2012年09月07日

●和文解釈入門 第476回

体の用法の使い分けをするときに、文脈と切り離した場合を考えてみる。どちらの体が使える場合があるにしても、どちらかの体の方を使うのが自然であるとか、使うにせよ、どちらかの体の間にニュアンスの差が生じるのが普通である。次に、文脈に応じて、体の用法を考えてみる。回りの雰囲気に合わせるのなら不完了体だろうし、自主的にということなら完了体であろう。このときに、森全体を見渡す手法と、木を一本一本見分けようとする手法の二つを交互に頭に置いておかないといけない。森を見る手法と言うのは、「不完了体は客観的な動作や状態を示し、完了体は主観的なそれを示す」という体の本質のことであり、木一本一本見るというのは、時制や法によって体の用法の使い方を個々に学ぶという事である。体の用法の本質は同じでも、その現れ方が同じではないからである。常に双方向的に勉強して行かないと体の用法の奥義を会得できないと思う。その文脈で、あるいはその動詞の用法で、どの体が一番自然であるかを考え、そうでない例外となる場合はどうしてなのかという理屈を和文露訳入門から見つけるというのも面白いかもしれない。

設問)「彼は収容所で重労働もいとわない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年09月07日 06:28
コメント

Он не отказывается даже от тяжёлой работы в лагере.
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発想はよいと思います。ただこの動詞の場合、一人称ではне откажусь + 不定形とかне отказался бы + 不定形で、飲食を勧められたときに「喜んで~する」という意味で使います。若い時に、モスクワで「佐藤さん紅茶でもどうですか?」と勧められたときに、Не откажусь.と言ったら、事務所の女中さんからほめられたことを思い出します。ただそれ以外では使わないと思います。私の答えは、Он не чуждается в лагере тяжёлой работы.
これもソルジェニーツィンの収容所列島からの出題。

Posted by аяка at 2012年09月07日 13:31
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