2012年03月15日

●和文解釈入門 第300回

これまで第10回、第100回、第150回、第177回、第233回でこのコーナーの道しるべやナビゲーション用に体の使い分けの表を提示したが、新たな発見もあり、用例を学習者が復習しやすいように用法の中で完了体と不完了体を分けたり、いくつかの用法の用例など大幅に書き加えたり、訂正したりしたので、それらをまとめてここに紹介する。これで最後かもしれない。

 これは文法マニアである自分用に書いたものを、実戦向けに体を使う上での目印をどうするかに的を絞り、できるだけ専門用語は避け、分かりやすく書きなおしたものである。そうはいってもアオリストなど残している用語もある。説明がくどくなるのを避ける記号とでも考えてほしい。時制についてはロシア語の文法書におけるものと違っているかもしれない。これはあくまでも実用本位(会話における和文露訳で使う頻度と使いやすさ)という事に重点を置いたからである。

 完了体の動詞は動作の完了を示し、不完了体はそれ以外という風に理解しているロシア語の学習者は非常に多い。「すわりなさい」をロシア語にするとСадитесь!と不完了体命令形が来ることに戸惑いを覚える人も多いはずだ。「すわりなさい」だって動作の完了「~してしまう」を要求していることに変わりはないからだ。Я улетаю в Киев завтра.(明日キエフに飛行機で発ちます)にしろ、動作は完了なのに不完了体を用いている。これらはいずれも不完了体なのに動作の完了を示しているが、用法の例外ということにして丸暗記してしまえということになってしまう。動詞の体を意識すると、このようないわゆる例外とやらが非常に多いことにすぐ気がつくだろう。ロシア語の会話をしようとすれば、いやでもなんらかの動詞を使わねばならず、使う以上は完了体か不完了体かどちらかを選ばなければならない。エイヤといい加減に決めてしまっても正解の確率は50%ではあるが、毎回毎回この調子ではロシア語で話をするという気力も失せる。そこで正しい体の用法を理解する必要があるのだが、一般向けの参考書においてこれまでは、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)や具体的な事柄について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)、つまり一般的な事柄や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いると書いてある。しかしそれはあくまで露文解釈をするときには便利なのかもしれないが、通訳やガイドで実際に会話で和文露訳をする場面では、時制によって、法(命令法や不定法)によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくいのも事実である。
自分の経験から実践面では体の使い分けを、完了体中心ではなく、不完了体を中心に据えてみてはどうかと考えてみた。不完了体を動作の自然の現れ(自然体)と見るわけである。だから回りの空気を読んで、こうあるのが自然だというような場合には不完了体を使うことになる。まるで今の日本の若者の流行り言葉KY(空気を読む)と同じである。つまり動詞を交通機関(車や電車)だと考え、不完了体は線路(路線、ライン、レール、ロシア語ではлинияではなく、あくまでпутьのつもり)を走る電車だと考えるのである。電車は一応線路から外れないことになっているから、真理について不完了体現在形を使うというのも、真理というまっすぐな一本の線路の上を走るからだし、繰り返しは、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前だという空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという着手の意味も出てくる。また線路がある以上、これから先にも線路があると想定できるわけだから、そのままその線路の上を走り続けると言う意味で確実な予定という意味も生まれてくる。予定があればそれを守ろうとするわけで、時間厳守という観念から切迫感が生まれ、線路から外れてはいけないということで義務の観念も派生してくるはずだ。義務の観念があれば、不完了体を否定するときに、義務の否定で、禁止という観念が出てくるのは論理的である。また線路があるという考えを否定するわけだから不要性という考え方も出てくるだろう。線路だけ(あるいは線路の上の電車だけ)を考えに入れるので、つまり駅などを考えに入れないので、過去の動作は通過した線路のどこか後の方にある(で行われた)わけであり、その場所が具体的にどこか分からないか、気にしないわけだから、それが動作の名指しということになる。線路の上での立ち往生は事故のときであり、普通は電車は駅で止まる。そのため線路のどこかを通過したとは言えるが、普通は線路のある地点を指して場所を示さないというのも動作の名指しに似ていると考えてよい。

 動作を否定するときには一般には不完了体が用いられる。不完了体はその動詞の語義だけが際立つ一つの線路だと考えると、その動詞の動作を否定するということは、その動作の持つさまざまなニュアンスというような枝葉ではなく、その動詞の本質的な語義の否定だから不完了体を使うのだと考えるわけである。こういうニュアンスのつかない線路(その動詞の持つ本質的語義)だけというような単なる動作の否定となれば、不完了体を取らざるを得なくなるわけである。

 бытьの未来形 + 不完了体不定形で「~するつもりである」の意味の用法は未来時制における着手と考えればよい。線路を例に取れば、動作の対象を足元の線路から、いったん視線を外して遠くにかすむ線路に視線を移すと考えるのである。遠くに線路がかすんで見えるのだから、途中にも線路があるはずだということである。不完了体現在形の予定の用法は、足元の線路が視線を移さず、そのまま前方にはっきりと見えるのである。見えるところまでは確実に行けるという確信が、未来に起こることの確実性を際立たせている。бытьの未来形 + 不完了体不定形の用法は、この他にも駅からある線路(ライン、路線)の電車に乗り、あとは身を任せて目的駅まで行くとしてもよい。この用法は口語的用法でどの不完了体動詞でも使えるというわけではない。つまり駅というのはどこにあるわけではないが、駅に行きさえすれば線路(ライン、路線)は最低一つはあるということでもある。これは標準的にはсобираться 他 + 不定形を使うという意味である。完了体未来形で意志を示せる場合があるが、それなどは車を使うようなものだろう。車は道路がなければ走れないという制約はあるというものの、自宅から目的地まで基本的に自由に行けるという点が電車などとは大いに違うから体の用法もこれに似ていると言える。

 完了体というのはどこでも行ける車道や歩道、田舎道のようなもので、線路で言えば、新たに線路を敷設するとか、線路から脱線するとか、既存の線路を抜きにして動作を考えるということになり、線路自体がないのだから動作の可能性は広がるわけで、そこから可能性が出てくるし、完了体の動詞を否定すれば不可能という意味が出てくることになる。可能性というのは「何かあったら~する」ということだから例示的用法となる。線路がないのなら(あるいは駅を想定に入れてよいのなら)、具体的に動作の起こった場所を特定できるわけで、それがアオリストとなる。線路があってもなくても、そこで立ち止まって状況確認するならそれが結果の現存につながる。高村光太郎の詩に「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」というのがあるが、新たに線路を敷設するというならそれは完了体の考えで、不完了体においては、線路は線路でもあくまで既存の線路ということになる。

 歴史的現在の場合は、ふと振り返ると目の前に線路の蜃気楼が現れると考えるのである。しかも蜃気楼が現れた場所は、実は道路のある一点(アオリスト的考え)だったというわけである。線路を仮想のものと考え、目には見えるが実体がないというようなものだ。実体がないのだから、用法は一見不完了体現在ではあるが、中身は完了体過去形(アオリスト)と同じだという事である。これが今の段階での私の「不完了体線路説」であり、今後これを発展させることができるかもしれない。ともかく実践的な体の使い分けを考える上で一つのアプローチではないかと考える次第である。

 ラスードヴァРассудова先生は著書「ロシア語動詞 体の用法」の結論において、「完了体の主要機能は情報伝達的機能であり、不完了体の主要機能は、信号報知的機能と呼ぶことができよう。不完了体命令法によって名指される動作は、シチュエーションによって示唆される場合が一番多い」と書かれている。そのあと「実質的な情報をもたらす完了体と異なり、(不完了体)は独特な信号の役割を果たしているということができる」と一種の不完了体信号説を唱えている。それゆえ、不完了体の根源的意味は過去時制の事実の名指しにあると示唆されていることはよく理解できる。ただこの説では事実の有無の確認や命令法の着手は説明できるかもしれないが、繰り返し、真理、過程、切迫感、予定、禁止、不要など大半の不完了体の用法を説明できないという憾みがある。

 説は説として、初学者の人で完了体・不完了体という名称に騙されて、体の用法は完了とそうでないものという単純に割り切って考えている人たちに、私の説は、そうではないことを示し、警鐘(信号)を与え、実戦的に体を用いる際の一つのアプローチと考えてほしいということにある。
例文は用例がすぐ分かるよう短文で、基本的なものを中心に据えた。体の用法を覚えるには参考書などを読んでなるほどと思うだけではだめで、やはり自分で和文をロシア語の文に直す練習をしないと自分の血肉にならないし、会話での和文露訳をしようにも役に立たず、身にもつかない。直した文が正しいかどうか、具体的に教えてくれる人がそばにいれば理想的だが、なかなかそうもいかないのが現実であり、本コーナーが少しでもそのお役に立てればよいと願っている。

〔未来の時制〕 不完了体未来形第370回および予定第345回参照。

d) 自発的でない「(呼ばれてから)行く」という用法
 идтиとбежатьという定動詞現在形だけに見られる特殊用法だが、日常会話ではよく聞く。定動詞は不完了体動詞であり、不完了体動詞には自発的な要素が本来欠如している。だからこの用法ではこれらの動詞を用いるためには何かサイン(合図)が要るのである。「助けて」という呼び声でも、宅配の人がドアのベルが鳴らしたときも、会社で、「~さん、電話ですよ」でもいいが、それを合図に「今行きます」Иду.(急ぐ時はБегу.)となる。これらは意味的には厳密に言えば未来時制だが定動詞現在形を使うのはこういう理由からである。第6回回答参照。

〔完了体〕
e) 主観的に実現する確度の高い未来の動作(1分後、1時間後でも、明日でも、1年後でも構わない) → 完了体動詞未来形(これを完了体現在形とか、完了体現在未来形と呼ぶ学者もいる)
 完了体未来形は未来に起こることへの確信を示すとともに、その場のこれまでの雰囲気とは違う一つ(新規)の話題を提示するというニュアンスがある。この用法に推測という意味はない。露文解釈で学者でも日本語で「~だろう、~でしょう」を、未来形を示すために用いているのをよく見る。日本語では国語辞典を見る限り、これは「推測」を示す。例えば、「1週間後モスクワに出張する」は未来であり、「1週間後モスクワに出張するだろう」は未来の推測にすぎない。確かに未来は不確か(未定であり決定ではない)なのだから「推測」を使いたいという気持ちは分かるが、日本語ではそうはなっていない。実生活は別にして、時制について言えば、確実な未来というのはある。日本語でも推測には推測の表現があり、これはロシア語も同様で、完了体未来形は推測ではなく確度の高い未来を示すのである。(彼はモスクワに1年後に行く)Он уедет в Москву через год.であって、「行くだろう」ではない。推測なら、по-видимому, кажетсяなどをつければいい。
(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём. これはレーニンの有名な言葉だが、これなどは完了体未来形の用法が非常に分かりやすいものである。第52回、第175回回答参照。
 二つ以上の動作が完了体未来形で示されれば、あまり間を置かない順次的な動作としての用法である。この場合、次の動作は最初の(あるいは前の)動作が完了したあとでのみ成立可能となる。二つ以上の不完了体動詞を用いた文では、時間的に共存する二つの動作が名指しされているだけである。
(下に降りて、角まで行き、左に曲がってください)Вы спуститесь вниз, дойдёте до угла и повернёте налево.
f) 例示的用法 → 完了体動詞未来形
 「何かあれば~する」という潜在的可能性の提示、不規則な繰り返し・習慣を示す。つまり「起こるかもしれないし、起こらないかもしれないが、起こったら~する」という意味の用法である。一つの事例を通しての一般化、つまり不規則な反復の潜在的・仮定的可能性を示す。そのためこの用法を使えは、平板な不完了体の規則的な繰り返しと違い、生き生きとした表現になる。
 бытьの未来形 + 不完了体動詞の不定形の用法では、話者が時間の遅速はともかく動作が起こると見なしているわけで、この用法との差が分かる。次々と動作が起こるときにも使う。これは未来といえば未来だし、広い意味の現在の時制と言えないこともない。例示的意味は本来過去形の動詞とは無縁で、不定法と完了体未来形に広く現れる。ゆえに、この用法は過去の時制で使う時は完了体未来形を用いる。つまり例示的用法は超時間的性格を持つと言える。第10回、第73回、第84回、第119回回答、第133回、第238回本文参照。
(着いたら分かる)Доедем – разберёмся.
g) 往復(これから行って戻って来る、行って来る)
 普通はс-のついた完了体動詞未来形を使う。сбегать(口語), сводить (свести)〔連れて行って戻ってくる〕, свозить (свезти)〔車で運んで戻ってくる〕, сгонять(俗語), скатать, слетать(俗語), смахать(俗語), сносить(歩いて運んで戻る), сплавать(泳いで), сползать(這って), сходить(歩いて), съездить(車で)があり、сбегать, сгонять, скатать, слетать смахатьはすべて「走って(または車で)取ってくる」という意味だが、俗語の「ひとっ走りして戻る」という意味でもある。
(お待ちください。お金を取りにひとっ走り行って来ますから)Подождите меня, я сбегаю за деньгами. この他にも不定動詞の未来形も使えるが、これだとすぐに行ってくるのではないというようなニュアンスがある。
(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе.

〔現在〕
イェスペルソンは「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在時制であり、繰り返しについても総称時ということで、現在の一点が含まれているから現在時制になるのだ」と指摘している。第113回本文参照。

〔不完了体〕
h) 過程(ある時点での行為・動作が行われていて、終了していないことを示す、現在進行形) → 不完了体動詞現在形
 ここでいう過程というのは上下などの動的なものであり、静的な状態という用法とは異なる。目的志向的動作целенаправленное действиеを示す動詞が過程の意味になりやすく、упорно, настойчивоという副詞と結びつく動詞もそうである。ほとんどの動作を示す動詞は過程を示すことが出来るが、過程を示せない動詞群というのがある。давать, случаться, являться(出席する)は過程を示せない。これらは接頭辞ない多回体的な意味を持つ動詞であろう。接頭辞をもつ多回体動詞(выпивать, просиживать, протаивать, прочитывать)は過程を示せないというのは語義から見て当然である。またпри-という接頭辞がつく運動の動詞の不完了体приводить, привозить, приезжать, прилетать, приносить, приходитьも過程を示せない。вопрошать, запрашивать, интересоваться, любопытствать, осведомляться, справляться, спрашиватьのグループも過程の意味はなく、反復的用法である。その他に動作遂行型動詞(後述)も過程の意味を示せない。その他にвзрывать, видать, винить, вспыхивать, вынуждать, достигать, замечать, знать, избирать, касаться, лишать, мигать, нападать, озарять, осенять, осмеивать, отгадывать, признаваться, прыгать, расходиться, сознаваться, считать, угадывать,стрелять,も過程の意味を示せない。第8回、第69回、第72回、第164回、第201回回答参照。
i) 反復・習慣(総称時、恒常的反復、動作の一般化) → 不完了体動詞現在形
 過程を示せず反復のみ示す動詞には、забывать, замечать, заставать, поступать, прощать, являться(現れるという意味で)があり、偶然的動作случайное действиеを示す動詞の不完了体пробалтывать, проговариваться, прозёвывать, пропускатьもそうである。
(毎日地下鉄で通勤します)Каждый день я езжу на работу на метро.
(いつもこんなふうに女の子たちとドライブするの?)Ты всегда вот так катаешься с девочками?
 表現的には完了体未来形の例示的用法と違い、いつもと同じというような平板な感じがする。第43回、第51回、第54回、第61回、第89回回答参照。
j) 過去から現在に至る継続ないしは反復 → 不完了体動詞現在形
 これも一種の結果の現存(存続)だが、不完了体現在形の場合は現在までの期間やいつからその期間が始まったかを示す語句がないと、繰り返しや動作の一般化と区別ができなくなる可能性がある。逆に言えば、被動形動詞過去短語尾や完了体過去形では動作がいつから始まって現在に至るかを明示しようとする場合、с + 生格(例えば、с 1895 г.〔1895年から〕)と使うよりは(下記のように例外もあるが)、в + 前置格のように過去の一点を示す語句(в 1895 г.〔1895年に〕とかдва дня назад〔2日前〕など)を使うことになり、期間そのものをすぐ明示できないという事になる。完了体過去形の場合はアオリストの用法であって結果の現存の用法ではなくなる。それゆえ期間そのものを明示したい場合はこの不完了体現在形の用法を用いる事になる。ただпро-という接頭辞を持つ完了体動詞の過去形は例外である。
(彼はそこで2年間働いた)Он проработал там два года.
(当社はもう10年以上その市場でがんばっている)Наша компания уже более десяти лет работает на рынке.
(真夜中から工兵と一緒に働いている)С ночи работают вместе с сапёрами.
(その海は昔から貴重な魚種の漁場として有名である)Море издавна славится как район добычи ценных сортов рыбы.
(石油とガスの生産は1924年から行われている)Добыча нефти и газа ведётся там с 1924 г.
(1982年からライキンの劇場はモスクワに移転し、1987年からはサチリコンという名になり、1991年からはライキンの名を冠している)С 1982 г. театр Райкина переехал в Москву, с 1987 г. называется «Сатирикон», с 1991 г. носит имя А.И. Райкина.
(1992年から5月1日は春と勤労の祝日として祝っている)С 1992 г. 1 мая отмечается как Праздник весны и труда.〔過去から現在に至る反復〕
(史書には赤の広場は15世紀から市の立つ広場として記載されている)В исторических документах Красная площадь как торговая упоминается с 15 в.〔歴史的現在の項にもупоминатьсяという動詞を使った文がある〕
(この歌は今も〔今に至るまで〕歌われている)Эту песню исполняют до сих пор.
(ルーシという民族の起源についての論争は18世紀にミーレルとロマノーソフの間で始まり、現在に至るまで続いている)Дискуссия о происхождении народа «русь» началась в 18 в. между Г.Ф. Миллером и М.В. Ломоносовым и продолжается до сих пор.最初のначаласьは結果の現存ではなく、アオリストであろう。
(レストランは月曜から土曜まで12時から23時までオープンしている)Ресторан открыт с понедельника по субботу с 12 до 23 часов.。被動形動詞過去短語尾にはこのように繰り返して期間を示す用法は現在時制ではふつうは使わない。つまりこの現在時制におけるоткрытは動作ではなく状態の意味であり、形容詞化していると言える。ちなみにоткрытは過去時制では動作の用法がまだある。過去時制でなら被動形動詞過去短語尾で期間を示すことができる(過去の継続の項参照)。
(1849年公立図書館がオープンした)В 1849 г. была открыта публичная библиотека.
(いつから歩くときに足を上げることが出来なくなった〔できない〕のですか?)С каких пор вы не можете поднять стопу при ходьбе?
(病院に何時間いらっしゃっているかお話できますか?)Вы можете сказать, сколько времени находитесь в больнице?
(ラジオがコク・テレクで使えなくなって3日目だ)Третий день радио в Кок-Тереке бездействует.
 動詞を使わなくとも結果の現存を示すことができる。
(今日に至るまで〔今も〕誰が平和的デモ隊に発砲命令を出したのかはっきりしない)До сих пор нет ясности, кто отдал приказ стрелять по мирному демонстрации.
(私はそれを今に至るまで奇跡だと思っている)Я до сих пор считаю это чудом.
(初めて歯が生えた小さな子供たちに銀のスプーンをプレゼントする伝統は平均的な所得の家族には今日に至るまで生きている)Традиция дарить маленьким детям серебряную ложечку на первый зуб жива до сих пор и в семьях со средним достатком.
(斜視は子供のころからですか?)У вас косоглазие с детства?
(彼の脱走者としての性は生まれつきだ)Жилка беглеца у него от рождения.
 過去から未来への継続であれば、
(6月17日で満100歳になる)17 июня исполняется 100 лет со дня рождения.
(もう何年ナショナルチーム〔国内選抜チーム〕におられるのですか?)Сколько лет вы уже в сборной команде страны?
 про-の接頭辞を持つ完了体動詞過去形を用いて結果の現存による現在に至るまでの継続を示すことができる。結果の現存ではなくアオリストであれば過去のある時点から数分間立ちつくしたということになる。
(ザハーロフは彼の頭の上の方でじっと数分立ちつくした)Захаров неподвижно простоял несколько минут над его головой. 第182回本文および第11回回答参照。
k) 動作遂行型動詞 → 不完了体動詞現在形
 完了体未来形の用法と似ているが、大きな違いは今現在の時点から動作が始まり、動作を遂行するという動詞である。完了体未来形は、一瞬後ないしは未来のいつかの時点が動作の起点になる。動作遂行型の動詞というのは、例えば、「喫煙を禁止します」Я вам запрещаю куруть.と医者が患者に言ったとすると、この発話の前は喫煙は禁止されておらず、この発話の直後に禁止が有効になるということである。日本語の辞書形で、「命令する」、「気づく」のような動詞は動作遂行型である。これらは言動一致型と呼んでもよいような動詞群であり、一人称で使われることが多く、現在から未来への移行を示すような意味合いの動詞である。
 例えばビジネスレターで多用される「~をご案内〔連絡〕申し上げます」をロシア語にするときに、Сообщим (Сообщу) Вам, чтоと完了体の未来形を用いがちであるが、これは間違いであり、Сообщаем (Сообщаю) と一人称現在形を使う。このように、後に続く文の示す行為の遂行となる動詞を動作遂行型動詞(перформативные глаголы)といい、「~ということを遂行する」という意味である。つまりこの動詞の現在形一人称は「約束しつつある」とか、「知らせつつある」という経過(過程)を示しているわけではなく、続く内容について約束する(約束を破ればそれなりの罰を受ける)とか「~という内容をお知らせする」と言う意味であり、「2012年展示会に参加することをご案内申し上げます」Сообщаем Вам, что мы будем участвовать в выставке в 2012 г.は、まさにこの言葉によって連絡行為を遂行することを意味する。だから、この完了体未来形は「追って連絡申し上げます」Об этом сообщим дополнительно.など、今ではなく後で連絡する(未来に動作を行う)という意味でしか使えない。この他にも「伝える」という意味のシノニム(同義語を含む類義語)のうちоповещать, осведомлятьを除く、информирую, извещаю, уведомляю, докладываю, доношу, заявляю, объявляю, предупеждаюにもこの用法がある。
 この動詞群はсообщаю(連絡する)の他に、делаю(人を~にする), заклинаю(懇願する), запрещаю(禁止する), каюсь(後悔する), молю(懇願する), назначаю(任命する), обвиняю(非難する), обещаю(約束する), освобождаю(開放する), предлагаю(提案する), предписываю(指示する), признаюсь(白状する), приказываю(命令する), провозглашаю(宣言する), прошу(お願いする), прощаю(許す), радуюсь(喜ぶ), рекомендую(勧める), советую(勧める), ставлю(人を~に据える), умоляю(懇願する)などである。この他に、взрывать(爆発する), видать(見る), винить(とがめる), вспыхивать(かっとなる), вынуждать(強いる), достигать(達する), замечать(気づく), знать(知る), избирать(選ぶ), касаться(触れる), лишать(奪う), мигать(またたく), нападать(襲う), озарять(明るくする), осенять(考えが浮かぶ), осмеивать(あざ笑う), отгадывать(推測して当てる), признаваться(告白する), прыгать(跳ぶ), расходиться(分かれる), сознаваться(白状する), считать(みなす), угадывать(推測する), стрелять(撃つ)などもそうであると思われる。こう見ると、「知る」、「お願いする」、「命令する」、「禁止する」、「約束する」、「連絡する」、「勧める」という指示に関係する語義で、こういう日本語の動詞は露訳するときに、日本語で現在の時制なら、完了体未来形ではなく、不完了体現在形となる。
(一つ質問をする。貴軍の病院に貴君らが隠している健康な将校や兵がいますか?)Задаю вам вопрос: нет ли у вас в госпитале здоровых офицеров и солдато, которых вы прячете?
 三人称でも使える場合がある。
(エストロゲンとアンドロゲンの薬剤を同時に服用することを勧める)Рекомедуется одновременное применение эстрогенных и андрогенных препаратов.
(脈拍欠損と診断されている)Определяется дефицит пульса.
(病歴には毒物服用が認められる)В анамнезе отмечается приём ядовитых веществ.
 第271回、第277回、第40回、第282回、第284回、第298回本文、第97回、第111回、第126回、第177回回答参照。
 この他にспрашиватьの〔お前にも分かるように尋ねているんだ(尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ)〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.という脅し文句もそうであるし、電話の(佐藤さんをお願いします)Господина Сато, пожалуйста.に対して、(どちら様ですか?)Кто его справшивает?もそうであると言える。
 この用法は被動形動詞過去の現在時制の用法(結果の現存)に意味的に非常に近いと言える。(禁止されているもの以外はすべて許可される)Всё разрешено, за исключением того , что запрещено.のзапрещеноは、(室内のたき火厳禁)Разведение открытого огня в помещении строго запрещается.のзапрещаетсяと同義であるからだ。違いは被動形動詞過去の現在時制の用法は動作が終了したのが過去ないしはたった今ということで、不完了体現在形は今現在動作が終了しているという意味だけであり、たった今終了したという意味はない。
l) 状態 → 不完了体動詞現在形
 過去において発生ないし開始した動作がそのまま存在していることを示し、現在も含めてある期間行われている行為、動作などを示す状態の動詞が使われる。状態の動詞は動作の開始や終了を問題にしない。過程と違うのは、質的な変化がない静的な動きстатистикаということにある。完了体動詞過去形や被動形動詞過去形の現在時制で用いられる結果の現存(存続)に似ているが、結果の現存で示すことが出来るたった今動作が終了したという動作終了の強調という意味を、状態の動詞では示すことが出来ないという違いがある。окружать(ся)〔囲む、囲んでいる〕, омывать(ся)〔川や海で囲む、囲んでいる〕のように対応の完了体もあり、完了体・不完了体は動作の意味を、不完了体だけで状態の意味を示す動詞もあるので、状態の動詞と動作遂行の動詞を区別するために露露辞典でチェックの必要がある。状態の動詞としては他にвключать(ся), вмещать(ся), входить, лидировать, помещать(ся), содержатьがある。第27回本文、第20回、第48回、第49回、第53回回答参照。
m) 経験(~したことがある) → 不完了体動詞過去形(第14回、第29回回答参照)
 〔過去〕の項の動作の名指しの用法の一つである。過去において少なくとも1度そのような動作があったことを示すが、いつかとか回数については言及しない。似ている用法にただ1度の経験に言及し、かつ動作の起きた時点がいつかということを、明示するかどうかは別にして、念頭に置く場合は完了体過去形のアオリストの用法が使われるので、違いを明確に理解することが必要である。不完了体過去形は具体的な過去を示す語句(3日前とか、1965年とか、昨日など)とは相性が悪く、例外はあるが、一緒に使えないと考えてよい。この用法であることをより明確にするために、прежде, раньше(以前に)、хоть раз(一度でも)、когда-нибудь(かつて)、уже(すでに)という語句と一緒に使われることもある。また否定文では不完了体現在形も使える。この用法は日本語の「~したことがある」と訳の上でかなりうまく対応するが、絶対ではない。日本語では「一度~したことがある」や「一度も~したことがない」は普通の日本語だが、前者で過去の特定のいつかを意識している場合は完了体過去形を使うし、後者でも完了体過去形を使う。100%言葉だけに頼らずに場面をイメージすることが大事である。
(肉を食べましたか?)Вы ели мясо?
 これを「肉を食べたことがありますか?」とするのは、菜食主義者への質問などよほど特殊な文脈であろう。食あたりのときは肉を食べたかどうかの有無を聞いているにすぎないから、こういう質問になる。日本語の「~したことがある」というのはめったにしない経験についてもちいられ、日常的な事柄には用いられないので訳語上の注意が必要である。
(熱は下がりましたか、下がりませんでしたか?)Снижалась или не снижалась температура?
(前はうまくいきましたか?)Раньше вам это удавалось?
(以前尿に血が混じっているのに気がついたことがありますか?)Вы замечали прежде кровь в моче?
(俺に任せろ。酔ったことなんかないんだ)Положись на меня, я никогда не пьянею.
 この他にбыть動詞の過去形単独、ないしは動名詞(乃至は動作を示す名詞、乃至は被動形動詞過去形短語尾)との組み合わせでもこの意味は出せる。
(負傷したり、挫傷〔打ち身〕をしたことがありますか?)Вы были ранены или контужены?
(似たような皮膚の発疹がもうすでに出ましたか?)У вас были уже подобные высыпания на коже?
(腎疝痛の発作を経験したことはありますか?)У вас был приступ почечной колики?
n) 動作の否定 → не + 不完了体動詞現在形
 不完了体の動詞には本質的に反復(繰り返し)を示さないという原求作先生の指摘があり、それゆえ不完了体を否定すれば、動作の未着手や状態の否定を示すことになるのもうなずける。また完成の意味は完了体が担うため、未着手の動作や嫌気、禁止、不必要も含めて、一般的に動作を否定するのは不完了体の否定形を使われるという磯谷孝先生の説明もある。不可能の場合は可能性という完了体の用法の範囲内なので完了体未来形の否定形を用いる。Зима ещё не кончается.(冬はまだ終わっていない)だと、終わるという動作が始まっていないという事(未着手の動作)を意味する。Зима ещё не кончилась.だと終わる動作が始まったが、終了していないということになる。第12回本文、第47回、第150回、第275回回答参照
o) 多回体的用法 → 多回体(不完了体)動詞現在形
(奴はいい奴だ。ただ時々飲むんだよ)Он человек хороший, правда, иногда выпивает.
(私は毎朝新聞を全部読む)Каждое утро я прочитываю газету.
 これにчитаюを使うと、第1面だけとか、テレビ欄だけとか、必ずしも全部読み通す(読了する)と言う意味にはならず、用法的には反復・習慣となる。
p) 真理の提示 →不完了体動詞現在形
(地球は太陽の周りを回っている)Земля вращается вокруг Солнца.

〔完了体〕
q) 結果の存続(現存)〔結果の達成と残存〕 → 完了体動詞過去形
 この用法は後述の過去の時制におけるアオリストと区別するのは文脈によるしかない。しかも文脈によってはどちらとも取れることがあるということをよく理解してほしい。
(イワノフさんがお見えです、お見えになりました)Господин Иванов приехал. = Господин Иванов здесь.
 приехатьのようにペアに反意語уехатьがある動詞は不完了体の過去形では、「来たが今はいない」という意味になる。
(いつから〔浮気に〕気がついていたの?)Когда ты поняла?
(ご命令に従い参上しました)〔今そこにいる〕По вашему приказанию явился.
(この姿で国営百貨店GUMは現在まで保存されている)В этом виде здание ГУМа сохранилось до сих пор.
(彼の国家は滅亡した)Его государство прекратило своё существование.
(イコン崇拝の伝統は988年のキリスト教受容以降もロシアで守られている)Традиции поклонения иконам сохранились в России со времени принятия христианства в 988 г.
(お祝をするという伝統はまだ根づいていない)Традиции празднования пока не установились.
(その記念碑は現存しない)Памятник не сохранился.
上の二つは否定文での結果の現存の例。第1回、第15回、第77回、第85回、第90回、第101回、第138回、第147回、第167回、第186回回答参照。
r) 被動形動詞過去短語尾の結果の存続〔現存〕)の用法
 過去時制においてアオリストと結果の現存を区別するのは文脈によるが、他動詞のように受動態(受け身)で被動形過去を用いることができるときは、бытьの過去形と共に使われる場合ならアオリスト、共に使われない、つまり現在時制なら結果の現存と区別できる。つまりアオリストだという意識があるか、特に結果の現存という意識のない時はбытьの過去形と共に使われると考えてよい。これは能動態に戻して考えれば分かりやすい。
(絵は1887年に製作され、トレチャコフ美術館に〔今現在〕ある)Картина создана в 1887 г., находится в Третьяковской галерее.
(1991年からその歴史的名称は復活した)С 1991 г. историческое название восстановлено.
(1924年ルミャンツェフ図書館はレーニンの名を冠し、1925年から1992年までレーニン名称ソ連国立図書館と呼ばれた)В 1924 г. Румянцевской библиотеке было присвоено имя В.И. Ленина, и с 1925 г по 1992 г. она называлась Государственная библиотека СССР им. В. И. Ленина.〔現在は俗称レーニン図書館Библиотека Ленинаで、正式にはロシア国立図書館Российская государственная библиотека (РГБ)である〕このように現在とは名称が異なっているためにбыло присвоеноとなっている。
(イサーキー大寺院は現在(見る)形では1818~1858年に建設された)Исаакиевский собор в современном виде был построен в 1818 – 1858 гг.。動作の起点から終了の時点はこの用法ではアオリストということで一つの期間を点としてとらえるという形でしか表現できない。
(1836年に書かれ、〔その年に〕初めて上演された)Написана и впервые поставлена в 1836 г.ゴーゴリの喜劇комедия「検察官Ревизор」についてだが、当然書き直されたことなどなく、また「初めて」という文言がつくからこのように現在時制で(結果の現存として)用いられる。
(その小説は1928年から1940年までに書かれ、刊行された)Роман написан и опубликован в переиод с 1928 по 1940 гг. これは書かれたという事実が今も残っているという意味での結果の現存である。периодという単語なしにはсとпоは用いることが出来ない。この他に否定での結果の存続の例を挙げよう。
(休み時間はまだ終わっていない)Перерыв ещё не кончился.
 第32回、第93回、第193回回答および第175回、第179回、第182回本文参照。
 不完了体ся動詞で受動相を示すことができるものがあるが、原則的に主語に立つのは不活動体で示され、動作の主体は造格となる。被動形動詞過去短語尾の用法と違うのは、過程を示すことができることである。(家が建てられている、家は建設中である)Дом строится.。そのためこの形動詞現在も過程を示すものとして形容詞的に用いることができる。(建設中の都市で)в строящем городе
 сяのついた動詞で不完了体が受動態で使われるものは、動詞によって反復・繰り返し、経過を示すから被動形過去形短語尾との使い分けは簡単だ。しかし自動詞としてсяのついた完了体の動詞が被動形過去形短語尾との語法の違いは、前者が人を意識しない用法(自然に~する)であり、後者は表面に出なくとも人や動作主の存在が意識されるということにある。
 形容詞の短語尾にも結果の存続の用法がある。例えば、(スーズダリはロシア有数の古い都市で、1024年から名が知られている)Суздаль – это один из древнейших российских городов, известен с 1024 г.
s) 仮定や叙想 → 完了体動詞未来形(完了体動詞命令形)
 法の転用とでも呼べそうな用法で、命令形を使って、「~せよ、そうすれば~となる」という意味で使う。
(そのときはそのとき)Поживём – увидим.
(逃げたら撃て)А побежит – стреляй!
(集計したら連絡します)Подсчитаем – сообщим.
(連絡したら戻れ)Сообщишь – возвращайся.
(いただけないと、後悔することになりますよ)Не дадите – будете жалеть.
(そういう場合になれば考える)Будет случай, посмотрю.
(時が来れば、みなさんは私たちと同じ立場に立つという事を私は信じるのみです)Я только верю: наступит время – и вы станете на наше место!
 上記のように、並立助詞andの用法から発達したのかもしれない。しかも主語を二人称以外(一人称でも三人称でもよい)において、仮定や叙想(仮定法のように、ありそうもないか、事実とは異なる場合を仮定すること)の意味を示すこともできる。完了体動詞命令形は生き生きとした口語的用法である。
(実際どこかで間違えば、彼だって人間だから、同僚がかばってくれなければ彼は八つ裂きにされる)А ошибись он где-то действительно, ведь он человек, - так его растерзает, если коллеги не прикроет.
(護送隊に我々全員がすぐに飛びかかりたくても、ピクリとするまでに我々は撃たれてしまう)Захоти мы все сразу броситься на конвой – пока зашевелимся, нас перестреляют прежде.
Случись что-нибудь с ней или ребенком, он никогда себе не простит!(もし彼女や赤ん坊の身に何か起こったら、彼は絶対に自分を許すことはできなくなる)
(彼が手紙を書かなかったりしてみろ、こんな話は読者にはなかったことになる)Не напиши письма он, и не было бы читателю вот такого рассказа.
 上の用例からも分かるように、この用法で使われる動詞というのは、普通は命令形にならない(「間違いなさい」とは日本語でも普通は言わないだろう)動詞を用いているのだろうと思う。そうでないと誤解のもとだからだ。
t) 不可能 → 完了体動詞未来形の否定形
(僕にはそれが理解できない)Я этого не пойму.
(名字は今思い出せない)Фамилии сейчас не вспомню.
(まあね、1945年から46年にこんな出来事で驚くものか)Ну, да такими случаями в 1945 – 46 годах не удивишь.
(そうらしいけど、ほんとかどうかは分からない。受け売りなんだ)Вроде бы да, точно не скажу: за что купил, за то и продаю.
(死人を生き返らせるわけにはいかない)Из мёртвого живого не сделаешь.
(恋はジャガイモのじゃないの。窓から捨てるわけにもいかないじゃない)Любовь - не картошка, не выбросишь в окошко.
(粥はバターで悪くなるはずがない → ますますけっこう)Каши маслом не испортишь.
u) 否定の強調 → 完了体動詞未来形の否定形
 不可能の用法と区別がつかないことがあるが、実用上は問題がない。潜在的可能性すら否定するわけだから完全な否定となる。時制的には未来とも考えられる。
(さっぱり分からない)Ничего не пойму.
(繰り返しません)Это не повторится.
(作業割当担当者や班長も一人として敢えて足蹴にしたり、囚人に手を上げたりする者はいない)И ни один нарядчик и ни один бригадир не осмелится пнуть ногой или замахнуться на зэка.
(彼を呼んでいるのに、彼ったら動こうともしない)Его зовут, а он с места не сдвинется.
(どうして今日はそんなに真面目なの。ニコっともしないの?)Почему ты сегодня такой серьёзный, не улыбнёшься? → (どうして今日は全然笑わないの?)Почему ты сегодня совсем не улыбаешь? 不完了体は普通の否定で、完了体は否定の強調である。
(弁護士がいなければ一言もしゃべらないぞ)Без адваката я ни слова не скажу.
 これは「(ある期間)一度も~したことがない」という磯谷孝先生が否定的一括化と呼ばれた用法である。
 これから望ましくないこと、非難や動作の不可避性のニュアンスも出てくる。
(ねえ、邪魔だってどうしておっしゃらないの)Ну, что же вы не скажете, что мы мешаем вам.
(叫んでも叫んでも、どうして答えてくれないの?)Я кричу, кричу. Что же ты не ответишь?
(どうして直接彼に聞かないの、遠慮してるってわけ?)Почему ты не спросишь его прямо, стесняешься?

〔過去〕
(第30回本文を参照)
〔不完了体〕
v) 過去の出来事・動作(事実)の名指し → 不完了体動詞過去形
 過去の出来事や動作の有無の確認を示す。これとは対照的に完了体過去形を疑問や否定で用いれば結果の達成への期待(否定なら失望)というニュアンスが出る。厳密に言えば〔現在〕の項の経験「~したことがある、~したことがあった」の用法も含まれる。この用法の不完了体過去形は具体的な過去を示す語句(昨日、2001年、1年前など)とは相性が悪く、例外はあるものの共に使えないと考えてよい。例えば、(われわれは先月、詩人との夕べを催しました)В прошлом месяце мы устраивали вечер встречи с поэтами.という動作の有無の確認(動作の名指し)の文がアオリストと違うのは、聞かれたから答えるというような文脈で使われ、アオリスト用法である完了体過去形устроилиは自発的な情報を与えるような文脈で使われる可能性が高いと言える。不完了体の根源的意味は過去時制の事実の名指し(事実の確認の有無)にあると考えると、それは競技場にラインを引くように、引いた後に動詞の意味だけが(他に余計なものは何も残さずに)ラインの形で残るのだと考えてもよい。第12回、第14回、第29回、第38回、第130回、第183回回答参照。
w) 往復
 運動の動詞の不定動詞ходить, ездитьの過去形および接頭辞のついた運動の動詞の不完了体過去形を用いる。反意語のある動詞群で、приходил = пришёл и ушёл; отходил = отошёл и подошёлを意味する。この動詞群の完了体の過去形は結果の現存の意味となる可能性が高い。このようなペアは下記の通り。
брать/возвращать, включать/выключать, вставать/ложиться, входить/ выходить, давать/забирать, надевать/снимать, опускать/поднимать, открывать/закрывать, подниматься/ спускаться, приезжать/уезжать, приносить/уносить, приходить/уходить, просыпаться/засыпаться, терять/находить。第23回本文や第79回回答参照。
x) 未完了その1(過去の経過) → 不完了体動詞過去形
 未完了имперфектの一つ。「そのとき~していた」という意味である。
(廊下からミハイロフが飛び出してきたときに、我々はもう出口のところまで来ていた)Мы подходили уже к выходу, когда из коридора вылетел Михайлов.
(彼が入って来たときに私は手紙を書いていた)Я писал письмо, когда он вошёл.
第87回、第169回回答参照。
y) 未完了その2(漸進・長期的用法) → 不完体動詞過去形
 имперфектの一つでдолго, медленноと共に使う。
(灯油ストーブはだんだんと過去のものになって行った)Керосинки медленно уходили в прошлое.
 第202回回答参照。
z) 過去の反復 → 不完了体動詞過去形(第61回、第63回、第65回回答参照)
 1回乃至はそれ以上で回数を特定しない繰り返しを意味する。
(1703年から現在までその川は300回以上氾濫した)С 1703 г. по настоящее время река выходила из берега более 300 раз.〔現在までであっても過去の出来事の有無について述べているわけで不完了体過去形が来ている〕
(彼は幾度となく彼女に愛の告白をしたが、結局彼女から返事はもらえなかった)Он не раз признавался ей в любви, но ответа от неё так и не добился.。これは多回体的用法。
 過去時制であれば被動形動詞過去短語尾も使える(第240回回答参照)が、これは完了体の動作の一括化と同じ用法であろうし、完了体の過去の用法「創作者としての資格」と抵触して、不完了体が使えない場合であると考える。
aa) 過去の継続 → 不完了体動詞過去形
 過去のある時点から過去のある時点までの継続を示す。
(1946年から1991年まで赤軍は公式にはソビエト軍と称していた)С 1946 по 1991 г. Красная Армия официально именовалась Советской Армией.
(ダンスは夜中の11時過ぎまで続いた)Танцы продолжались до двенадцатого часа ночи.
(この時から生涯喜劇を書いた)С этого времени и до конца жизни писал комедии.
 про-という接頭辞を持つ完了体動詞過去形のアオリストでも可能である。
(彼は1851年まで働いた)Он проработал до 1851 г.
 期間の明示はпериодを用いれば、被動形動詞過去短語尾の過去時制を用いても可能である。
(その長編小説は1848年から1859年にかけて書かれた)Роман был написан в период с 1848 по 1859 г.
 第42回回答参照。
bb) 歴史的現在(劇的現在) → 不完了体動詞現在形
 臨場感を出すために過去の出来事に対して不完了体現在形を用いる。意味的にはアオリストであり、それゆえ不完了体現在形でも(完了体過去形でなくとも)順次的用法を使える。だから歴史的現在が完了体過去形と見かけ上の体のペアを成しているといえないこともない。直接話法でも過去を生き生きと想像するため、saidの代わりにsay(s)を使うなど歴史的現在を使う事があるのは、同じ心理状態の所産だというようなことをイェスペルセンも「文法の原理」の中で書いている。ただзнать, ведатьはこの用法では使えないし、現在形で予定を示すこともできない。つまりこの用法は現在を拡大解釈して、あたかも現在の一点が含まれているかのようにして、過去にも現在時制が使われているのだとも言える。そのため結果の現存の意味はないし、только чтоとも一緒に用いられない。
 БондаркоのТеория морфологических категорий и аспектологические исследования(形態的範疇理論および体の研究), Языки славянских культур, 2005によれば歴史的現在という用法は18世紀末までは完了体未来形で行われ、それ以降は衰退し、その後不完了体現在形が用いられ現在に至っているという。諺には完了体未来形が散見されるのもこれと関係があるのだろうか?(第121回本文、第149回回答参照)
(片方の肩に載せるなら仕事はきついが、両肩なら楽なもの〔みんなでやればなんでもできる〕)В полплеча работа тяжела, а оба подставишь – легче справишь.
(ロシアの年代記で1066年最初に鐘が言及されている)Впервые в русских летописях колокола упоминается в 1066 г.
 劇的現在настоящее сценическоеは劇的な現在という意味ではなく、劇(戯曲)のト書き(劇がある以上それはかきあげられ、その劇の中の1回の行為、つまりアオリストと考えられる)と考えればよい第208回参照。
 歴史的現在のときは、動詞だけでなく、被動形動詞過去短語尾や形容詞も現在形となる。
(ぺチョーリンは人生に失望し、不幸であり、他人に不幸をもたらす)Печорин разочарован в жизни, несчастлив и приносит несчастье другим.。
(その劇場の歴史は1783年から始まった)История театра начинается с 1783 г.
 日本語にも歴史的現在があるが、用法が似ているとはいえ、違いはある。例えば、「4年間の授業料は2008年平均で2万4千ドルです」という文をロシア語にすれば、Обучение в 2008 г. стоило в среднем 24 000 ам. долл. за 4 года.と過去時制になるはずだ。こういう統計を扱うような文はロシア語ではまざまざと目の前で情景が展開されるという歴史的現在の対象にはなじまないからである。ところが日本語では文末が「~た」、「~た」と続くのを避けるためだけにも語調の関係だけで歴史的現在は使われる。ロシア語にもこの文体を変えるために歴史的過去を用いているのではないかと思えるようなものもあるが、日本語に比べれば少ないようである。もっと日本語とロシア語における歴史的現在の違いを調べるためには、ロシア語の歴史的現在の部分を日本語にそのままの現在時制で訳せるかどうか試してしてみるのもよい。第35回回答、第104回、第119回、第120回、第121回、第173回、第208回本文参照。日本語の歴史的現在については、第115回、第125回、第129回、第226回本文参照。
cc) 意志の欠如 → не стал(а,о, и) + 不完了体動詞
「~するつもりなどなかったし、今もない」という意味で、結果の現存の一種であることが分かる。
(私も話すつもりなどなかったわ)Я и не стала говорить.
(彼は説明するつもりなどなかった)Он не стал объяснять.
(民警は犯罪者を探そうとさえしなかった)Милиция даже не стала искать преступников.
これをне начал(а, о, и) + 不完了体とすると、行為の中止ではなく、延期であり、後で~するという意味になる。ちなみにстал + 不完了体 = начал + 不完了体は「~し始めた」という意味であり、完了体未来形стану, станетなどと違い、意志を示すものではない。意向の意味を示すсобиратьсяのグループを過去形にして否定にしてみると、第145回の回答にあるように(すみません。お手紙を読むつもりはなかったです。うっかり開けてしまいました)О, простите, я не собирался читать ваше письмо, я открыл его чисто автоматически.となり、たんに「その時は~するつもりがなかった」という意味であることが分かる。
dd) 過去の時制で文の中で動詞が主体的意味を担わない用法 → 不完了体動詞過去形
 刺身のつまのような用法であり、極端に言えば動詞がなくとも文意は伝わるような文で、時制の関係でбыть動詞の過去形 + 名詞だけでもいいような文で不完了体過去形が使われる。文法的に言えば動作の名指しである。
(でも時代を切り開く〔始める〕というが、どうやって?何から始めればいいのだ?)Но начать эпоху – как? С чего начинать?
 同じ動詞を繰り返す場合には最初に完了体、次に不完了体が出てくる可能性が高い。これは2回目の動詞は意味の主体を担っていないことを意味する。第2回、第183回回答参照。
ee) 過去の予定 → 不完了体動詞過去形
 運動の動詞についてはこの意味で不完了体過去形を用いることができるが、他の動詞ではсобиратьсяなどの過去形に不定動詞を加える方が普通である。これも現在時制の過程の用法が予定に使えるという意味で、過去の動作の過程を示す用法の延長と考えることができる。при-という接頭辞のついた動詞は過程を表すことができないが、現在形で予定の意味を示すことができるということは指摘済みである。
(彼は来週来ることになっていた)Он приезжал на следующей неделе. (= Он должен был приехать)
(汽車は2時間後に出発することになっていた)Поезд отходил через два часа.
ff) 回想・過去の不規則な反復動作(~したものだ) → 小詞бывало + 不完了体動詞過去形(不完了体現在形〔歴史的現在〕、完了体未来形)。
 完了体動詞未来形(例示的用法「何かあれば~した」)だけでも作れる。第73回回答参照。

〔完了体〕
gg) アオリスト(定過去、歴史的過去) → 完了体動詞過去形
 ここでいうアオリストは、ある動作がある過去の一つの時点で事件が発生(その報告)するか、現在と関係のないか、現在との関わりを問題にしない過去の具体的動作を示すという意味で使っている。つまり唯一性、一回性の強調ということである。一般的にはいつということを明示しての初めての経験を示す時に使われる。(その小説は1862年最初に出版された)Роман впервые появился в печати в 1862 г.などである。具体的な過去を示す語句(昨日、1980年、1週間前など)があればこの用法を使えばよい(第261回参照)。
 もしそのような語句がなければ、和文露訳する際に、この用法は不完了体過去形が使われる動作の名指し(事実の有無の確認)との区別が非常に難しい。話者の意識の問題だからだ。アオリストは過去の一点を示す(具体的な過去を示す)語句を伴うかどうかは別にして、常に意識の中に過去の明確な一点において動作が行われたという認識がある。だからそういう意識があれば完了体過去形を、そうでなければ不完了体過去形を選ぶことになる。不完了体の過去形の動作の名指しという用法では過去に動作が行われたことがあるという動作の有無の確認だけである。つまり動作が行われた具体的な過去の一点ということを問題にしない場合である。アオリストの用法は動作の名指しの用例とともに十分比較検討して用法の違いをマスターしてほしい。次のように動作の起点および起点から終わりまでもアオリストで示すことができる。
(1817年からイェルモーロフは計画的にチェチニヤの奥やダゲスタンに進軍を開始した)С 1817 г. Ермолов начал планомерное продвижение в глуь Чечни и Дагестан.
(1926年9月1日から1927年まで55,000円集めた)С 1 сентября 1926 г. по 1927 г. собрали 55 тысяч иен.
(1717年から1722年まで彫像をローマからペテルブルグに届ける船便が6回行われた)С 1717 по 1722 год состоялось шесть корабельный рейсов, доставивших из Рима в Петербург статуи.
(1884年から1888年まで彼はおよそ350の作品を生みだした)С 1884 г. по 1888 г. он создал около 350 произведений. 上の3つの文は1926年9月1日から1927年まで、1717年から1722年まで、1884年から1888年までをそれぞれ一つの期間として捉えているという意味で、過去の一点と言える。
 完了体動詞過去形を使う結果の現存の用法とこのアオリストを区別するのは文脈だけである。例えば、Он родился.(彼は生まれた)は、その人が生きていれば結果の現存であり、文脈で生死を特に問題にしないか、生死が不明か、死んだ場合はアオリストとなる。しかしОн родился 25 сентября 1985 года.と生年月日が入ると、今現在の時点で見て、彼の生年月日では生きている可能性が高いから結果の現存という解釈も成り立つが、過去の一点を示す以上アオリストである。結果の現存では「~の時点から」という時の副詞句は許容されるが、過去の一点を示す句が入れば、それは過去時制であるから、当然アオリストである。いずれにせよ「彼が生まれた」はこの動詞の意味上反復は普通あり得ない(何回も繰り返し生まれたという意味が普通はありえない)から完了体過去形にしかならない。そのため和文露訳では二つの用法の違いを特に意識する必要もないことになる。
 過去時制においてアオリストと結果の現存を区別するのは文脈によるが、他動詞のように受け身で被動形動詞過去を用いることができるときは、過去時制ならアオリスト、現在時制なら結果の現存と区別できる。しかし、次のようにアオリストと区別できるものもある。
「頭を打ったときに気を失ったのですか?」Вы потеряли сознание при ударе головой?これは過去の明確な一点を指しており、典型的なアオリストであり、結果の現存なら気絶している人と会話するという奇怪な話になってしまう。
 ラスードヴァ先生は具体的事実の意味(単一動作の事実を全一的に伝達すること)が完了体の主要な意味であり、一括化の意味と例示的意味はこの具体的事実の意味を基に発達すると述べておられる。私も完了体の用法としてはこれが最も重要な用法であると考える。第3回、第109回、第140回回答参照。
hh) 創作者としての資格 → 完了体動詞過去形
「作品を書いた、描いた、創った」という場合は唯一性の強調ということで完了体過去形を用いる。アオリスト用法の一つである。第175回、第179回本文および第15回回答参照。
ii) 順次的用法 → 完了体動詞過去形
 アオリストの一つで過去時制において次々と動作が起こるときに用いられる。第50回、第88回、第144回回答参照。
 動作の順次性が主文と従属節でも表すことができる。
(家に帰ると、すぐ寝た)Когда я пришёл домой, я сразу лёг спать.
この順次性は感覚的なもので、場合によってはほぼ同時と考えてもよいような動作を示すこともできる。
(彼は鍵を残さないで出かけた)Он уехал и не оставил ключ.
 このように完了体過去形が動作の順次性を表すのに対して、不完了体は動作の同時性を表す。
(私が手紙を書いていた時に、彼女は夕食の用意をしていた)Когда я писал письмо, она готовила ужин.
jj) 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形
 完了体過去形を否定文に使うと、期待していたのに~しなかったというニュアンスが出る。これは疑問形でも同じニュアンスである。不完了体過去形の否定文なら単なる事実の有無の「ない」ということの確認、つまり事実の名指しとなる。第12回、第30回、第74回、第162回、第163回回答参照。
「メモを受け取りになりましたか?」- Вы получили записку?
「いえ、受け取っていません」- Нет, не получал.
上記のように完了体過去形で質問しているのは、受け取る事を期待して聞いているわけで、それに対し不完了体過去形で応じているのは、たんに受け取った事実はないという事実の確認だけで答えているためである。Не получил.なら答える側も受け取ることを期待していたが受け取らなかったことになる。Не получаю.と現在形の否定なら、一般的に(あるいは習慣として)「メモは受け取らない」という意味になるし、Не получу.なら文脈にもよるが「受け取れない(不可能)」か、「受けとらない」という未来での否定となる。Не буду получать.なら「受け取るつもりはない」という意志を示す。過去において否定の強調にはне был (а, о, и)を文末にもってくる方法もある。これは文末に新しい情報(レーマ)が来ることを利用したもの。(しかし夜までにボブルイスクはまだ占領されてなどいなかった)Но к вечеру Бобруйск занят не был.
 上記のように被動形動詞過去形短語尾が過去時制と使われるというのは、例えば、(彼は除名されなかった)Он не был исключён.は能動態に直せば、Его не исключили.ということだから期待のニュアンス(除名されるとばかり思っていたのに除名されなかった)が感じられるということになる。第256回回答参照。
kk) 動作の一括化 → 完了体動詞過去形
 「数回」とか「何度か、幾度か」という繰り返しは不完了体を使うのだが、動作の個々の場面を一つにまとめる(立て続けに、一度に数回繰り返された)動作は完了体を使う。
(我々は全部でこの実験を25回した)Всего мы проделали этот опыт двадцать пять раз.
 これはпо-, про-やпере-という接頭辞のついた動詞や-ну-という接辞のついた一回体の動詞に見られる。この用法は不定法にも見られるが、несколько раз(数回), подряд(立て続けに)など回数などを示す限られた文脈だけでしか発生しない。
(何度か彼に目配せした)Несколько раз подмигнул ему.
(彼女は幾度かキスをした)Она несколько раз поцеловала.
第104回および第240回回答参照。なお磯谷孝先生は「~を一度もしたことがない」という用法を否定的一括化と呼んでいる。この否定的一括化については第29回回答参照。
ll) いったん開始された行為の中断、中止 → 小詞было + 完了体動詞過去形
 不完了体動詞過去形で用いられるのはхотеть, думатьぐらい。第62回回答参照。
mm) 結果の評価 → 完了体動詞過去形
 様態〔声が大きいとか小さいとか〕の強調ではなく、結果がいいか悪いかという時に使う。第16回参照。

〔命令法〕
〔不完了体〕
nn) 着手 → 不完了体動詞命令形
 着手といっても、不完了体の属性である無標性から発生するもので、自発的に着手するのではなく、その場で~することが話し手にとって当然であるという場の雰囲気によってなされる自然体である動作の要請、つまり相手の動作にきっかけを与えるための合図に使われ、勧誘的な意味合いを持つ。「その場の空気を読む」用法だと考えてもよい。また動作への着手と発話時点を結びつけないような時の状況語(明日とか2時までにとか)がある場合は完了体命令形が用いられ、発話時点における動作への着手や促しのときは不完了体命令形を使うと考えてもよい。
(始めなさい)Начинайте!や(おかけ下さい)Садитесь!で、かけっこのときのよーいドンや、試験の時の試験官の「始め」の合図のようなものだと考えると分かりやすい。尋問などで不完了体命令形が来るのも、話して当然という意識が話し手にあるからである。
(おい、クソ野郎、だれに雇われたのかしゃべるんだ!)Говори, гадина, кто тебя завербовал?
 ここから不定法などの義務の用法が出てくる。しかし、病院などで、(輸血を始めなさい)はНачните переливание!となる。つまり新規の事柄であれば完了体の命令形を使うわけで、開始という動作は全て不完了体命令形と考えるのは大きな勘違いとなる。(減圧に取りかかってください)Приступите к декомпрессии.も新規の事柄だから完了体である。一方、体育の時間に先生が「私の後について(同じことを)やってみてください」というのは、生徒が先生の動きを見ている中での、発言で、スタートの合図みたいなものだから、Повторяйте за мной.と不完了体命令形が来る。第7回、第60回、第81回、第83回、第139回、第192回回答および142回本文参照。
oo) 促し → 不完了体動詞命令形
 動作の時間と回数の制約がない「いつか」という意味の着手と考えてもよいような勧誘的意味合いを持つ動作の要請で、相手を拘束しないような動作の時に用いられる。
(立ち止まらないでください)Проходите – не стойте.
 「とっとと失せろ」Убирайся! というような暴言にも不完了体が使われる。これは促しが強い催促や切迫になるということで理解できる。これに似た用法で、(もう一度そこに寝てみろ、いいか〔ただじゃおかない〕)Ещё раз тут ляжешь - смотри!とлечьという不完了体が来ているのも、一種の反語的な促しである。第26回、第45回、第234回回答参照。
pp) 動作の様態の強調 → 不完了体動詞命令形
 文脈によっては動詞なしでも意味が通じるというのは、動詞が刺身のつまのようなときには不完了体命令形が出て来る。この用法は動詞の動作がどのようであるかを示すもので、動作の完成は二次的なものとなり、いいとか悪いとかの完了体の結果の評価とは違う。
(もっと大きい声で話して下さい)Говорите громче.という文を、Громче!と言っても、イントネーションによってニュアンスは変わるかもしれないが意味そのものには変わりはない。X線検査で(もっと深く呼吸してください)Дышите глубже.も同じである。ところが、(もっと暖かい恰好をしなさい、暖かくしなさい)Теплее оденься.は完了体である。同じ形容詞の比較級を使っているのに片方は不完了体でもう片方は完了体であるのはどうしてだろう?完了体の方は動作の完成(暖かい恰好〔セーターなどを着るとか〕をする)に意味の重点があり、暖かい恰好をしなければ風邪をひくよというニュアンスである。暖かい恰好をするという情報は新規であるわけで、それゆえ完了体が出てくる。
 при-という接頭辞を持つ運動の動詞群の不完了体ではこの用法は使えない。繰り返しの用法しかないからである。ゆえに、(花瓶を持って来なさい。注意してね)Принесите вазу. Несите осторожно.というようにприноситеではなく別の動詞нестиを使わざるを得ない。
qq) 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形
 同じ不完了体でも不定動詞の命令形は最初からの動作の否定である。第68回、第76回、第173回回答参照。
(マンションに犬を連れてきてはいけない)Не води в квартиру собаку.
(市の案内図を持っていかないでください)Не берите с собой план города.
(浮気はだめよ)Не изменяй мне.
(殴らないで)Не бейте меня.

〔完了体〕
rr) 新規の具体的な1回の動作遂行の要請 → 完了体動詞命令形
 問い合わせ(トイレはどこか教えてください)Скажите, пожалуйста, где туалет.など。完了体の命令形は動作の全体的把握といった頼み、助言などの付加的意味合いを持ち、動作過程そのものはどうでもよい。第13回、第70回、第86回、第174回、第190回、第219回回答参照。
ss) 例示的意味 → 完了体動詞命令形
(保証書への不正確な、ないしは不十分な記載の場合はただちに販売店にお問い合わせください)В случае неправильного или неполного заполнения гарантийной книжки немедленно обратитесь к продавцу.。
 命令法における例示的意味は、諺、格言のほかに、具体的動作を指示する掲示、注意書、取扱説明書などでよく見かける表現である。
tt) 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形
 完了体動詞未来形の潜在的可能性から派生した用法。(「トイレはどこか教えていただけませんか」「あいにくですが、申し上げられないのです」)- Вы не скажете, где туалет? = Не можете ли вы сказать, где туалет? – Нет, к сожалению, не скажу. = Нет, к сожалению, не могу сказать.
(恐れ入りますが、少しずれていただけませんか)Простите, вы не подвинете немного?
(お電話お借りしてよろしいですか)Вы не разрешите позвонить от вас?
(お力をお借りできますでしょうか)Вы не поможете мне?
(ほらその人形を見せていただけませんでしょうか)Будьте любезны, вы не покажете мне вон ту куклу?
uu) 警告 → 否定詞 + 完了体動詞命令形(うっかり~しないでください)
 危惧から来る警告(第34回回答参照)
vv) 仮定や叙想(現在時制の完了体の項参照)
ww) 被動形動詞短語尾を使って命令の意味を示す。
(女性が収容所で男性の写真〔絵〕をもってはならない)Не положено женщинам в лагере иметь мужские портрет
(ケンギールでは小包で挽き割を受け取るのは許されていたが、それを煮るのは絶対に禁止されていた)В Кенгире разрешено было получать крупу в посылках, но так же неукоснительно запрещено было её варить.
(これからは棍棒を持たないで見回りをするよう提案された)Предложено было впредь обходиться бех дубинок.
(看手には囚人を番号だけで点呼し、名前は知るべきではないし、覚えるべきではないと命令された)Велено было надзирателям окликать заключённых только по номерам, а фамилий не знать и не помнить.

〔不定法〕
〔不完了体〕
xx) 切迫感(動作の着手) → 不完了体動詞不定形
 不完了体の属性である繰り返しというのは習慣性を生み、それが習慣だから習慣を守りたい、それから「~せねばならぬ」という気持ち(切迫感)に発展してゆくと考えられる。この用法は動作の着手と言い換えてもよい。叙想語(должен, мочь, хотетьなど)の後に不完了体不定形が来れば、発話の時点に直接結びついた動作を意味し、完了体不定形なら動作の実現を多少なりともかけ離れた未来に置く。第17回、第185回回答参照。
(スタート!〔始め!〕)Можно начинать!
(分単位で決めなければならなかったが、相談する暇はなかった)Решать надо было в минуты, согласовывать некогда.
(寝ないとな、もう9時だ)Надо ложиться, уже 9 часов.
(今日はちょっと早めに、9時頃寝ないとな)Сегодня тебе надо лечь пораньше, часов в 9.
(結局のところ、退院したいというなら、退院させよう)В конце концов раз хочет выписываться – пусть выписываться! 発話の時点で退院を要求している患者に関してで、ここに不完了体が出てくるのは、事態が発話の時点で進行中であり、進行中という過程を表現するには不完了体が適切と考えられ、それが切迫した動作の着手となったと思われる。叙想語なしでも、次のような表現に体の用法の違いが出る。
(明日発たないと)Завтра нам уезжать.〔切迫感、差し迫った感じがする〕
(明日発つつもりです)Завтра мы собираемся уехать.〔切迫感はない〕
yy) 不必要 → 不完了体動詞不定形
 不必要はもっとも重要な不完了体の属性である。не надо, не нужно, не следует, не стоитのあとに続く不定形には不完了体不定形の使用が絶対である。
(子供をおもちゃで甘やかす必要はない)Детей не надо баловать игрушками.
 動作の必要性に対する疑念、動揺した後での決心にも不完了体動詞不定形が用いられる。
(買うべきか買わざるべきか?)Покупать или не покупать?
zz) 動作の持続性のニュアンス → 不完了体動詞不定形
(自分に近い人の不幸には無関心のままではいられない)Мы не можем оставаться равнодушным к несчастью близкого нам человека. これに完了体動詞不定形остатьсяを使うと「無関心ではいられない(いることはでいない)」と不可能を示し、動作の持続性が感じられない。
aaa) 疑問詞 + 不完了体動詞不定形
 発話の最初で出てくる場合は、新規の動作の場合なので完了体が来るのが普通である。
(時計はどこで買えますか?)Где можно купить часы?
 ところが疑問詞につけて具体的な一回の動作を示すときでも、その動詞がなくても意味が分かる場合不完了体不定形が出てくることがある。特に話し言葉では不完了体不定形が多いが、これは意味上の力点が疑問詞にあるためで、動詞は刺身のつまのようなものだからである。つまり過去時制のアオリスト的用法の1と同じで、完了体の具体的動作と対比して、不完了体の動作の曖昧さ(逡巡、決断力のなさ)を意味すると考えてもよい。
(何を着ましょうか?)Что надевать?
(さて、ここであなたを下ろしましょうかね?)Ну что, здесь вас, что ли, сбрасывать?
車に乗せたらいつかは降ろさなければならないからで、意味上の力点はздесьにある。ちなみに、このчтоはсбрасыватьと結びついているのではない。что делатьのделатьが省略されているのである。
bbb) 動作の否定や禁止 → 不完了体動詞不定形
Не курить!(禁煙)第18回、第171回回答参照。
 不定法において両方の体の使用が可能な場合不完了体は動作を一般化して示すので、完了体に比べて、より断固とした否定を示す。
(残りたいという気持ちはない)У меня нет желания остаться (оставаться).
 望ましくない、好ましくない動作にも不完了体不定形が用いられる。不完了体はマイナス思考型と考えてもよい。
(いったん置いてしまったら、〔それから〕片づけるのは遅い)Раз уж поставил, поздно убирать.
ccc) 動作の名指し(動作の有無の確認) → 不完了体動詞不定形
 この用法は不定法ではほとんど見られず、使われる動詞としては不完了体のделать, встречаться, идти, ехать, видетьぐらいであるが、中でもделатьとидтиが口語で使われる例は抜群に多いので必ず覚えておく必要がある。具体的な1回動作に見える場合でも、これらの動詞の場合はこの用法では不完了体が使われることが多いと考えた方がよい。動作の名指しが不定法であまり見られないというのは、不定法というのは目的「~するために」というところに不定形が来るが、具体的な一回の動作でないと、意味が明確にならないという事ではないかと思われる。例外的に使われる不完了体も明らかに完了体よりも使用頻度が高く、意味上の誤解がない動詞ばかりである。
(夏には何をなさるおつもりですか?)Что вы хотите делать летом?
(ついてくるつもりなの?)Ты собираешься идти за мной?
(失礼して〔行って〕よろしいですか?)Можно ехать?〔Можно идти?〕
(どこに行きたい?)Куда ты хочешь поехать?
※хотетьの後の不定形は単一の具体的動作の意味としてなら完了体が来ることが多い。

〔完了体〕
ddd) 具体的な、特定の1回の動作の実現(具体的個別的事例) → 完了体動詞不定形
 「~をするために....をする」というときの「~をするために」に動詞の不定形が来るが、具体的一回の動作には完了体が、繰り返しや動作の一般化の用法には不完了体が来る。надо, должен, хотеть, мочь, проситьの後に動詞の不定形が来る場合は、具体的で一回の動作を示す場合完了体が来る。切迫感との用法の違いに注意。第66回、第188回、第191回回答参照。
(彼女とデートしたいのです)Я бы хотел пойти с ней на свидание.
(オシッコをしたくはないですか?)Вы не хотите помочиться?
eee) 「~しましょうか?」構文 → 完了体動詞不定形 + ?(疑問形)
 具体的な一回の動作が多いので完了体動詞不定形が来る。第36回回答参照。
(音楽聞くかい〔音楽のスイッチを入れましょうか〕?)Включить музыку?
 давай(те) + 完了体動詞1人称現在形(理論的には不完了体の不定形でもよさそうだが聞いたことはない)の疑問文でも可能。口語的用法である。第166回参照。
(どこかドライブに行こうか?)Давай съездим куда-нибудь?
fff) 必要性 → 完了体動詞不定形(第17回回答参照)
ggg) 命令 → 完了体動詞不定形(かなり強い意味の命令。具体的1回の動作を示す)
(起立、気をつけ)Встать! Смирно!
 日本語の連体止めの「一つ、親の言いつけを守る」や体言止めの「一つ、廊下は走らないこと」というのに似ている。
hhh) 不可能 →не + 完了体動詞不定形。
(本件をあきらめることは絶対にできない)Бросить дело нельзя никогда.
(この件に対する彼らの貢献を過大視することは難しい)Их вклад в это дело трудно преувеличить!
(さもないと身のためにならないぞ)Иначе тебе не сдобровать!
 трудно は単なる否定ではなく、不可能に近いというように受けとめられているので完了体不定形と結びつく。
(歴史の歯車の向きを変えるのは難しい)Трудно повернуть колесо истории.
iii) 例示的用法 → 完了体動詞不定形
 状況によって現れたり現われなかったりする潜在的に可能な動作が問題になっている場合には、完了体を使用する。第94回回答(これは意味的には命令法であり、命令法でも例示的意味が出てくることが分かる)参照。
 この他にも主文における動作の反復性があるときの不定法として、反復性は主文の中の動詞によって表現され、その後に用いられる不定法、ないしは従属節中の不定法は完了体で用いられるのが普通である。これは反復という動作を主体の動詞が担い、不定法で示される動作を例示的な単一の動作と見ているからだと思われる。
(この敷地内に入る時は毎回特別な入構許可証の提示が要求された)При входе на эту территорию каждый раз требовали предъявить особый пропуск.
 第245回、第257回回答参照。
jjj) 「する気になれない」 → не + хотеть/хотеться + 完了体動詞不定形
不本意や遺憾の意を表明するときに用いられる。(騙すつもりはなかったんだ)Я не хотел обмануть вас.
 ここから発展して非難の意味にもなる。(私と口を聞くのも、話を聞こうとするのも嫌なんですね)Вы не хотите даже поговорить со мной, даже вылушать меня.
 стремиться, стараться, думать, предполагать〔予定するという意味で〕+ не + 完了体不定形も不本意や遺憾のニュアンスがある。
kkk) 不定形の名詞的用法(第122回回答参照) → 完了体動詞不定形
 具体的な動作という事で完了体不定法が来る。

〔定動詞と不定動詞〕
lll) 定動詞の用法(第22回、第136回回答参照)
mmm) 不定動詞の用法(第24回、第31回、第39回、第40回、第41回、第74回(идти/ходить過去形の否定の用法の違い)、第91回回答参照)

〔その他〕
nnn) 時制に関係なく完了体動詞と不完了体動詞で意味の異なる動詞群(писать/написатьグループ)
 完了体でのみ結果の達成の意味が出るグループには、будить/разбудить, варить/сварить, выбирать/выбрать, готовить/приготовить, делать/сделать, добиться/добиваться, доказать/доказывать, жарить/пожарить, купать/выкупать, линять/полинять, мазать/помазать, мерить/померить, (мочь/смочь), мыть/вымыть, объяснять/объяснить, писать/написать, печатать/напечатать, поступить/поступать, прятать/спрятать, резать/порезать, решать/решить, рисовать/нарисовать, стирать/выстирать, читать/прочитать, шить/сшить,
 不完了体は試み、努力、つまり一定の結果を得ようとした動作を示すが、完了体動詞では結果達成の実現を意味する。例えば、
(昨日は一晩中論文を書いていたが、結局書きあげられなかった)Я писал вчера статью весь вечер, но так и не написал её.
(兄が弟に法則を説明したので、弟は問題を解くことができた)Старший брат объяснил младшему правило, и тот смог решить задачу.
 сдавать/сдатьは上記とやや違っており、不完了体の意味は「試験を受ける」で、完了体のほうは「試験に受かる(合格する)」となる。(資格試験に受かる)сдать квалифицированный экзамен
ooo) 不完了体動詞が意味上優位な動詞群(звонить/позвонитьグループ)
 このグループの完了体動詞はпо-という接頭辞をもつ。しかしпо-という接頭辞を持つ動詞がすべてこのグループに入るという事ではない。この動詞群ではпо-という接頭辞は完了体という意味の指標であり、はっきりとした語義上のニュアンスをもたず、所与の動作の一回性を強調する。この動詞群は不完了体から完了体が発達し、そのように完了体を発達させた理由というのが、未来における必要性、可能性、好ましさを指摘するときだけと思われる。だから、たんに「~するつもりである」という意図を示す時はбыть動詞の未来形 + 不完了体不定形も用いられる。また不完了体が主体のため、過去時制や目的を示す不定形に用いられる場合、特に動作主体、動作の時間などの話し手の注意が集中する場合には完了体も用いられるとはいえ、不完了体が優先的に用いられる。このグループに属するものは、дарить/подарить, думать/подумать, желать/пожелать, звонить/позвонить, здороваться/поздороваться, знакомиться/познакомиться, мешать/помешать, обещать/пообещать, пробовать/попробовать, просить/попросить, прощаться/попрощаться, пытаться/попытаться, рекомендовать/порекомендовать, ручаться/поручаться, служить/послужить, советовать/посоветовать, стараться/постараться, терять/потерять, целовать/поцеловатьであり、第15回、第21回本文および第10回、第25回、第38回回答参照。
ppp) 状態「~である」と状態発生「~となる」を示す動詞群(казаться/показатьсяのグループ)
 このグループは完全な体のペアとは呼べない。Было трудно.(困難だった)とСтало трудно.(困難になった)の意味の対立に例えられる。このグループの完了体は容易に結果の現存の意味を示し、その点で状態を示す不完了体と対立する。
(電話か?飛び起きて聞き耳を立てる。いや、気のせいだ)Телефон? Вскочил, прислушался - нет, показалось!
 この文に不完了体の持つ持続性の観念はないからказалосьに代えることはできない。このグループの完了体は潜在的可能性の意味が発達するため、不定形で広く使われる。この動詞群には、любоваться/полюбоваться, казаться/показаться, любоваться/залюбоваться, любить/полюбить, нравиться/понавиться, понимать/понять, придавать/придать мужества, принимать/принять участие, сдерживать/сдержать нетерпение, сердиться/рассердиться, слышаться/послышатья, увлекать/увлечь, чувствовать/почувствовать
qqq) 不完了体動詞のみでの可能性(可能・不可能)の意味を示す用法
(横になって(立って)尿をこらえられますか?)Вы удерживаете мочу лёжа (стоя) удержать= не дать возможности прорватьсяなので、この動詞の語義の中に可能性が含まれているゆえに、「~できる」と和訳することができる。このように動詞の中に可能性や五感などの感覚が含まれているものは、「~できる」と訳せる。(第260回本文、第265回、第267回回答参照)
rrr) быть動詞の用法
 軍隊で上官に対する敬語として、Есть + 不定形というのもある。
(タバコを喫うであります、将軍殿)Есть закурить, товарищ генерал!
(命令により報告するであります)Есть докладывать по команде.
(起こさないであります)Есть не будить!
 不完了体不定形が来るのは着手の用法であり、完了体不定形は具体的な1回の動作を示す。
第31回回答参照。бывать動詞の用法は第31回回答、第84回本文参照。
sss) 時制の転用(歴史的現在、例示的用法以外の時制の転移、第28回回答参照)
(後5分で着きますよ)Ещё пять минут, и приехали.
ttt) 相対時制
 日本語でも「死んだ方がまし(死ぬ方がまし)」、「もし何かったら(もし何があれば)」、「急に仕事がなくなったらどうする?」、「任期を終えたら家族の元に戻る」などと未来完了を強調するときは、そういう形式がないから過去完了を使わざるを得ない。ロシア語にも似た表現があるが、「寝た方がいいよ」はロシア語ではВам лучше лечь в постель.と不定法で間に合ってしまうから、全部この形式で和文露訳できるということではない。基本的には完了体未来形で先に終了する動作を示し、先に終わる動作の終了を強調する場合に完了体過去形を用いる。
(患者が音叉が聞こえなくなるまで音叉を持っていてください)Держите камертон до тех пор, пока больной не перестанет его слышать.
(治療の結果は思っていたほどよくない)Результаты лечения не такие хорошие, как можно было ожидать.
(もし何人かのスケート選手が同じ距離で同タイムを出したなら、各人がその距離の優勝者と見なされる)Если несксколько конькобежцев показали одинаковое лучшее время на одной дистанции, каждый из них считается победителем на этой дистанции.
 第25回、第56回、第135回、第137回、第143回、第168回、第234回、第250回回答参照。
uuu) 「~(の)まま」(第71回回答参照)
vvv) 機能動詞(第9回、第11回、第17回本文参照)
www) 機能的副詞句(第131回本文参照)
xxx) 評価伝達の動詞ошибиться他(第27回本文参照)
yyy) хотеться(第32回本文参照)
zzz) 複数と単数(第37回回答参照)
 可算名詞を使って漠然と有無を表現する文には複数を用い、否定文では複数生格となる。これは一つ以上の可能性を排除しないからではないかと思われる。無論具体的な場合には文脈に応じ単数と複数が用いられる。ロシア語には英語と違い不定冠詞と定冠詞がないため、その機能(不定と所与の関係)を単数と複数に割り振っているのかもしれない。例えば、(便秘〔下痢〕していますか?)と医師が尋ねるときは、有無が不明で、漠然・曖昧としており、そのためВы страдаете запорами (поносами)?と単数形ではなく、複数形で尋ねるという例があげられる。ところがあるということが確認できた後では、既定の事実ということで単数なら単数形を、複数なら複数形を用いる。
 日本語では特に複数という概念があまりないので、抽象名詞は単数と理解すればよいと思いがちだが、技術технологияは一般に技術を意味するときは単数だが、何種類かの具体的な技術を意味するときは複数になる。музыкаは音楽という意味では単数だが、吹奏楽や楽器とという意味では複数が使えるし、(吐き気、嘔吐、ゲップはない)Тошноты, рвоты, отрыжки нет.は否定文でいずれも単数生格が来ている。動詞由来の名詞(動名詞)でも状態を示すものが単数のみとか、動作を示すものが複数も可能だとは必ずしも言えないようである。抽象名詞でも個々の出来事をいくつか意味するときは複数が来るし、物質名詞でも大量とか広い場所を占めるというようなニュアンスの時は複数となる可能性が高い。
(骨の損傷はない)Костные повреждения отсутствуют.
(病歴にアレルギーはありますか?)В анамнезе нет аллергий?
(今尿意はないですか?)Нет ли у вас сейчас позывов к мочеиспусканию?
 抽象名詞で個々の事例をいくつか示す時には複数ではなく、助数詞を使える場合もある。
новые виды энергии(新しいエネルギー)、такие виды оборудования(これらの種類の設備)、разнообразные виды искусства(様々な芸術)
 第280回本文、第257回回答参照。
aaaa) 敬語(第39回本文参照)
bbbb) 強意代行動詞(第77回本文参照)
cccc) 形容詞の最上級(第42回本文参照)
dddd) 助数詞(第45回本文参照)
eeee) 副動詞(第57回本文参照)
ffff) 関係代名詞(第266回回答参照)
gggg) 無人称文
 自然の猛威が動作主агенсであるもの、無人称文がすべて人称文に置き換えられるわけではないがこれらは例外とされる。第189回回答参照。
hhhh) 不定人称文(受動態「~される」としての用法)
 日本語ではどの動詞でも受動態を使うのは文体上好ましくないとされるが、それでも主語をぼかしたいときなど受動態を使わざるを得ないときもある。ся-動詞というのは完了体では自動詞が多く、たとえばотклеитьсяなどもそうである。ところがся-動詞の不完了体や被動形動詞過去形短語尾で受動態が作れるものがあり、それらは表示するかどうかは別にして動作主がある。ただ他動詞であれば、ся-動詞で受動態を作れるというものではない。完了体の用法で動作主を考慮に入れた受動態を作るには被動形動詞過去形短語尾を使えばよいが、完了体や不完了体という制約を考えずに、主語をぼかしたいのであれば不定人称文を使った方がよい。受動態で使われるся動詞の不完了体や被動形動詞過去短語尾だと、全部の他動詞の不完了体動詞がся動詞となって受動態で使えるわけではないなどいろいろ制約があるため、繰り返しや動作の一般化ということでは、不定人称文を勧める。不定人称文は完了体も不完了体も過去時制でも、現在時制でも、未来時制でも用いられる。こうすれば「ひとりでに~した」というような自動詞的な要素は排除できる。このとき動詞は複数(現在時制や未来時制では3人称複数)になるが、必ずしも意味上の主語が複数とは限らない。一人称単数や三人称単数の場合もあるし、Как вас зовут?(お名前は)は二人称と考えることもできる。
(ラジオでは最新ニュースを放送している)По радио передаются последние известия. = По радио передают последние известия.。
(店にはまもなく新刊の雑誌が入る)В магазин скоро привезут новые журналы.
(追手をかけられたら、いつか死ぬぞ)Подохнёшь однажды, когда будут гнать.
(窓が閉まっている)Окно закрыли.などである。第181回、第197回の回答参照。
 不定人称文を使って、日本語の「人 = я が~しているのに」という構文を表現できる。
(人が説明しているのになぜいうことを聞かないの?)Тебе объясняют! Почему ты не слушаешь? 第249回回答参照。
iiii) 人称の転用(第46回回答参照)
jjjj) 主題の提示(テーマとレーマ)
 日本語の主語を示す助詞「~は」は主題を提示するか、テーマの一般化を示し、「~が」は具体的な事柄を示す。「傷口は痛い」と「傷口が痛い」など。露文解釈では一般的な事柄なのか、具体的な(例えば目の前の)によって和訳を変える必要があるが、会話の和文露訳では、主題の提示を強調する場合にはчто касается + 生格やпо отношению + 生格という句を使う場合もある。第21回回答参照。
kkkk) 構文「とても~ので~する」第182回回答参照。
llll) 生格の述語的用法(第184回回答参照)
mmmm) 接続詞что/какと知覚動詞(第206回回答参照)
nnnn) 仮定法(第233回回答参照)
oooo) 類語、類義語(第1~8回、第14~17回、第20回、第22回、第23回、第25~27回、第29回、第31~37回、第40回、第43回、第44回、第46~50回、第52回、第54回、第56回、第57回、第64~66回、第68~70回、第74回、第75回、第79回、第80回、第82~85回、第88回、第91回、第93回、第94回、第102回、第106回、第108回、第112回、第116回、第117回、第118回、第122回、第124回、第128回、第132回、第136~138回、第144回、第146回、第149回、第151回、第152回、第155回(原因を示す前置詞句)、第156回(前置詞句「~のために」)、第158回、第166回、第167回、第175回、第183回、第185回、第188回、第189回、第196回、第197回、第198回、第199回、第202回、第204回、第212回、第215回、第217回、第221~225回、第239回、第244回、第249回、第252回、第254回、第257回、第261回、第270回、第272回、第275回、第276回、第283回、第286回、第288回、第296回、第297回本文参照、第19回、第23回、第27回、第29回、第33回、第39回、第46回、第53回。第58回、第59回、第61回、第67回、第88回、第91回、第96回、第100回、第101回、第107回、第108回、第128回、第139回、第140回、第143回、第157回、第160回、第173回、第175回(「今」について、第38回回答も参照の事)、第181回、第195回、第199回、第204回、第211回、第216回、第218回、第274回、第275回、第285回回答参照)〔この他にロシア語珍問奇問第2回、第3回、第5回、第9~11回、第13回、第15回、第16回、間違いやすいロシア語第17~22回本文参照〕

私が紹介したいと思うのは、日常会話や通訳、ガイドなどで比較的よく使われるだろうと思う一見簡単に見える短文であり、それををいかに露訳するかである。チェーホフは(簡潔さこそ才能の片割れ〔妹分〕)Краткость – сестра таланта.と言ったが、全ては短文の中にある。短文の露訳ができなくて長文ができるはずがない。しかし文法の例外事項のコレクションを紹介するつもりはないし、19世紀や20世紀初め以前のロシア文学で使われ今や廃用となっているものを示すつもりもない。設問の日本語を見れば分かるように、日常よく使う表現だが、すぐロシア語が出てきにくいが、応用できると思われるものを対象にしている。和文解釈で文法用語を覚える必要はないが、上記で使われている文法用語は繰り返しを避けるためのあくまでも便宜であるし、将来、文法に興味がある人も出てくるかもしれないからである。自分が感覚的に体の用法を使えるものは(例えばдолго, медленноなら不完了体だろうとか)、それはそれでいいのである。問題は自分の感覚と体の用法が違うなと思うものは、子供ではないのだから理屈(あるいはらしきもの)をよく理解して覚えるようにすれば覚えやすいはずなので、絶対理屈で覚えよということではなく、覚える手段の一つと割り切ればよい。

 体の用法は完了体が新規の事柄や潜在的可能性を扱い、不完了体は固有の性質を示すとされているが、その境界はあいあまいで客観的な線引きは、話したり書いたりするのが人間であるため不可能である。完了体はプラス思考型で、不完了体はマイナス思考型という捉え方もできる。そのため時に両方の体が可能な場合があるが、そのときにも上記の体のニュアンスが残っているのだ理解すればよい。体の同義的使用が見られるのは過去時制では話し手の注意が動作の場所、時、主体などに向けられている時、不定法では目的の意味の語結合において、未来時制では単一動作の事実の伝達に際してであるとラスードヴァ先生も書かれている。

 不完了体についてもっと言えば、当然だと思うのは自分ではなくて、自分から見て回りが当然だろうと見なしてくれるという感覚があれば不完了体を使うということにある。話し手の意識の中において他力本願的(受け身という言葉は誤解を招くので使わない)で、その場の雰囲気に逆らわない着手の用法や、そこからその場の雰囲気にのまれるというか、義務という観念が生まれたのではないかと考える。またその現れ方が時制や法(命令法や不定法)によって強弱があるのではないだろうか。どちらの体を使うかによって、その時の話し手の意識がくみ取れるということでもある。ただ会話では相手もいることであり、相手が理解しやすいよう、つまり解釈が独りよがりにならないようなその場において適切な体を選択できるよう体の用法をマスターしなければならない。

 体のペアになっている動詞は語義が同一であるという前提がある。ところが露和辞典を引けば分かるが、このように体となっている動詞の中にもある語義だけが対応する体がないものもある。それと全ての動詞が体のペアになっているわけではないし、なっていても体の用法の違いのほかに、完了体と不完了体で語義の違うものがある。それは辞書には別項目で出ていたり、別に説明があるのが普通である。例えば、разобратьсяは「вникнув в подробности,понять, уяснить「究明する、解明する」という意味で、不完了体разбиратьсяも同じ意味だが、一つだけ完了体と意味が違うのは、不完了体にはбыть хорошо осведомлённым, обладать познаниями в какой-либо области「ある分野に通じている、深い知識がある」という意味があるなどである。понять/пониматьにも同様な意味の違いがある。

 体の用法についてはかなり細目にわたって述べたが、本質は単純である。つまり不完了体は自然体に、完了体は新規に用いるというだけのものである。これまでの学説は完了体中心に体の用法を説明しようというもので、不完了体については消去法での説明である。私はそうではなくて、不完了体を中心に据えて説明した方が、無理なく体の用法を説明できると考えて、この表を作った次第である。体の用法を会得するには、枝葉→本質→枝葉→本質の繰り返しで、この一種の悪循環から抜け出せば、つまり大げさに言えば解脱とか悟りということになる。ただ悟ったと思った瞬間からその悟りは本物かという検証が続くことを忘れてはならない。

設問)アイスダンスの選手に対する質問「何番目に滑るのですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年03月15日 06:22
コメント

(1) Когда вы будете
выступать ?

(2) Которая будет
очередь вашего
выступления ?
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設問は順番を聞いているわけで、最初の答えは午後1時ですというような答えを想定していることになります。二番目のкоторая очередьというのは「どんな行列」という意味にしかならないと思います。私の答えは、Каким по счёту вы катаетесь?
アイスダンスはフィギュアスケート競技同様に一方向には滑らない。それで不定動詞を使う。不定動詞はДети сейчас бегают по двору.(子供たちは今中庭を走り回っている)というように過程の意味でも用いることが出来るから、その意味を発展させて予定の意味で使う事が出来るという例である。設問はКто выступает первым в этой группе?(このグループでは誰が最初に滑るのですか?)の応用という事になる。オリンピックのインタビューなどでも使える。
  それではリュージュやスキーの滑降の選手に対して一方向だから定動詞катитесьが使えるかというとそうはいかない。бежитеとなる。これはスピードを競うレースだからだろう。

Posted by ブーチャン at 2012年03月15日 08:10

1)В какую очередь вы играете?
2)В какую очередь вы катаетесь?
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「どの順序で」ということですから、アルファベットとか、背の高さとか、年齢とかということを聞いていることになります。ただすごいのは不完了体現在形の予定の用法が二つの文とも正しく使えていることです。特に二つ目のは特筆に値します。

Posted by 角丸 at 2012年03月15日 15:33

(お題)
「何番目に滑るのですか」
В какой очереди Вы катаетесь?

不完了体現在による予定の用法、と考えました。
質問者も「(滑るのは分かっているが)何番目か」に重きを置いており
不完了体が適すると思われます。
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角丸さんと似たような答えです。катаетесьを選んだのはすごいと思います。

Posted by コーシカ at 2012年03月15日 22:47

В каком порядке вы катаетесь?

上記本文の中で、кататься も新規の動作を強調しない場合は近未来で使えるとのこと。さっそく使いました。滑ることは決まっていて、何番目というのが質問の趣旨であるためこのケースにあてはまると考えました。
総まとめをありがとうございます。とても助かります。

もしかしてアイスダンス…も設問に入っているのでしょうか。具体的なので入っているのかもと
一応訳してみました。
вопрос фигуристам в танцах на льду
アイスダンスは普通ペアなので二人に聞いていると考えて複数形にしました。
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設問は「」の中だけです。ちなみにアイスダンスの選手への質問は、вопрос к танцору (ам) на льдуです。さてお答えですが、これもどんな順序かを聞いているわけで、アルファベット順とか、そういう答えになります。実によく表を見ていますね。感心しました。

Posted by メイ at 2012年03月16日 01:23

書いてみるものですね。正解がわかって得した気分です。アイスダンスの選手はフィギュアスケートというよりはダンスに重点が置かれるんですね。

Posted by メイ at 2012年03月16日 19:51
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