2011年11月07日

●和文解釈入門 第171回

распознать её миссию(彼女の使命を理解する)という語句を見て、распознатьを「見てとる」ぐらいの意味だなと思えば(確認のために露和や露露を引く人もいるだろうが)、露文解釈ならこれで終わりである。ところが和文解釈に活かそうと思うと、露露を引いてопределить, узнать по каким-либо признакамというところまで読み、何らかの特徴を見て知るのだな、つまり類義語の使い分けを確実にする必要がある。この動詞を会話で使うためには、узнатьなどとの違いというのを、常に頭の中では気にかける必要が出てくるわけである。これはロシア語だけではなく、日本語にも及ぶ。なにせ和文解釈だからだ。日本人だから日本語はすべて類義語のニュアンスにいたるまで人に講釈できるほどできると考えるのはおかしいわけで、それができる人というのは国語辞典の編纂者を除き、そういるものではない。だから広辞苑(電子辞書だが)は手放せないし、英和辞典、露露、露和とともに日常的に非常によく使う。
設問)「タバコの吸い殻のポイ捨て禁止」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年11月07日 05:33
コメント

今日(昨日?)は “Как я провел этим летом” を見てきました。これも造格で変ですが,これはこれで意味があるとのこと。極端に会話が少ない映画ですがそれでも意味がきちんととれていませんでした。日本語字幕のありがたかったこと!

①Не бросайте окурки!
②Нельзя бросать окурки!

окурки か окурков かで悩みました。吸殻自体は具体的ですが,この場合は「吸殻というもの」と抽象的にもとれるので,それこそ50%の確立でエイヤッです。それとももっとぴったりの表現があるのでしょうか。これくらいしか出てきません。
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映画のようですが、完了体過去形を使っているので、「この夏をどう過ごしたか?」で、今秋か、冬か、春だったとしてこの前の夏がよかったか悪かったか(結果の評価)ということのようです。この夏(直前直後ということで)はв это летоともいいます。二つとも正解です。私の訳は、Не бросать окурки мимо урны.
禁止だから не + 不完了体を使うという分かりやすい例で、このコーナーを続けている人なら、禁止という言葉を聞いたり見たりした段階で、自動的にне + 不完了体が瞬間的に頭に浮かび、後はどのような動詞を持ってこようとなるはずだ(そうなることを願ってこのコーナーを続けてきたとも言える)。しかも日本語が体言止めになっているのだから、これに合わせることを考えてもよい。不定形の禁止は設問にある日本語の体言止めや、「タバコの吸い殻を捨てないこと」と同様、意味が強い。ついでに不可能とか「~できない」という文言があれば、не + 完了体というのが自動的に頭に浮かぶようにしておけばよい。не + мочь + 完了体だと「~できない」という意味のほかに、文脈によっては、「~するはずがない」Он не может прийти.(彼が来るはずはない)という意味があるからだ。しかし完了体のсмочьを使えば、Он не сможет сегожня прийти.(彼は今日来られない、来ることができない)と意味が明確になる。またсмочьとсуметьは現代語では不完了体ののмочь/уметьと違い、同義語と考えてよい。
 ポイ捨ては国語辞典では「所構わずゴミを捨てること」だから、ゴミ箱があるのにゴミ箱に入れないとか、ゴミ箱がないところではゴミを捨ててはいけないのに捨てるというのをさすはずだ。私の答えは前者の例である。吸い殻は具体的なゴミで、抽象的なゴミ(例えば「社会の屑〔ゴミ〕」)というのとは違うから、否定しても対格のままである。

Posted by メイ at 2011年11月08日 00:52

① Нельзя бросать окурки.

② Не бросайте окурки.
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ともに正解です。メイさん同様全く危なげのない回答で、結構ですが、ここまでできるのなら、徹底的に設問の日本文に合わせる和訳を考えてもいいかもしれません。和文が連体止めになっているのならそれに合わせるというのも一つの手です。

Posted by ロンロン at 2011年11月08日 01:03
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