2012年05月25日
●和文解釈入門 第371回
*「名ごりの夢」、今泉みね口述、東洋文庫、1963年
今泉みね(1855~1937)は幕府蘭医桂川甫周の娘。桂川甫周の弟は木村摂津守で遣米使節である。この縁で福沢諭吉はアメリカに連れて行ってもらうことができた。幼少の折、洋学者の宇都宮三郎、柳田春三、成島柳北、福沢諭吉に遊んでもらった思い出などを幕末の江戸情緒を踏まえて描いている。非常に優雅でたおやかな文体で、人柄がしのばれる。中にはこっけいな話もあり、明治の化学に寄与した宇都宮三郎がアンモニアの実験で、試験管におならを仕込んで大隈重信にかがし、さすがの大隈も苦笑せざるを得なかったという。夫は副島種臣に師事し、その書も残っているようである。副島の書は近代の書家の中でも非常に有名である。
「懐旧九十年」、石黒忠悳、岩波文庫、1983年
1936年初出。石黒忠悳(ただのり)(1845~1941)は陸軍軍医制度の確立に一生を捧げた。ちなみに海軍軍医制度を確立したのは薩摩出身の高木兼寛である。薩長土出身でないものが、己が才能一つで道を切り開いた姿には感動を呼ぶ。早くから勤皇の志をもち、佐久間象山に師事し、その教えにより洋楽・医学を学んだ。長寿の人ゆえ幕末から明治時代の風習などにも詳しく説明している。大西郷の逸話なのも面黒い。
ボードウァンに上野に温泉療養所付きの病院について意見を求めたところ、ボードウァンは公園を作ることを勧め、結局それが実現したことで、自分の非を認め、後にボードウァンの銅像が上野に建つことに助力した。もっともその銅像はボードウァンはボードウァンでも弟の方だった。弟はオランダ領事で頭が禿げていたが、医者の兄は毛はあった。八方美人ではなく、理のあると思うところは上司にもつっかかったようである。松本順や山県有朋などから可愛がられた。本文にはないが森鴎外をドイツに留学させたが、幸田露伴が指摘しているように、石黒はうるさく指示してきたらしく、鴎外は石黒のことを目の上のこぶと思っていたようだし、原首相とも衝突した。明治の最初の女医荻野吟子(1851~1913)が医術開業試験合格するのにも助力した。
陸軍を辞めた後は日本赤十字社長を勤めた。日韓併合についても韓国人の気持ちを考えると一概に喜べないと書いている。日清戦争講和で来日した李鴻章狙撃(小山六太郎による)のときも李鴻章の手当てを明治天皇から命じられている。非常に細かいことに気の付く人のようで、洋行者の手引き「洋(なだ)の灯」という本を書いている。脚気論を書くぐらい脚気には関心があり、森鴎外にも脚気の研究をさせたが、鴎外自身は麦飯が経験的に脚気に効くと言う事を信じず、そのため陸軍では何千人も脚気で死んだ。脚気はビタミンB1不足で起こるのだが、海軍の高木軍医医長は経験的にタンパク質不足が脚気の原因と考え、パン食や麦飯の導入で劇的に脚気患者は減少した。ただ兵の間では銀シャリをありがたがる風が強く、パンや麦飯は非常に不人気で、高木の後任者からこれを減じ、そのため脚気の患者は増えたという。こういう点について石黒は自伝では何も触れていない。
「自歴譜」、加太邦憲、岩波文庫、1982年
加太邦憲(1849~1929)は桑名藩出身で、司法省法学校正則第1期生。大津地裁裁判長、京都地裁裁判長、東京地裁裁判長、大阪控訴院長を歴任した。幕末に実見した打ち首の様子、安政の大地震や関東大震災の記述など興味深い。陪審員制度を、フランスのパリ大学から招いたボワソナードは治罪法草案に入れていたが、大木司法卿はこれを削除。後に原首相のときに法律となったという。加太は1886年から法学関係を究めるため欧州留学した。モスクワにも行き、上の威圧甚だしければ人民の未開なるも故なきにあらずとか、上流・下流の社会あれど、中流社会なし、上流社会は奢侈を極むる弊風ありと述べており、独仏よりだいぶ遅れていると述べている。
設問)「発明の使用権取得とノウハウの違いは何ですか?」をロシア語にせよ。
В чем разница между
приобретением права
на использование
изобретений и
ноу-хау ?
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正解です。発明を複数にすると、いろいろな発明の権利ということになるので、その点、単数との違いがあると思います。私の答えは、В чём отличие приобретения права на использование изобретения от ноу-хау?
「AはBである」といっても、これはA = Bではなく、AはBという説明をしている構文である。состоять в + 前置格とかзаключаться в + 前置格も用いることができるし、回答のように動詞を省略できる。この答えをする時はДело в том, что(それは~ということなんです)という風にするのが普通である。Разница (между + 造格) в том, что でもよいが、それだと似たような言葉の繰り返しとなるので、それを避けるためである。プレゼンテーションなどでは、「~は次の通りです」というときに、Различие сосотоит в следующем.(違いは次のとおりです)などと使う。
В чем состоит разница между получением права на использование изобретения и ноу-хау?
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正解です。
今回はもう「ビジネスロシア語」丸写しですが、写し間違いがあるかもしれません。
発明の利用権取得とはパテントを利用する場合ということですか。ノウハウがビジネス用語としてこんなかたちで使われているとは続く説明を読むまで知りませんでした。
В чем отличие приобретения права на использование изобретения от
"ноу-хау"?
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正解です。そういうことなのですが、利用権だけ取得しても、それだけではパテントを使いこなせないということで、利用権に付随して、その運用のコツを知らないと、利益を出せる形で使いこなせないという説明が、ロシアで出たビジネス関連の著書にあったので、その文を拝借したものです。「ビジネスロシア語」に載せたことを、すっかり失念しておりました。