2011年08月04日
●和文解釈入門 第86回
メッシングはポーランド系のユダヤ人でソ連時代の有名なテレパシー術師телепатだった。1950年代の初めにカザンで若い女が真夜中に橋から突き落とされて殺されるという事件が起きた。昔の恋人が犯人として拘留され、裁判となったが、彼は犯行を否定した。メッシングは裁判を傍聴していて、明らかに犯人からと思われる思考を捉えた。メッシングは自首するようにテレパシーで促したが、ふんぎりがつかないようだった。そこで出口とよく間違われるつきあたりの喫煙室に手書きでВЫХОДА НЕТ...と書いた。これは「出口ではない(「出口なし、八方ふさがり」という意味にも取れる)」という意味で、ロシアでは地下鉄の車両のドアで「ここからは出られません」という意味でВЫХОДА НЕТというのがあるし、地下鉄の出口ВХОД В ГОРОДと書いたドアの隣にНЕТ ВХОДА(ここからは出れません)といういう看板がかかっている(日本とは発想の違いか)。ちなみに最後の多重点(...)はメッシングが付け加えたものである。これを見た犯人は耐えきれなくなって自供したという伝説がある。このときメッシングの伝記を書いた作者は英国では出口をWAY OUT (米国ではEXIT)というが、地下鉄では自殺を防ぐために、Way in another side (Выход с другой стороны) と変えたと書いているが、本当だろうか?この作者は米国に移住してからメッシングの伝記を書いたのである程度は海外の事情に通じていると思われるのだが。
設問)「右に行って、それから花屋さん(のところ)を左に曲がってください」をロシア語にせよ。
Идите направо, затем
поверните налево в
углу цветочного
магазина (магазина
ЦВЕТЫ.)
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そのまま行きなさいというのではなく、道を聞かれて教えているわけですし、まったく新たな展開ということですから、完了体命令形でないとおかしいことになります。それと「角で」в углуとは言わないでしょう。в углуのугол = место, где сходятся внутренние стороны предметаで(部屋などの隅)、на углуのугол = место, где пересекаются улицы(街角)となります。例えばна углу с улицей Луначарского(ルナチャールスキー通りの角で)とかна углу Марксистской и Воронцовской улиц(マルクシースツカヤ通りとヴォロンツォーフスカヤ通りの角で)とあり、これは話者が通りのどこにいるか、どこに中心を置いているかによる。私の答えは、Пойдите направо, потом у магазина «Цветы» поверните налево.
このように新たな事柄については完了体の命令形を使うのが普通である。
(訳)
右に行って、それから花屋さん(のところ)を左に曲がってください
Пойдите направо, и повените налево у цветочного магазина.
・(少なくとも発話の時点では)1回きり、かつ具体的な命令なので
両方とも完了体命令です。また前者の理由から定動詞です。
・идти ではなく пойти とすることで出発の意味合いが出て、設問に相応しく思います
・у +生格なのは、花屋さんが目的地ではなく、あくまで曲がる目印として近づくためです
・方向は налево、 направо を使用しました。
влево、 вправоとも言えるようですが(恐らく互換可能)
前者の方が用例が多く、一般的かと思われます。
地下鉄から街への出口のくだりですが、露か和のどちらかがおかしいように思います:
(ここからは入れません)と書こうとされていたのではないでしょうか。
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正解です。厳密にいえば「それから」をиだけでというのは弱いように思います。затемとかпотомを入れたほうがよいでしょう。地下鉄の出口が「街への入り口Вход в город」となっており、その隣にНет входаとあるのは写真を見ながら書いているので間違いはありません。このドア (Входа нет) は地下鉄に入ってくる人のだから出る人は使わないようにという意味のようです。
あぉ、иにしてましたか
потомと打ったつもりでおりました…
なるほど、街への入り口なんですね~
そう言えば出入り口とも反対側には進入禁止のマークが付いておったように思います。
扉の開く方向もわが国では「押」「引」ですが
露国ではそれぞれ от себя、 к себе と異なる発想で面白いですね。
今回、どっちか違いませんか、と突っ込んだのは、
「出られない」の「ら」が抜けていたので、
どっちやろ?と迷ったからです。