っていたような気がします。
回答に当たって第10回を復習し、отходить, отъезжатьも目にしており、
嫌~な予感はしましたが、あえて一般的(と思える)語で挑んでみました。

>キリスト教が日本で普及していない
>(キリスト教各派を合わせて信者数200万人程度)
曲がりなりにもクリスチャンを続けてきて思うのは
日本人は日本的にしかキリスト教を受け容れられないし、そうでなくては嘘だ、
ということです。
自分を省みても、クリスチャンとして譲れぬ一線はあるものの、
それ以外の点では仏教や神道その他の宗教との共通項をむしろ強調し、
世界認識の枠組みが若干異なるだけですよ、という点を強調したい
と思う点などは、日本人的な信仰の在り方かな、と思います。
布教に携わっているとロシア人に会うこともたまにあります。
彼らの多くは正教徒で、
どの宗教も最終的に至るところは同じ、とまるで日本人のようなことを言います。
ロシア人もやはりロシア的にキリスト教を理解しとるんやなぁ、と感じる瞬間です。
キリスト教は本来、いえ一神教はユダヤもイスラームも本来、懐が深いはずなのですが、
最近は(文明の衝突論など)狭量ばかりを際立たせて、実に嘆かわしい話です…

しかし、キリスト教は義に殉ずるところがあって
そういう意味では赤穂義士とかと同じく、日本人受けする要素があるはずなんですが…
宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』、三浦綾子『塩狩峠』などなど。
特に宮沢賢治は生粋のクリスチャンでなく、聖書に造詣の深い日蓮宗の信者だったことに注目!

Posted by コーシカ at 2011年08月02日 01:22
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