2011年02月24日

●和文解釈入門 第12回

ソ連時代はすべての公団や企業、ロシアになってからは大きい会社やカザフからの出張者は、командировочное удостоверение(出張証明書)を持っていて、これに日本側の受け入れ先にスタンプと到着日、出発日を書いてもらうことになっている。官僚主義といえばそうだが、日本の会社によっては対外的な社印は部長の許可がいるとか、なかなか押してくれないことがある。そうなるとロシア側としては大いに困る。この出張証明書に日本側のスタンプがないと出張と認められないため、出張費が出ないことになりおおごとである。ところが日本の会社ではそういう慣習がないので(一部の公務員にはあると聞いたが詳しくは知らない)、ピンとこない。そこでホテルのフロントに泣きついてホテルの日本語(日本語だと何が書いてあるかわからないので非常に便利)のスタンプを押してもらったことが何度かある。宿泊したのは間違いないし、到着日と出発日だって確認せよといえば嫌とはいえない。嘘ではないからだ。
復習のために否定の話をしてみよう。存在の否定には生格が来る(Места нет.〔空きなし〕というのは知っていると思う。補語(目的語)を取る動詞で、желатьも補語として基本的には生格を取ると言うのも抽象的なものは生格という考え方がロシア語にはあるからだ。Удачи!〔うまく行くといいですね、Good luck〕、Спокойной ночи!と生格になるのはЖелаю/Желаемが省略されていると考えるとよい。無論желатьでは稀だが、具体的な補語を取る時は(Что вы желаете?ぐらいか)対格を取る。「求める」という意味のпроситьでは30年ぐらい前の参考書では具体的な補語を取る時は対格を、抽象的な補語のときは生格をと書いてあったが、いまはみな対格で統一されつつあるらしい。このようなロシア語の発想を覚えておくとよい。
 現在の動作の否定はというと、個人的な考えだが、新規なものを否定するということで不完了体現在形を使うのが普通である。「分かりません」はЯ не понимаю.という。ところが一歩進めて、不可能の場合はというとЯ не пойму.と完了体未来形が出て来る。これは前回の例示的用法の発想だろう。可能・不可能についてはмочь, смочь, уметьで表すのが普通だろうが、この違いについては別に書くこともあろうし、初級文法書でもある程度は説明しているだろう。Я не пойму.は未来の完了の否定ではなく、「(現在)理解できない」とか、今風に言えば「わけわかんない」ということであり、Я не понимаю.よりは意味が強い。
別の例で示せば、「駅の行き方を教えてください」という場合、新しい事柄だから、Скажите, пожалуйста, как пройти на станцию.と完了体の命令形が出て来る。これをやや丁寧にすると(否定疑問文にすると日本語でも「~していただけないでしょうか」とより丁寧になるのはロシア語と似ている)、Не скажете ли вы, как пройти на станцию?となり、これはНе можете ли вы сказать, как пройти на станцию?と同じ意味である。このことから可能・不可能というのに完了体が関わってくることが分かる。ちなみにНе могли бы вы сказать ~?と仮定法を使えばさらに丁寧な言い方になるが、仮定法についてはいずれ取り上げることがあるかもしれない。
設問)「とうとうズィミナーさんはいらっしゃいませんでしたね」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年02月24日 15:24
コメント

今回も考え込んでしまいました。

「とうとう」とあるので完了体を使いたいところなのですが・・・

В конце концов госпажа Зимина не приходила.

としてみました。
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惜しい。3つある正解のポイントのうち二つはクリアしているのですから。感覚的に(理屈ではなく)体の用法がほぼ理解されていると思って間違いないでしょう。momo96のような方はロシア人との会話でも、ロシア語のレベルでも上級だと思います。普通このレベルの人は文法など勉強しなくてもやっていけると考えて、あとはロシア語のサイトや映画を見るぐらいの人が多いのです。でもそれではそれ以上はロシア語はうまくならないと思います。ロシア語は一生勉強です。momo96さんは後は応用するときにぶれがない(確信を持って)使えるよう、理屈をいかに納得するかだと思います。この設問に対する私の考え方もその一つとしてご紹介しましょう。В конце концов г-жа (госпожа) Зимина не приехала.
ロシア語にする場合この設問には3つの注意点がある。一つ目は「ズィミナー」という姓で、これはそれほど珍しい姓ではない。зима(冬)から来ているもので、男性ならズィミーンとなり、生格ではズィミナーとなり、女性なら同じ形でズィミナーとなる。ペトローヴァやイワノーヴァと聞いたら女性だと判断する必要がある。女性の姓は語尾が-а, -яとなるものが多いが、対格は-у, -юとなる。これについては復習することがあろう。
 二つ目は「とうとう、結局」の露訳だが、наконецとв конце концовが考えられるが、前者は Наконец ты вернулся!(とうとう戻ってくれたんだね)というような、肯定的な事(望ましい事)、非常に感情を表に出す場合に用いられ(不満を示す用法もある)、人間が評価を下す動詞や助動詞 (ошибиться, умереть, проиграть, должен, нужноなど)とは普通一緒に用いられないし、完了体過去形(1回の出来事や結果を示す動詞)で使われる場合が多い。в конце концовは事実の確認や気持ちを表に出さないような文でも使われ、不完了体の繰り返しの意味の動詞との組み合わせがより多く(とはいっても、完了体過去形のとの組み合わせもある)、で過去でも未来でも関係なく使われる(つまりより広く使われる)と言うニュアンスがある。思想や考えを表現する場合(論文、演説)には両者の違いがほとんど感じられないが、感情を強く表現する場合(期待、不満など)でも、否定文および否定的な内容の文には普通в конце концовが用いられる。В конце вонцов он так и не напечатал свой роман.(結局彼は自分の長編を出版しなかった)。こういう基本的な副詞(句)の類語の使い分けも和文解釈では重要な事である。これができないとロシア人から外国人のロシア語ということがすぐ分かる。和文解釈入門ではそのうち基本的な類語(動詞、名詞、形容詞、副詞)の使い分けも書くかもしれない(書かないかもしれない)が、当面は体の用法(運動の動詞も含めて)の方がより重要だと思うので、それに重点を置く。以上に述べた理由で設問ではв конце концовを使うことになる。
 3つ目は過去の時制における動作の否定である。完了体というのは新規な事柄を扱うゆえに動詞本来の意味のほかにいろいろなニュアンスがつきやすい。疑問や否定において完了体過去形に出て来るのは「期待」である。設問は「とうとう」という言葉があるために、「待っていたのに」というニュアンスのある文である。その場合は完了体過去形の否定が出て来ることになる。一方「とうとう」がなくて、単に「ズィミナーさんは来ませんでした」と動作の有無の確認である場合は、不完了体過去形の否定が来る。Г-жа Зимина не приезжала.これは過去の時制における不完了体のアオリスト的用法の一つでもある。だからГ-н (Господин) Звягинцев позвонил?とГ-н Звягинцев звонил?では、和訳では同じ「ズヴャーギンツェフさん電話くれた?」でも、前者では期待(電話くれるって約束したのに)というニュアンスがあり、後者は事実の有無を単に聞いているにすぎないことになる。不完了体というのはこのように動詞の語義のみで、ニュアンスのないような用法だと考えてもよい。完了体は新規のものを扱い、不完了体はそうではないという二項対立の考え方でもよい。こういう類の考え方は古いと考える人もいて、動詞ごとに体の用法を究めるというのが現代風の体の専門家の考え方なのかもしれない。ただ和文解釈(会話における和文露訳)という実戦(実践)面を考えると、要はどちらの体を使うかを決めるのが重要であって、会話では即座に決めなければならないので、完了体から不完了体かどちらかに決めますから待って下さいと悠長に研究している閑はないのである。和文解釈入門で書いていることが体の用法を即座にその場で決めるその人の目安になればよいというのが私の考えである。目安はシンプルであればあるほど使いやすいからだ。

Posted by momo96 at 2011年02月24日 23:49

丁寧な解説をありがとうございます。 どっちにするか迷ってしまって今回は投稿をやめておこうかな・・・などと思っていたのですが、やはり回答してみて良かったです。

お察しの通り、私が最後に相談しているのは自分の感覚(勘)なので、迷っても埒が明きません。:)) 「ロシア語は一生勉強」ですね。がんばります。

>完了体というのは新規な事柄を扱うゆえに動詞本来の意味のほかにいろいろなニュアンスがつきやすい。疑問や否定において完了体過去形に出て来るのは「期待」である。

という部分が、私にとっては新たな「納得」でした。

一点だけ質問があるのですが、звонитьと否定の関係についてです。

①Он не позвонил?
②Он не звонил?

これもやはり、期待感をもって尋ねる時は完了体過去(①)を使うとの理解で良いのでしょうか。これもまた感覚で申し訳ないのですが、неがあると、後にзвонитьが来ることが多い気がするのですが・・・

通常、
①Я решила позвонить Наташе.
②Я решила не звонить Наташе.

というふうに使われると思うのですが、意味的に考えると、両方позвонитьでいいように思ってしまいます。それでずっと、неとзвонитьが気になっているのですが、これにはрешитьが関係するのでしょうか?

・・・書いていて分からなくなってきました。「納得」の仕方を教えていただけると有り難いです。
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これは難問です。あまり例外という言葉は使いたくないのですが、このпо-という接頭辞を持つ動詞は前にも書きましたが、一回の動作を強調する動詞群(просить, целовать, дарить, пытаться, рекомендовать, здороваться, мешать, прощаться, желать, думать)で完了体、不完了体の意味が接近するため、これらの動詞群は通常不完了体のほうがよく使われ、過去で完了体が使われるときは近接過去(~したばかりだ)というニュアンスが強く出るとРассудоваは書いています。Мы здоровались.といえば、今が午後3時ぐらいだとして、朝に挨拶したぐらいで、たった今という感じではありません。これ以外ではあえて完了体を用いるのは、わざわざニュアンス(期待)をもたせるためと考えざるをえません。お書きのようにこの動詞はзвонитьと普通は不完了体が出てくることが多いのです。それは日常では動作の確認(電話したかどうか)の場合が多いからと思われますし、お書きの例文では否定には不完了体という一般的な意識が働くためとも思われます。この回答で満足されたとは思えませんが、私も研究する立場ではなく、実践している立場のものですから、専門家(大阪大学の林田教授や、ご専門ではないでしょうが上智大学の原求作教授)の意見を聞かれたほうがいいかもしれません。
P.S.
「あす彼に電話します」という文は、単一動作の事実の伝達という、まったく完了体未来形そのものという感じで、Я позвоню ему завтра.となります。ところが、不完了体を用いてЯ буду звонить ему завтра.というのでもよいのです。不完了体を用いれば、過去の動作の有無の確認から生じたと思われる意向(~するつもり)という風にも理屈付けはできます。この二つの文を比べると不完了体のほうが口語的とされます。позвонилとするとたった今電話したと書きましたが、自分のノートを見直したら、Только что звонил Костя.という文を見つけました。まあ事実の有無の確認とтолько чтоがくついいただけと自分を納得させています。和文解釈入門の趣旨は、できるだけ一般的な例(例外をできるだけ書かない、書いてもめだなたなくする)を中心に、和文をロシア語にする際の目安を提示するというものです。ですからここに書いたようなことは、初めから書けばよいのでしょうが、混乱させるだけで学習者にとって虻蜂取らずになります。基本を押さえたら例外(なぜ例外というのが生じるかと常に疑問をもtことが大切です)を学習者が自分でやればいいと思っています。体の用法については私も日常でロシア人と話す分には不自由はしませんが、完全な理解からは程遠いと思います。ただなぜ完了体と不完了体で使い分けるのかという本質的な部分は、実用的な意味でなんとなくわかったような気がします。それを特に初級から先に進めないで、ロシア人と会話でロシア語が使えない人に少しでも役立ちたいというのが私の考えです。ですからmomo96さんのような上級の方には物足りないかもしれませんが、なにか質問があればご遠慮なく聞いてください。分かる範囲で答えます。質問の答えをまとめるだけで随分こちらの勉強にもなります。
P.S.P.S.
Вы будете выходить?は使わないと書きましたが、細かくいえば使わないこともないのです。意向の意味ですが。ただ例としては少ないと思いますし、Вы выходите?と予定の文が通常来るのは間違いないと思います。こういう例外も一応書いておきます。他の方で疑問ないしは興味をお持ちの方もいるかもしれませんから。

Posted by momo96 at 2011年02月25日 11:23

丁寧にご説明いただきありがとうございます。

<по-という接頭辞を持つ動詞は完了体、不完了体の意味が接近するため、これらの動詞群は通常不完了体のほうがよく使われ、過去で完了体が使われるときは近接過去(~したばかりだ)というニュアンスが強く出る。

というところで、スッキリした部分があります。
こちらはがんばって完了体を使っているのに、ネイティブが不完了体でサッと済ましていることがたまにあるからです。よく注意していませんでしたが、おそらくご指摘していただいたような動詞の類だと思います。

やはり一見簡単そうな動詞が手強いようです。Только что звонил Костя.には苦笑あるのみです。:))

とりとめのない質問にご対応いただき、ありがとうございました。たいへん参考になりました。

Posted by momo96 at 2011年02月25日 20:32

>抽象的なものは生格という考え方がロシア語にはある
おぉ、これは作文の際の目安になります!
覚えておきます。

>наконецとв конце концов
両者にはこういう違いがあったのですね。
勉強になります。

Posted by コーシカ at 2011年02月26日 00:02
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