2011年11月09日
●和文解釈入門 第173回
過去を示すのであればどんな文脈でも歴史的現在が使えるのかというと、完了体過去形の結果の残存は現在と直接つながる故、使えないことが分かる。同じ完了体過去形のアオリストならどうだろう。一見すべて使えそうだが、歴史的現在というのは、「過去の出来事を眼前にあたかも現在そうであるかのようにありありと再現する」という用法のため、Падучева Е.А.が指摘しているように、心理的距離(第120回本文参照)のあるものは使えないとしている。歴史的現在とは、フォークロア的なものから発達したものであり、民衆的な用法、ナレーション的用法であり、私の考えではこの用法の上記のような定義と矛盾するような用法、例えば、統計的データを羅列するような文章では使えないと思う。日本語の歴史的現在(見かけが似ているからこう呼んでよいのかは分からないが)では、語調を整えるという大義名分があれば、このような用法の制限はない。
さらに、私の考えでは、歴史的現在というのは見かけが不完了体現在形による現在時制の過程や状態と似ている。だから文脈的にどちらか分からないときは、歴史的現在ではなく、現在時制の過程や状態と理解される可能性が高いので、使えないか使いにくいはずだ。Бондаркоは歴史的現在に転換できない例としてНаконец он опомнился.(ついに彼の意識が戻った)を挙げている。これを歴史的現在の意味で不完了体現在形の*Наконец он опоминается.にはできないという。Бондарко曰く、どうしても歴史的現在を使いたいというのなら、Наконец он приходит в себя.というように別の動詞句を使う必要があるという。私が思うには、опоминатьсяはОн постепенно опоминается.(彼は徐々に意識を取り戻している)のように過程でも使うので、Наконец он опоминается.は「ついにかれは意識を取り戻しつつある」という意味に取られる可能性があるが、приходитьはпри-という接頭辞のついた運動の動詞であり、そのため過程では使われないのが明らかだからであろう。
ただ原求作先生の「ロシア語の体の用法」137ページに、приходитьは過程では用いられないが、приходить в себяなど抽象的な意味で使われている時には、начинать приходить в себяなどで過程を表しうると書いてある。これは語義の体の用法に対する影響の問題であって、体そのものとは関係ないとも書いてあるからこの場合とは違うと考えられる。ただ似たような文例で、Я начинаю думать ...は以降の過程(~と考え始めつつある)というよりは、「もうそういう考えになった」というニュアンスであるから、これを過程と考えるのはどうかなという気もする。例えば、「シンプルなものはごまかせない」という、このコーナーの標語にもピッタリとしそうな化粧品のCMがある。「シンプルなものはごまかせないと考え始める」と一見言えそうだが、考えるときに、「シンプルな」、「ものは」、「ごまかせない」と、歩いていて景色が変わるようには我々の頭でとらえているわけではない。ロシア語のначинаю думать, что ...というのは「シンプルなものはごまかせない」で一つの考えであって、細切れの「シンプルな」とか「ものは」とか「ごまかせない」では考えとしての意味を成さない。考えというものは、あるいはある考えを考えるという事は、考えをひとまとまりで考えるということであり、せいぜいのところ、その考えに対して確信を持ち始めるということだと思う。イメージと思考は別物なのだ。
設問)「グズグズ手間取るのだけはやめてくださいね。さもないと私たち汽車に乗り遅れますよ」をロシア語にせよ。
Только не задерживайтесь, а то мы на поезд опаздываем!
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惜しい。私の答えは、Только не задерживайтесь, а то на поезд опоздаем.
задержатьсяはいつもより時間がかかり過ぎるという意味で、опоздатьはあるきまった時間に遅れるという意味で、二つの動詞の基本的な意味の理解を問う設問である。задержаться на работеは仕事で遅くなるという意味である。опоздаемと完了体を使うのは、このままではなく、「さもないと」という新しい条件が与えられているからである。私の不完了体ライン説だと、опаздываюだとそのままレールに乗って走るという予定の用法だが、この場合は「このままだと汽車に乗り遅れないが、あなたがぐずぐずすれば、乗り遅れる(新規の事柄)、つまり別の線路か別の路線(乃至は車道)に電車は行くことになりますよということである。
なかなかですね。これは時間がかかりそうです。実際にはこんな感じで話していると思います。
もっと基本単語でも間違えてそうですが。