2011年02月25日

●和文解釈入門 第13回

革命前のロシアの作家の稿料(文筆料)というのは低く(20枚で200~300ルーブル)、それも雑誌や新聞が主な収入源であり、本ではなかった。15枚5000部で500ルーブルももらえれば御の字だった。1905年の第一次革命の後、実質的検閲がなくなって、それから何千もの出版社が現れ、本の出版が本格的になり、それからである。チェーホフもこれには間に合わなかった。無論ドストエーフスキーもガルシンもナトソーンも死ぬ時は金に困っていた。子供向けのものは読者の年齢が小さいという事で稿料が最も安く、支払われた版権は50~70ルーブルだった。
この頃本が売れずに出版社も困っているらしい。ただ本の需要はあるわけで、今後は電子書籍に移ってゆくのは当然の成り行きと思われる。それゆえ編集者や出版社の役割はこれまで通り必要だとは思うが、出版所はなくなってゆくだろう。当方も「和露技術用語千」や「和露観光用語集」など出版したいのだが、読者の対象が非常に限られているので売れ行きが芳しくないというのは分かっている。ブログやホームページを使ってタダで紹介すればいいようなものだが、当方は定職があるわけでもないし、家族ともども食っていかなければならないし、それなりに苦労したものをタダでというのにも抵抗がある。予約販売でもいいが、それだと常識的に500部か1000部ぐらい予約注文(前払い)を読者からもらう必要がある。これも難しい。それならシェアウェアとなるが、コピーをどう防ぐか、暗証をどうするかなど難しい。これが簡単にキンドルなどで利用してもらえるようになれば、本の出版も増えて行くと思うのだが。
「人は木から落ちても人だが、議員はサル(去る)」。こういうのはロシア語にならないなとは思いつつも、閑な時たまに露訳を考えることはある。Человек остаётся человеком, если он упадёт с дерева. А депутат, если он провалится на выборах, то останется с носом.まだまだ改良の余地はある。
形容詞の長語尾と短語尾の違いというのは、一般的に長語尾の方が永続的で、短語尾は書き言葉的で、かつその時点ではというニュアンスがあるが、長語尾と短語尾では意味がやや異なる場合もある。Он болен.(彼は病気だ).と Он больной.(彼は病気がちだ「больнойを名詞と理解すると(彼は病人だ)で、いずれも永続的ニュアンスである」のほかに、Он жив.(彼は生きている)とОн живой.(彼は生き生きしている)がある。живойは「生きている」という意味では、名詞の修飾はできるが、述語として単独では使えない。сохранить (оставлять)в живых(生かしておく), остаться (оставлен, оказаться) в живых(生きている), застать отца в живых(父の死に目に間に合う、生きている父に会う)、как живые (живой)(生きているかのように)となる。мёртвыйも「死んだ」という意味では短語尾であり、Он мёртв.(彼は死んだ)となる
 Он погиб от случайной взрыва. を「彼は偶発的な爆発で死んだ」と訳してもよいが、少し考えて、「彼は爆発事故で死んだ」のほうが日本語らしい。
設問)「お帰りになる時は明りを消して下さい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年02月25日 06:43
コメント

短語尾長語尾の違いについてのお話、興味深いです。
一般的な意味があり、やはりそこから派生した使い方がされていますね。

さて、設問ですが
「お帰りになる時に」をどうしてくれよう…
(答)
При уходе выключайте свет.
・不完了体命令による動作の着手を促す用法と考えました
・「お帰りになる時に」というサインもあるので
 不完了体の使用も抵抗がないものと思われます
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まじめにロシア語文法を長年取り組んだ人にこういうпри + 動名詞(動詞派生名刺)の前置格を使って「~するときに」を和訳する人が多いのです。英語のwhen ~ingと同じ発想で、簡単に作れますが、これは書き言葉ですし、第一体の用法の勉強になりません。コーシカさんのロシア語を和訳すれば、「退館時」とか「退室の際は」という非常に硬い感じになります。意味だけでなく、訳語の文体にできるだけ合わせるのがよいというのはご理解いただけると思います。そういう意味で日本語のよくわからないロシア人に(日本語を知っているといっても。パソコンで漢字変換が自由にできない程度の)、自分の作ったロシア語だけを見てもらうという意味の危さが分かると思います。しかもお答えは繰り返し(毎回毎回)という意味です。設問のほうは1回の動作と繰り返しの両方に分けて考えて、話し言葉ではという意味で書いてあります。私の答えは1回の動作は普通はКогда будете уходить, погасите свет.となります。
выключитеを使っても意味は変わりません。毎回毎回(繰り返し)となるとВсегда, когда будете уходить, гасите свет.となります。у-と言う接頭辞のついた運動の動詞は1回の動作も繰り返しの動作も扱えるので問題ないのですが、при-のついた運動の動詞は
при-という接頭辞のついた不完了体の運動の動詞は、未来の時制では繰り返ししか示せないのです。だからКогда будете приходить на занятия, приносите с собой книги.となり、1回の動作を示すには、приноситеをвозьмитеなどと動詞を換える必要があります。このбудетеを取ってприходитеとしても意味は変わりません。これからの繰り返しか、現在の繰り返しかということで実際の文では区別しないことが多いからです。

Posted by コーシカ at 2011年02月26日 00:19
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