2011年07月04日
●和文解釈入門 第57回
この和文解釈入門は自分のためにやっているのだということを何度か申し上げたが、思いもよらぬ回答をいただくとやってよかったと心から思う。前々回の設問で毎朝という反復・習慣の意味で副動詞を使った回答が寄せられたが、これなどは自分の発想にはないものである。そういう回答を寄せてくれた投稿者に感謝するとともに、これを正解としていいものだろうかという疑問が、完了体副動詞の性格を考えたときに回答の当初からわいてきた。そのときは頭の中でЗакончив работу, он отдыхает.というような文が浮かんだから一応よしとしたのである。これは「仕事を終えて〔今〕彼は休んでいる」という意味で、反復ではないことが明らかだが、副動詞が副詞化していたら反復・習慣でも使えるかもしれないと感じたからである。完了体副動詞は不完了体動詞とも共に使われるが、状態の動詞сидеть, лежать, стоятьや発話や感情の動詞と一緒の場合が多い。Он сидит (сидел, будет сидеть), нахмурившись.(彼はむっつりとした顔をして座っている(座っていた、座る)では、むっつりとした顔になった顔のままで座っているのであって、繰り返しむっつりしたりしているわけではない。またСтарик долго ходил задумавшись.(老人は考え込んで長いこと歩きまわっていた)では、部屋の中か外かは知らないが、老人は考え込んだまま行ったり来たりしていたわけで、考え込むのを何回か中断したというわけではないはずだ。不完了体と完了体副動詞が使われる時は、その不完了体はсидеть развалясь(手足を伸ばしてゆったりと座る), говорить насупясь(無愛想な顔をして話す), читать пригорюнясь(悲嘆にくれて読む)などとその完了体副動詞が副詞化されたものに近い(近いのであって完全に副詞化されたという意味ではない)。しかし副詞化した不完了体副動詞由来の副詞句にはничтоже сумнясь (сумняшеся)(いささかの疑いもなく)、невзирая на лица(だれかれなしに、相手の地位に関わらず)、лёжа(横になったままで)、стоя(立ったままで)、сидя(座ったままで)やнесолоно хлебавши(当てが外れて)などで、完了体副動詞由来のものはзасучив рукава(せっせと)、спустя рукава(いい加減に)、сложа руки сидеть(手をこまねいて)などがあるが、вставを副詞と考えるのは無理だと思うし、百歩譲って副詞であったとしても反復の意味はないだろう。副動詞はその動詞の基本的な語義(体の用法も含めて)をなくしてはいないのだと思う。文法的に副動詞が反復・習慣で使えるかどうかは文法学者が判断することだし、仮に副動詞が反復・繰り返しと使われる例が見つかったとしても、私のレベルで重要なのは自分が完了体副動詞を反復・繰り返しの意味に使うか否かであり、その答えは否である。完了体が副動詞とはいえ反復・繰り返しと結びつくのは無理があると思う。一応こういう理由なので回答者の皆様やこのコーナーをご覧の皆様にお詫びして訂正する。
装飾や飾りという意味にではукрашение интерьера(インテリアの装飾)というようにукрашениеが一般的で、建築関係ではдекорを使う。декорацияというのは舞台装置という意味で、うわべの飾りという意味もある。語形が似た言葉でизморосьは霧雨で、изморозьは樹氷である。
設問)「何をお召し上がりになりますか?」
「おまかせします」をロシア語にせよ。
Что Вам предложить
кушать ?
(Что Вы будете кушать
?)
По Вашему усмотрению, пожалуйста.
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お忙しい中ご参加いただき感謝します。全体的に非常に丁寧なロシア語です。絶対こう直せというところはないのですが、ご参考までに私の考えを書きますと、Что вам предложить кушать?よりもпредложитьには完了体のпоесть(съестьは全部食べるということで、相手に対して〔特に女性には〕失礼な感じがするので使いません)のほうがよいと思います。それよりも、やはり2番目にお書きのЧто вы будете кушать (естьでもよいです)?
が普通だと思います。私の回答は、Что вы будете есть?
Я полагаюсь на вас.
ロシア人観光客が「どこかいい寿司屋を知りませんか?」などと聞かれたときに、「まかして下さい」はПоложитесь на меня.という。「当てにする」という意味でのシノニムのнадеятьсяというのは感情的、知的評価、希望という場合に用いられ、このような長年の経験に基づく信頼(これだけに頼れ)というような文脈では普通用いられない。рассчитыватьも理詰めで計算的なというニュアンスが出てくるのでこの場合には使えない。
引き続いて投稿させていただきます。
(訳)
- Что Вы будете есть?
- Любое.
以前(調べたらなんと第9回でした!)にやった
「何をお飲みになりますか」を入れ替えて使えると思いました。
「お任せします любое」は勘です。
Любое, что Вы закакзываете.と続くやろうと思います。
заказыватьは不完了体でも未来を表わせる類の動詞なので
問題ないと考えます(第10回を参照)。
さて、正解は
полагаться на когоですか~
巧い言い方があるものですね!
こうして見ると、любоеでは
もうそんなんどうでもええ、的な投げやりな感じがしないでもないですね…
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パラショーノクさん、はじめまして。コーシカと申します。
よろしくお願いいたします。
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Что вы будете есть?は第30回の本文にもあります。
>Что вы будете есть?は第30回の本文にもあります。
第21回でしたね。
意向を表わす用法の違いをおさらいするための例文として挙げていらっしゃいました。
第30回は過去形における体の選択について書かれていました。
おかげさまでよい復習ができました。
ありがとうございます。
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すみません。暑さのせいか、年のせいかぼけているようです。