2012年05月24日

●和文解釈入門 第370回

熱心な投稿者のおかげでこのコーナも続いているが、この2年間にわたる体の研究の自分なりの成果と投稿者からのフィードバックを参考にして、体の用法に基づく「和文露訳入門(仮題)」の原稿を第300回の本文などを中心に整理中である。出版の見通しは全く立たないが、シーザーのThere is a tide in the affairs of men.(物事には潮時がある)という言葉を信じたい。今のところ粗原稿でA4にすると100ページぐらいになっているので、このコーナーでは全部紹介しきれない。基本的には第300回の本文と同じだが、~参照というのを全て整理して、本文に組み込むつもりである。そうすればいちいち前の(それも複数あるものも多い)回のを見なくても済むし、第一説明が矛盾しているところも散見されるから、そういうところも直していきたい。第300回の本文にある不完了体未来形についての項は大幅に書き改めたので、それだけを下記に紹介する。それ以降の不完了体現在形による予定の用法は第345回を参照願う。それ以外は基本的に変わらないので割愛する。

 このコーナー他に書き散らした類語、書き散らしたがゆえに使う方も大変だろうと思い、エクセルでアイウエオ順に和露類語集として整理したら390の語彙となった。これも出版したいが、世の中すべて需要と供給である。ロシア語が不人気で、且つ景気が悪いのではどうしようもない。

     和文露訳入門(仮題)

はじめに
 (略)
 ラスードヴァРассудова О. П. 先生の「ロシア語動詞 体の用法」(磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の過去時制における体の用法という章の中に、「話し手の注意が、場所、時間、動作の主体に向けられている時には不完了体が必須となる」とある。これは未来の時制でも、動作の名指しに使われる動詞に制限があることを別にすれば、使えるのではないかと考えた。それとこれまでの40年にわたってロシア語に携わってきた経験と、自分でその間に収集した9万の語彙を吟味した結果から、体の本質を一言で言うなら、「不完了体は動作の名指しである」ということではないかと考える。ゆえに完了体は自動的にそれ以外ということになる。動作の名指しというのは動作の一般的(基本的)意味であり、それゆえ無色であり、何のニュアンスもつかない。それ自体ニュアンスがないのだから回りの雰囲気の影響も受けやすいということになる。Садитесь!(おかけください)も、座ると言う動作の指示があり、座るのがその場の雰囲気から考えて妥当であるということで、着手の意味が出てくるのだと思われる。不定法で不完了体が出にくいのは、不定法で使われる動詞は具体的な1回行為のために用いられることが多いから、無色な不完了体は使いにくいのだと考える。未来時制においても自分自身の色がないのだから、注目はそれ以外の補語に移るのは自然のことであろう。動詞に文の中心的意味(役割)が来ないから、不完了体未来形を使うというのはその意味である。不完了体はこのような控え目な性質のため、目立たないことで目立つ時以外は用法が分かりにくい、ある意味でカメレオンのようにも見えるのが不完了体なのだと思う。(以下略)

第2章 未来の時制

第1節 未来における不完了体の用法

1. 単一動作に用いられる不完了体未来形
1-1 未来における動作の有無の確認
 動作の名指し(動作の有無の確認)の意味がよく分かりやすいのが疑問文である。会話でその動作がこれから起こるのかどうかを確認するときにこの用法が用いられ、そのため口語的表現とされる。動作の有無を尋ねるだけであって、完了体のような叙想的ニュアンスがない場合に使われる。次の文でも聞き手は注文するかどうか、お迎えの人が来るかどうかを単に聞いているだけで、注文してもらわなければ困るとか、来なければ困るというニュアンスはない。

(塗料をご注文なさいますか?)Вы будете заказывать краски?
(〔空港や駅などで〕お迎えがいらっしゃいますか?)Вас будут встречать?

 似たような意味にВы хотите заказать краски? と不定法を使うと、具体的な動作を示す完了体不定形が来ることに注意。この場合は欲求(~したいと思う)という叙想的ニュアンスが加わることになる。同様にсобиратьсяを使って、意志(~するつもりです)という叙想的ニュアンスを加えてもВы собираетесь заказать краски?と完了体不定形が来る。これで分かるように完了体というのは、動詞本来の語義に叙想的ニュアンスを付加するときに使われるのである。
 また、これから行われる(ないしは行われない)動作が問題となっている以上、動作の有無の確認に意図というニュアンスが加わるのは当然とも言える。

(〔地下鉄などで〕お降りになりますか?)Вы будете выходить?

 現実的には地下鉄において動作の有無を尋ねるという動作よりは、予定の用法であるВы выходите?という会話が圧倒的に多い。車両の出口のそばに立っていたら降りるのは当然と考えるのが普通だからだ。

「お座りになりますか?〔電車、バスの中で〕」Вы будете садиться?

 выходить, садитьсяにしても語義に過程的ニュアンスがあるから用いられるのであろう。

1-2 動詞に文の中心的意味(役割)が来ない場合
 話し手の注意が、場所、時間、動作の主体、手段や様態に向けられている時には不完了体が用いられる。

(何をお飲みになりますか?)Что вы будете пить?
(何を召し上がりますか?)Что вы будете есть?
「今晩何をなさるおつもりですか?」Что вы будете делать сегодня вечером?

 これはレストランなどでよく聞く表現だが、文の中心的意味(役割)が動詞ではなく、чтоにあるから、つまり動詞は刺身のつまのようなものなので不完了体未来形が使われている。この他に考えられるのは、回りの雰囲気を読むということで、レストランに入ったら飲み食いするのは当然ということから不完了体が出てくるのだろう。さらに、二つ目の文で完了体のсъестьを使うと「全部食べる」という意味になってしまって、意味が違ってくるということなど、不完了体が使われるのは、不完了体の出現を促すいろいろな要素がこのように複合的に絡み合っている場合もあると思われる。
 動作の有無の確認というのは動詞が叙情的ニュアンスを持たないということで、文中の動詞に文の中心的意味(役割)が来ずに、補語や主語に来るということになる。文の中心的意味(役割)がどこにくるかを見た方が、どの体を用いるかが分かりやすい。それゆえ、不完了体未来形を使うのは、動詞に文の中心的意味(役割)がないときというのを目印にしたわけである。刺身のつまのような用法で、不完了体の特徴である回りの雰囲気に合わせて動作を行うという意味の用法である。不完了体は叙想的ニュアンスのない、動作そのものを示す(叙実的なニュアンス)であるのが本義なので、既存の事実の有無の確認という概念の延長上にある用法であろう。つまり、この用法は過去時制の不完了体過去形の動作の名指しの用法や不完了体命令法の着手の用法の類推から、未来時制の動作の名指しの用法(未来の動作の有無の確認)となったものだと思われる。
 未来における動作の有無の確認だから、文脈によっては、意図(~するつもりである)という風に理解されることもあるが、こういう不完了体の意図の用法は完了体のような新しい事態の生起というような叙想的ニュアンスはない。回りの雰囲気や状況を無視して、勝手に「~するつもりです」とは使えないのである。「止まれ、撃つぞ」Стой! Стрелять буду! という文は意向を示す文だが、「止まれ」が中心的意味を持っているのは明らかであり、それゆえ不完了体未来形が来ている。

(何に乗ってお出かけですか?)На чём вы будете ехать?
(だれが歌い始めるのですか?)Кто будет начинать песню?

1-3 未来時制の動作の有無の確認(動作の名指し)に使える不完了体動詞(動詞の語義による)
 同じ文でも過去時制に事実の有無の確認に不完了体が用いられる場合、未来時制では体が入れ替わることがある。過去時制では動詞の制約は特にないが、未来の時制ではこの用法に使われる動詞は限られている。
(私は教授に会った)Я видел профессора.と(教授に会います)Я увижу профессора. や、(私は彼の意見を知っていた)Я знал его мнение. と(彼の意見を聞いてみます)Я узнаю его мнение. などである。
 この用法が使えるものは、まず第一に、無接頭辞単純動詞(гулять, делать, жить, играть, писать, пить, строить, читатьなどで本源動詞ともいう)である。これらは対応する完了体がない場合はもとより、対応する完了体がある場合でも、不完了体の方が使われる頻度がはるかに高いということもあって、比較的自由に使える。第二は動作の過程、持続性、延長性を示すことのできる動詞で、語義に瞬時的移動・変化を示すようなものを含むものは使えない。例えば、получатьは具体的なものを受け取る(ないしは「叱られるполучить выговор」など)という意味では、動作が一気に終わる(過程ではない)のでこの用法は使えないが、特典を得る、交付を受けるというようなある程度過程のニュアンスがある語義の時は使える。даватьは過程の意味では用いないのでこの用法には使えない。захватыватьも未来時制では「つかむ、とらえる」という繰り返しの動作(過程、持続性、延長性を考慮しない動作)を示すのでこの用法では使えず、完了体のзахватитьを使う事になる。

(彼は叱責を受ける)×Он будет получать выговор. → Он получит выговор.
(こういう助言をさしあげよう)×Я буду давать вам такой совет. → Я дам вам такой совет.
(パレルモはサイトの読者にスタイルに関する助言を与えます)Читателям сайта Палермо будет давать советы по стилю.(未来における繰り返し)
(太陽は2060年までに世界のエネルギーの50%を供給することになる)Солнце будет давать 50% мировой энергии к 2060 году.(未来における繰り返し)

 「どのように」というような様態を示す語句か、疑問詞が来れば(前述)、意味の主体を担わないという事で不完了体が使われることになる。この用法をよく示すものとしてещёとの組み合わせがある。この副詞があることで、繰り返しを暗示しているわけだから、言外に同じ動詞を二度使うというのと同じである。

(注意して作文を写します)Я буду внимательно переписывать сочинение.
(まだあなたに反論しますよ)Я ещё буду возражать вам.
(何を変えることができるかさらに調べてみます)Мы ещё будем узнавать, что можно изменить.
(夜もう一度薬を飲みます)Я буду ещё раз принимать лекарство вечером.

 仮に、同じ動詞が2度続けて使われたとしたら、最初は新しい情報の提示(新しい事態の生起)ということで、完了体の動詞が来るのが普通である。しかし、2度目の動詞はその動作について新しい情報を提示しない、つまり動作には主体的意味が来ないというわけで不完了体が出てくると言う事が言える。これは過去時制においてужеやоднаждыがあれば、動作の有無の確認を補強してくれるのと同じ発想である。
 質問があって、それに答えるとき、質問と同じ動詞で答える場合は、不完了体を使うというのは上記からお分かりだろうが、ロシア語では同じ動詞の繰り返しを避ける傾向があるので、動詞を言い換えた場合でも、その動詞は不完了体にするのが普通である。

(貨物はどのように納入されるのですか?)Как будут поставляться грузы?

 Какに文の中心的意味(役割)が来ているから不完了体が用いられているが、その回答である次の文でも、動詞が文の中心的役割を果たしていないので不完了体が用いられるのが普通である。

(鉄道で発送します)Мы будем отправлять их по железной дороге.

1-4 未来時制において動作の有無の確認(動作の名指し)の意味で使えない不完了体動詞

・状態の変化・発生を示す動詞 освождаться, преобращаться, становиться
 次のような未来における過程の意味では使える。
(有料教育はますます値段が高くなってゆく)Платное образование будет становиться всё более дорогим.
・瞬間的に成立する動作 брать, давать, изобретать, находить, получать
・無意識にもたらされる否定的結果を示すもの лишаться, ломать, разбивать, ронять, терять
・繰り返しのきかない単一的動作、意志的、非目的志向動作を示す動詞 видеть, выздоравливать, вылечиваться, погибать, поправляться, простужаться, рождаться, умирать, упадать

1-5 運動の動詞と不完了体未来形
 始発という概念自体は3つの解釈が可能である。一つは新たな事態の生起で、この意味は完了体が担っている。もう一つは予定、3つ目は動作の着手という回りの状況や雰囲気により行われるもので、後の二つは不完了体の領域である。露露辞典ではпойти/поехатьに別項目を立て、それぞれначать идти/начать ехатьと語義を与えている。つまりидти/ехатьには新たな事態の生起という意味での始発の意味はない。「行く」という一般的事実の意味か、過程の意味だけである。だからбытьの未来形 + идти (ехать)を使う場合に、例えば「薬局に行って来る」(新規の事柄、新たな事態の生起を示す)という露訳に、いきなりЯ буду идти в аптеку. とは使いにくい。動作自体が新規であり、動作が文の意味の中心であるような文なので完了体未来形を使う。

(薬局まで行って来る。薬局までは歩いて15分だ)Я пойду в аптеку. До аптеки я буду идти 15 минут.

 同じ動詞が二度使われる場合、最初のがふつうは新しい話題の提起(新しい事態の生起)であり、そうであれば二度目に使われる動詞は既知のものであるゆえに、中心的役割は果たすことはない。いわば刺身のつまのような用法だから不完了体を使うのである。ただ同じ始発でも予定であれば、それは不完了体現在形で示すことができ、(1時間後に薬局に歩いてゆく)Я иду в аптеку через час.となる。

 不完了体未来形がいきなり出てくるように見える文でも、例えば、

(普通列車でお行きになるのですね)Вы будете ехать в обычном пассажирском поезде.

 普通列車に文の中心的意味が来ているから不完了体未来形が使われている。

 レーニンの言葉とされる(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём. にせよ、行くという動作について何の前提がない(これまでとは違う別の道を行くということ)のだから、完了体未来形を用いる。つまり、そういう動作が起こる事が当然という意識がない以上、不完了体は使えないことが分かる。

(この場合は費用はすべて貴社負担となります)В этом случае вы будете нести все расходы.
 нестиも運動の動詞であるが、上記の場合は機能動詞(後述)であり、文の中心的な意味を果たしているのは、文脈によるが、вы(貴社)、расходы(費用)の方であって、нестиではないので、不完了体が来ている。

 「明日モスクワに立ちます」という文を露訳すれば、新しい事態の生起(新しい情報の提示)であるから、Завтра я поеду в Москву. と完了体未来形を使うのが普通である。Завтра я еду в Москву. と不完了体現在形の予定の用法を用いると、同じ日本語でもモスクワ行きを前から予定していたということになる。あまり言わないが、不完了体未来形を使ってみよう。ただし、завтраがあると出発するに意識が行ってしまって完了体未来形の領域なので、これを外して文を作ると、Я буду ехать в Москву. となり、「車や電車で(飛行機ではなく)モスクワに行く」というニュアンスになる。
 при-という接頭辞のつく運動の動詞は過程の意味がないので、この用法では使えないが、
(お降りになりますか?)Вы будете выходить?
(多分、年の暮れはあなたが会社から最後に帰ることになります)Возможно, накануне Нового года вы будете уходить с работы последним.

 上記のように動作の有無の確認で使うвыходитьや、動詞に文の中心的意味の来ない用法のуходитьは運動の動詞だがこの用法で使える。

1-6 否定的意図 → не + бытьの未来形(не + статьの未来形) + 不完了体動詞不定形
 これから起こる動作の否定の確認ゆえに、否定詞のнеが動詞の語義そのものを否定しているので不完了体未来形が来る。また不完了体本来の用法である、回りから依頼されたり、命令されたりという状況があって、その状況に合わせて、「~しない」ということで不完了体未来形が使われるとも言える。не стоит + 不完了体不定形(意味がない、値しない)の意味に近い。動作の否定の確認ゆえに「~するつもりはない」という意向の意味になる場合も多い。否定詞と完了体未来形の組み合わせは、不可能ないしは否定の強調の意味となる。не буду говорить とне скажуの違いは、前者が「言うつもりはない」という意志を示し、後者は「言わない」という未来の動作の否定の強調であると同時に、「言えない」という不可能をも表せる。どちらかは文脈による。

(お前を騙すつもりなんかない)Я тебя обманывать не буду.
(お手間〔お時間〕は取らせません)Я не буду отнимать ваше время.
(俺にかまうな。俺もお前には手をださないから)Ты меня не трогай, и я тебя не буду трогать.
(結婚を急ぐつもりはない)А я торопиться с женитьбой не стану.
(彼にご馳走を勧めないでください。食べませんから)Не угощайте его, он не станет есть.
(だって人を密告するつもりなんかないよ)Ведь не стану де я доносить на других.

 не браться + 完了体不定形は「~しようとは思わない、その任にあらず」ということだが、自分の能力、自信、希望に対する疑念を示す。
(被害の全体の規模を計算しようと思う人は今のところいない)Общий размер аварии пока никто не берётся подсчитать.

1-7 両方の体がほぼ同じ意味で使える場合
 平叙文においては不完了体未来形の動作の名指しと完了体未来形の具体的単一動作の実現の区別がつかない場合もある。

「彼に明日電話する」をЯ позвоню ему завтра.やЯ буду звонить ему завтра.としたり、
「助けてくれるよう彼に頼もう」をМы попросим его помочь нам.やМы будем просить его помочь нам.としてもニュアンスを別にすれば意味は変わらない。不完了体の方が口語的というだけである。しかし、他の動詞では、単一動作の伝達という行為自体が、一つの点となるような動作(過程を意味しない一気に終了するような動作)が多いために、完了体未来形を使う方が多いようである。単一動作の伝達は文脈によっては意図(意志)の意味になりやすいという事は言えるが、はっきりと意図であることを示したいのなら、собираться, намеренなどを用いた方が誤解が少ない。

(建設現場への救急手配はどうするつもりですか?)Как вы собираетесь организовать первую медицинскую помощь на площадку?

 上記のように両方の体が使えるのは、動作が始まって終わるというニュアンスのある動詞である。始まりだけとか、終わりだけを意味するとか、過程を示すような動詞は両方の体はほぼ同じ意味では使えない。писать, обедатьなどは可能である。つまり、後述のзвонить/позвонитьとписать/написатьの動詞群がほとんど当てはまるということになる。

Завтра я буду писать письмо домой.(明日家に手紙を書くつもりです)
Завтра я напишу письмо домой.(明日手紙を家に書きます)

 начать/начинатьとкончить/кончатьのように始めと終わりを示す動詞は、完了体が具体的1回の動作を示し(新しい事態の生起、動作の完了)、不完了体は動作の名指しから派生した動作の着手、ないしはそれから派生する意志の用法となり、ニュアンスがかなり変わる。

Я кончу работу.(その仕事を終わりまでやってしまうよ) - 新しい事態の生起、動作の完了。
Я буду кончать работу.(〔とりあえず今日は〕仕事を終えるつもりだ) - 動作の着手ないしは意志の用法。

1-8 動作の着手(意志)
 不定期の、あるいは持続的な過程を示すのであれば、動作の着手にも不完了体未来形が使える。これは不完了体の機能の一つで命令法に現れやすいが、未来の時制でも示すことができる。一人称の場合は動作の着手から派生して意志のニュアンスが出やすい。着手といっても、新たな事態の生起ではなく、状況に身をゆだねた形での着手である。

(じゃあ集会を始めよう)Ну, будем начинать собрание!
(そう願いたいものです)Будем надеяться!
(その辞典は近日発売される)Словарь будет продаваться в ближайшие дни.
(問題を出します)Я буду задавать вопросы.
(来月エニセイ川に水力発電所を建設します)В следующем месяце мы будем строить ГЭС на Энисее.
(いただきます)Я буду есть.

1-9 未来時制においてесли, когдаに導かれる複文での時間にとらわれない一般的事実の表示
 命令法の促しという用法に似ている。この用法には1-4, 1-5で使えない、あるいは使いにくいとされた動詞も一般的事実の意味ということで用いることができる。例えば、

(もしこの方法を使うのが初めてなら、CDをドライブに入れなさい)Если будете использовать это средство впервые, вставьте компакт-диск в привод.

 という文ではеслиと一緒だと一般的事実の意味が出てくるし、不完了体の未来形では、二つの動作が何ら拘束し合わずに、時間的に共存する動作が名指しされていて、広く使われる用法である。

(映画館のそばを通る時に、明日の切符を買います)Когда мы будем идти мимо кинотеатра, мы купим билеты на завтра.
(出かけるときは、ガスを消して下さい)Когда вы будете уходить, выключите газ.
(貯水池のそばを車で通る時に、一休みするのに素晴らしい場所を教えてあげますよ)Когда мы будем ехать мимо водохранилища, я покажу вам прекрасное место для отдыха.

 これを完了体未来形にした文を見てみると、

(もしレバーを右にいっぱい回すと、目盛には緑色が光ります)Если вы повернёте ручку направо до отказа, на шкале вспыхнет зелёный свет.

 повернётеという動作が実現してからвспыхнетという動作が成立する、しかも最初の動作と次の動作が(あまり間をおかずに)行われるという動作の順次性が示されている。この使い分けは、二つの文の時間的関係である。次々と動作が起こるのであれば、完了体を続けることになるし、時間的拘束がなければ、если, когдаを含む節ではбытьの未来形 + 不完了体不定形を使う事になる。

(左に曲がれば、駅が見えますよ)Если вы повернёте налево, то увидите станцию.

 次のような現在における繰り返しの文では不完了体現在形が用いられる。
(もし膜が破れたら、どんな措置をとりますか?)Какие принимаются меры, если лопается мембрана?

1-10 完了体未来形、不完了体動詞現在形、不完了体未来形の使い分け
  意味やニュアンスが体の用法を決めるわけだから、話し手(通訳、ガイド)が、新しい情報を提示するのだという意識があれば、完了体未来形を使うだろうし、動作が予定の行動であるという認識なら、使える動詞は限られているが予定の意味の不完了体現在形を使うだろう。また単に動作がこれから起こるかどうか知りたいという疑問文や回りの雰囲気に合わせてということなら不完了体未来形を使うという事になる。

 例えば、「報告(講演)するделать/сделать доклад」という動詞を未来時制で使うとすると、機能動詞のделатьであるために、珍しいことだが完了体未来形、不完了体動詞現在形、不完了体未来形の3つが使える。普通は完了体未来形か不完了体未来形の二つのうちいずれかであり、動詞によっては完了体未来形、ないしは不完了体未来形だけというのもある。未来時制で和文露訳をする場合、どちらを使うか悩むところだが、単一の動作を意味し、新しい話題の提示ということであれば完了体未来形を用いるのが普通である。ゆえにЯ сделаю доклад о танках.(戦車について報告します)とするのが一般的であろう。不完了体現在形を用いるのは予定に組み込まれているときで、Я делаю доклад на пленарной сессии.(本会議で報告します)となる。はっきり動作の延長上にあると確信できるなら、使える動詞は限られているとはいえ、予定という意味で不完了体現在形を使う事になる。
 動詞自体に中心的な意味がない、動作の有無のみを示すような、ないしは刺身の付け合わせのような文、例えばЯ буду делать доклад на русском языке.(報告はロシア語でします)というような場合に用いられる。そうでない場合は時間の長さを意識するような動作である。完了体未来形が動作を「すぐ~する」というイメージがあるのに反し、бытьの未来形 + 不完了体はこれまでの動作や行為の延長上にあると思われるような動作、また時間的には一拍おいた感じか、期限が明示されないような場合に使われると考えればよい。обедать, заказыватьも上記のように3つの使い分けが可能である。
 しかしучаствовать(参加する)のように対応する完了体のない動詞もある。近接未来の場合のように、文脈によっては現在形でЭта команда впервые участвует в Олимпийских играх.(このチームは初めてオリンピックに参加します)と予定の意味でも使えるが、未来時制の場合はВы будете участвовать в этом заседании?(この会議に参加しますか?)とбыть動詞の未来形との組み合わせが多い。このように完了体がない動詞(питьなどの接頭辞のない単純動詞)では、対応する完了体がない以上、быть動詞の未来形と組み合わせて、「~するつもりである」という意図の意味で使わざるを得ない。участвоватьでどうしても新規という事を強調したいという場合はどうするかというと、同義語を用いるしかない。Приму участие в семинарах.(セミナーに参加します)とするか、少し意味は変わるがПоучаствую в семинарах.(ちょっとゼミに参加します)となる。完了体と不完了体が同程度に使われる動詞というのは少ない。どちらかがメインで使われる場合が多いし、上に挙げたように不完了体しかないもの、完了体しかない動詞もある。そう考えれば動詞によって未来時制で使われる用法というのもある程度決まってくるという事になる。不完了体の程度というのも動詞によって異なることが分かる。動詞によっては文脈によって、程度によっては新しい事態の生起という事柄にも対応できるものもあるという事が分かる。

2. 予定 →不完了体現在形(以下略、第345回参照)

設問)「積み込みの責任者にはだれがなるのですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年05月24日 06:44
コメント

Кто будет отвечать
за работу погрузки ?
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正解です。работуは取って、погрузкуがとしたほうがよいと思います。погрузочные работыなら言うと思います。不完了体未来形もご理解いただけたようで、本当に良かったと思います。私の答えは、Кто будет отвечать за погрузку?
「責任者は~である」というのは第291回で出題している。ответить = понести ответственности という意味でответить за + 対格は「責任を取る」となる。

Posted by ブーチャン at 2012年05月24日 07:39

Кто будет отвечать за погрузку?
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正解です。

Posted by Ml at 2012年05月24日 18:03

とうとうご出版向けの最終仕上げですね。長い間教えていただいたおかげで、のどかな私の頭でも少しずつ体の使い分けが理解できるようになってきています。その場で数十秒で体を決めるのはまだまだ無理でも翻訳では大いに助かるのではと、使える機会を楽しみに待っています。このサイトがなければここまで細かく注意せずずっと大雑把に使い続けていただろうと思います。そういう意味でこのサイトにはいくら感謝してもし足りない気持ちです。

Кто будет отвечать за погрузку?

погрузка, отгрузка, штивка のビジネスロシア語上での違いがよくわかりません。
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正解です。погрузкаは貨物の本船(飛行機、貨車)への積み込みで、この対義語がразгрузкаで積み下ろしです。отгрузкаは船積みで、実際の貨物のみならず、船積書類(インボイス、パッキングリスト、保険証ほか)の手続きも終え、出港可能となったという意味です。デリバリー(貨物の引き渡し)を船積書類の日付とするとか、つまりは支払いの日付にするとか重要なものです。船積日は出航日とは限りません。отгрузка с заводаは工場出荷と訳し、貨車への積み込みが終わり、出荷書類も準備できたことを意味します。普通は出荷日は工場から貨物が出た日です。штивкаというのは積みつけstowageのことだと思いますが、こうは言わないでしょう。укладкаが普通で、貨物、特にコンテナは船倉にどう配置するか(いろいろな港に寄港するときに、コンテナの積み下ろしの順番を考えるとか)に関係します。
 今回全員が不完了体未来形の設問に正解されたというのは、このコーナーも峠を越えたというか、その役割を果たしたという感じがします。現在時制では動作遂行の動詞が(和文露訳する上ではあまり感じないかもしれませんが)、過去時制ではアオリストが、そして未来時制ではこの動作の名指しが一番理解しにくいと思っています。これらが理解できれば、後は語彙を増やすだけですから楽なものです。もう1年分やったので、もういいような気もしますが、あと1~2ヶ月分は設問もありますから、続けたいと思います。優秀な投稿者が3人、私の説を信奉するかどうかは別にして、動作の名指しの設問に正解したという事実は、少しは私の説明も役に立ったのかと思い、私の自信にもなります。出版については、できればよいのでしょうが、あまり期待は持っていません。3人でもゼロよりはましです。
 不完了体が体の本質であるという考えに変わりはありませんが、ロシア語で会話をするみなさんが、この場面では、新しい情報だから完了体をとか、過去の経験だから不完了体をと、場面場面で体の用法を使い分けるのはよいことだと思います。我々は理論を生み出す学者ではなく、単なるロシア語の担い手にすぎないのですから、どんなことをしても正しい体が使えれば、外人ロシア語というレッテルから脱却できることになると思います。

Posted by メイ at 2012年05月24日 22:08
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