2012年05月30日

●和文解釈入門 第376回

「幕末日本探訪記」、ロバート・フォーチュン、三宅馨訳、講談社学術文庫、1997年
英国人園芸学者フォーチューン(1813~80)の日本滞在記。外交官とは観点が違うのが面白い。彼は1860年に鎌倉の大仏を訪れているが、シドモアが描いたような大仏に対する外国人による不敬な行為の記述はない。もっともその頃は攘夷の時代で生麦事件など外国人が殺害される事件が多発していたからそのような不敬なまねはしなかったろうし、当時日本に来ていた外国人は観光客ではなく、役人か軍人だということもある。大仏の胎内に15メートルほどの礼拝堂があったというが、現在胎内に入ることはできるものの、このような御堂はない。鎌倉の大仏で今の観光客がよくするのは、当時の外人がしたように御手によじ登るのではなく、手乗り大仏の写真を撮るくらいだから可愛いものである。フォーチュンの本には駄馬が草鞋を履いている絵が載っている。日本に蹄鉄がちょうど入ってきたころである。シーボルトが二度目に来日した時に、シーボルトの留守中無断で何かの植物を持ち去り、あとでシーボルトともめたというシーボルトの長男の話がある。学術上の功名争いかもしれない。本書はソメイヨシノで有名な染井村の盆栽売買の様子など興味深い。

「オイレンブルク日本遠征記」(2巻)、中井晶夫訳、雄松堂出版、1969年
 著者は不明だが、第5章以降、つまり本書の2/3は随員のベルク(1825~1884)の作とされるプロイセン使節一行の公式記録。1860年オイレンブルク全権公使(1815~81)、フォン・ブラント(1872年から駐日公使、1835~1920)、画家のベルク、スケッチ画家のハイネ(1827~85、ペリーの日本遠征にも同行した)、リヒトフォーヘン(1833~1905、近代地理学の祖)他というメンバーで条約交渉を行った。ドイツ人の性格もあり、非常に細かく具体的に当時の状況などを述べていて、通貨問題などは特にわかりやすい。当時の江戸観光案内としても使える。通訳には森山多吉郎がメインで、福地源一郎は買い物の手伝いなどしていたようだ。堀田織部正の切腹(安藤対馬守との確執とも言われている)やヒュースケンの臨終の様子は痛ましい限りである。犯人は薩摩藩士の伊牟田尚平らで、彼は1868年京都において別件にて詰め腹を切らされた。江戸の後長崎に寄港し、ポンぺ、フォン・シーボルトや松本良順と親しくし、松本は離日の際漢詩を作って贈った。

設問)「絶え間ないひどい目のかゆみがありますか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年05月30日 06:28
コメント

У вас есть непрерывный сильный глазной зуд ?
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正解です。У вас есть постоянный мучительный зуд в веках?
目のかゆみというのは眼球自体がかゆいのではなく、瞼の裏側と眼球の表面を覆う結膜が炎症を起こして起こるというが、日本語同様глазной зуд, зуд глаз, зуд в глазахという表現はある。私の答えはロシアの医学書にあるもの。

Posted by ブーチャン at 2012年05月30日 07:14

У вас глаза постоянно сильно чешутся?
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正解です。

Posted by Ml at 2012年05月30日 16:52

Бывает ли постоянный, сильный глазной зуд?
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正解です。こういうように不可算名詞は必ず単数だというなら、ロシア語も楽なのですが。

Posted by メイ at 2012年05月30日 21:52

Вы испытываете непрерывный сильный зуд в глазах.
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正解です。他の方々とは違う語結合ですが、こういういろいろな語結合を見つける努力も語彙を増やすためには必要なことです。

Posted by asuka at 2012年05月31日 02:02
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