2011年11月08日
●和文解釈入門 第172回
「ロシア語が話せる」というのは目標を低く設定すればするほど可能である。挨拶やホテルにトラブルなくチェックインできる(予約してあれば、名前を言えば会話の必要は特にないはずだが)というのも、それはそれでロシア語がペラペラだという解釈もできる。これは思いつきで書いているのではない。あるロシア人が彼の友人で日本語がぺらぺらな人の事を話してくれたが、彼が思うペラペラというのは、日本のホテルにチェックインできるレベルだったのだ。そこまでいかなくても、自分の趣味や自分の言いたい事を話せるというのがぺらぺらだというのなら、1年か2年まじめにロシア語を学べば達成できるレベルである。ところが見知らぬ人の言うことを正確に通訳できるというのは、ロシア語をプロで20年やっても、30年やっても、あるいは40年やってもできるという保証はない。どんな趣味の人か、どんな話題をするのかまったく分からないからだ。いきなり日本語で仲間内のジョークでもされた日にはどうしようもないという気にもなる。だから取りあえずどの辺に「ロシア語が話せる」という目標を置くかによって勉強の仕方も変わる。この辺をよく考え、目標が具体的であればあるほどその実現の可能性は高くなり、それによって自ずから勉強の方法も決まってくるというものである。
体の用法の参考書を読んでなるほどと思い、分かったような気になるが、いざ会話でロシア語を話そうとするときにどちらの体を使ったものか迷うという事が多々ある。そういう場合、体の用法をマスターしたかどうか調べるのは簡単である。試しにどんな露文でもいいから一節(文脈が分かるぐらい)読んでみて、その中にある動詞がどの体の用法を使っているのかその動詞の体の用法が分かることと、日本語の新聞や小説(会話の多いものがよい)の一節を仮にロシア語に訳すとして、動詞の具体的なイメージがわかなくても、どの体を使えばいいか分かったのなら、体の用法を理解したことになる。また体の用法を自分なりに理解したと思うのと、それを他人に伝えるというのは別物である。真に理解するという事は、他人にも説明して理解してもらうだけの確信がなければ、本当に理解したことにはならないと思う。自分がこのコーナーを続けているのも、自分が本当に体の用法を理解したのかの実証実験でもある。人が分かってくれなければ、本当に体の用法を理解したとはいえないからだ。そのためロシア語の例文を多用することにしている。
設問)「遅れますからと電話してください」をロシア語にせよ。
カジューシャさん,風邪などひかれていませんか。いろいろな表現を提供して下さっていたので
勉強させていただいていました。なんだか淋しいかぎりです。
Позвоните, пожалуйста, что я опаздываю.
今回,что以下をどっちの体を使えばいいのかわかりませんでした。確実な近未来ということでいいのでしょうか。
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正解です。迷っているというのは大きな飛躍の兆候です。実戦では結果を求めることのみ優先されますが、常になぜこういう体を選んだのかということを自問していないと体の用法はマスターできません。私の答えも、Позвоните, что я опаздываю.
不完了体のопаздыватьにはこの動詞独自の意味があり、この場合は予定の意味であって、動作はまだ始まっていないが、これから遅れないように行動しようとする時間があまりないという意味である。私の不完了体ライン(レール)説で考えると、опаздываюはレールの上を走るように、このまま行くと回りの状況から判断して間に合わないと考えるわけである。опаздаюなら遅れるというのがかなりの確実で未来に起こるという意志的なものがニュアンスとして感じられる。日常生活では前者と考えるのが普通であろう。むろん携帯が壊れたか持っていないので駅から誰かに電話するよう頼むという設定なら、通常の過程の用法となる。
Позвоните, чтобы я опаздывала.
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発想としては惜しいというところです。ご回答だと、「私が遅れるように電話してください」となり意味が取れなくなります。思い切ってчто опаздываюとすれば正解だったのです。こういう文脈では心理的に不完了体現在形は使いにくいというのは理解できます。