2012年04月25日

●和文解釈入門 第341回

未来時制における第300回のb) 意向の提示(「意向」改め)という用法については、やや誤解を招きかねないというか、実際に使うに当たって、その指針に曖昧な点があるように思われるので、整理して書いて見る。

 対象になるのは未来時制における単一(繰り返しではない)の動作の伝達である。完了体未来形を用いるのが一般的と思われているが、これに不完了体未来形(быть動詞の未来形 + 不完了体不定形)の組み合わせを用いることができる。ただ完了体未来形と不完了体未来形と用法の違いというものはある。そのときに考えなければいけないのは、不完了体そのものの特性である。この意向の提示という用法は過去の時制における動作の有無の確認という用法から発展したものだが、過去時制で広く使われるこの用法は、未来時制においては使用の制限があるということをまず理解してほしい。これは文脈だけに依存するのではなく、動詞の語義にも関係するのである。同じ文でも過去時制に事実の有無の確認に不完了体が用いられる場合、未来時制では体が入れ替わることがあるからである。(私は教授に会った)Я видел профессора.と(教授に会います)Я увижу профессора. や、(私は彼の意見を知っていた)Я знал его мнение. と(彼の意見を聞いてみます)Я узнаю его мнение. などである。

a) 未来時制の動作の有無の確認(動作の名指し)に使える不完了体動詞(動詞の語義による)
 この用法が使えるものは、まず第一に、無接頭辞単純動詞(гулять, делать, жить, играть, писать, пить, строить, читатьなど)である。これらは比較的自由に使える。第二は動作の過程、持続性、延長性を示すことのできる動詞で、語義に瞬時的移動・変化を示すようなものを含むものは使えない。例えば、получатьは具体的なものを受け取る(ないしは「叱られるполучить выговор」など)という意味では、動作が一気に終わる(過程ではない)のでこの用法は使えないが、特典を得る、交付を受けるというようなある程度過程のニュアンスがある語義の時は使える。даватьは過程の意味では用いないのでこの用法には使えない。захватыватьも未来時制では「つかむ、とらえる」という繰り返しの動作(過程、持続性、延長性を考慮しない動作)を示すのでこの用法では使えず、完了体のзахватитьを使う事になる。

b) 未来時制において動作の有無の確認(動作の名指し)の意味で使えない不完了体動詞
・状態の変化・発生を示す動詞 освождаться, преобращаться, становиться
 未来における過程の意味では使える。
(有料教育はますます高くなってゆく)Платное образование будет становиться всё более дорогим.
・瞬間的に成立する動作 брать, давать, изобретать, находить, получать
・無意識にもたらされる否定的結果を示すもの лишаться, ломать, разбивать, ронять, терять
・繰り返しのきかない単一的動作、意志的、非目的志向動作を示す動詞 видеть, выздоравливать, вылечиваться, погибать, поправляться, простужаться, рождаться, умирать, упадать
・広義の運動の動詞(定動詞・不定動詞のみならず、接頭辞のついた運動の動詞)の不完了体
 始発という概念自体は3つの解釈が可能である。一つは新たな事態の生起で、この意味をは完了体が担っている。もう一つは予定、3つ目は動作の着手という回りの状況や雰囲気により行われるもので、後の二つは不完了体の領域である。
 露露辞典にはпойти/поехатьには別項目を立て、それぞれначать идти/начать ехатьと語義を与えている。つまりидти/ехатьには新たな事態の生起という意味での始発の意味はない。「行く」という一般的事実の意味か、過程の意味だけである。だからбытьの未来形 + идти (ехать)を使う場合に、例えば「薬局に行って来る」(新規の事柄、新たな事態の生起を示す)という露訳に、いきなりЯ буду идти в аптеку. とは使えないのである。これは完了体未来形にしないといけない。(薬局まで行って来る。薬局までは歩いて15分だ)Я пойду в аптеку. До аптеки я буду идти 15 минут. 2番目の文の不完了体未来形は意味の主体を担っておらず、いわば刺身のつまのような用法だから不完了体を使うのである。ただ同じ始発でも予定であれば、それは不完了体現在形で示すことができ、(1時間後に薬局に歩いてゆく)Я иду в аптеку через час.となる。
 при-という接頭辞のつく運動の動詞は過程の意味がないので、この用法では使えないが、(お降りになりますか?)Вы будете выходить? という動作の確認の有無の用法のвыходитьや、(多分、年の暮れはあなたが会社から最後にかえりことになります)Возможно, накануне Нового года вы будете уходить с работы последним. という動詞に文の中心的意味の来ない用法のуходитьはこの用法で使える。

c) 疑問文における動作の有無の確認
 動作の有無の確認というのは、その動作をするかどうか尋ねるわけだから疑問文に出やすい。つまり疑問文で動作の有無を尋ねる(するかしないかを問う)時はこの用法を使うべきだ。これに完了体を使うと、叙想的ニュアンス(期待、懸念など主観的な感情)が感じられる。不完了体は叙実的(事実に密着して,それを客観的に描こうとする)ニュアンスだからである。しかし、実現されていない動作が問題となっている以上、不完了体未来形にも意図というニュアンスが出てくるのは当然である。
(〔地下鉄などで〕下りますか?)Вы будете выходить?
 現実的には地下鉄において動作の有無を尋ねるというよりは、予定のВы выходите?という会話が圧倒的に多い。車両の出口のそばに立っていたら下りるのは当然と考えるのが普通だからだ。
(お座りになりますか?)Вы будете садиться?
(お迎えが来ますか?)Вас будут встречать?
 выходить, садитьсяにしても語義に過程的ニュアンスがあるから用いられるのであろう。

d) 動詞が主体的意味を担わない用法(刺身のつまのような用法)
 過去時制の不完了体ではよく見られるが、未来時制にもある。動詞自体に論理的アクセント来ないような文、つまり文の中に「どのように」というような様態を示す語句か、疑問詞が来れば、意味の主体を担わないという事で不完了体が使われることになる。この用法をよく示すものとしてещёとの組み合わせがある。この副詞があることで、繰り返しを暗示しているわけだから、言外に同じ動詞を二度使う、もっと言うと表面に出てくる動詞は2度目の動詞ということで不完了体が出てくると言う事が言える。これは過去時制においてужеやоднаждыがあれば、動作の有無の確認を補強してくれるのと同じ発想である。
(何に乗ってお出かけですか?)На чём вы будете ехать?
(だれが歌い始めるのですか?)Кто будет начинать песню?
(注意して作文を写します)Я буду внимательно переписывать сочинение.
(まだあなたに反論しますよ)Я ещё буду возражать вам.
(何を変えることができるかさらに調べてみます)Мы ещё будем узнавать, что можно изменить.
(夜もう一度薬を飲みます)Я буду ещё раз принимать лекарство вечером.

e) 両方の体がほぼ同じ意味で使える場合
 平叙文においては不完了体未来形の動作の名指しと完了体未来形の具体的単一動作の実現の区別がつかない場合もある。「彼に明日電話する」をЯ позвоню ему завтра.やЯ буду звонить ему завтра.としたり、「助けてくれるよう彼に頼もう」をМы попросим его помочь нам.やМы будем просить его помочь нам.としてもニュアンスを別にすれば意味は変わらない。不完了体の方が口語的というだけである。しかし単一動作の伝達という行為自体が、一つの点となるような動作(過程を意味しない一気に終了するような動作)が多いために、完了体を使う方が多いようである。単一動作の伝達は文脈によっては意図(意志)の意味になりやすいという事は言えるが、はっきりと意図であることを示したいのなら、собираться, намеренなどを用いた方が誤解が少ない。(建設現場への救急手配はどうするつもりですか?)Как вы собираетесь организовать первую медицинскую помощь на площадку?

 上記のように両方の体が使えるのは、動作が始まって終わるというニュアンスのある動詞である。始まりだけとか、終わりだけを意味するとか、過程を示すような動詞は両方の体はほぼ同じ意味では使えない。писать, обедатьなどは可能である。つまり、第300回の表ではзвонить/позвонитьとписать/написатьの動詞群の中に語義を見る限り、ほとんどが当てはまるということになる。
начать/начинатьとкончить/кончатьのように始めと終わりを示す動詞は、完了体が具体的1回の動作を示し(新しい事態の生起)、不完了体は動作の着手、ないしはそれから派生する意志の用法となり、ニュアンスがかなり変わる。
Завтра я буду писать письмо домой.(書くつもりです)
Завтора я напишу письмо домой.(書きます)

Я кончу работу.(仕事を終える) - 新しい事態の生起。
Я буду кончать работу.(仕事を終えるつもりだ) - 動作の着手ないしは意志の用法。

f) 動作の着手(意志)
 不定的な持続的な過程を示すのであれば、動作の着手にも不完了体未来形が使える。これは不完了体の機能の一つで命令法に現れやすいが、未来の時制でも示すことができる。一人称の場合は動作の着手から派生して意志のニュアンスが出やすい。始発といっても、新たな事態の生起ではない、状況に身をゆだねた形での始発である。
(じゃあ集会を始めよう)Ну, будем начинать собрание!
(そう願いたいものですLet's hope so.)Будем надеяться!
(その辞典は近日発売される)Словарь будет продаваться в ближайшие дни.
(問題を出します)Я буду задавать вопросы.
(来月エニセイ川に水力発電所を建設します)В следующем месяце мы будем строить ГЭС на Энисее.
(いただきます)Я буду есть.

g) 未来時制においてесли, когдаに導かれる複文での時間にとらわれない一般的事実の表示
 命令法の促しという用法に似ている。この用法にはa) で使えないとされた動詞も一般的事実の意味ということで用いることができる。例えば、(もしこの方法を使うのが初めてなら、CDをドライブに入れなさい)Если будете использовать это средство впервые, вставьте компакт-диск в привод. という文ではеслиと一緒だと一般的事実の意味が出てくるし、不完了体の未来形では、二つの動作が何ら拘束し合わずに、時間的に共存する動作が名指しされていて、広く使われる用法である。これを完了体未来形にした(もしレバーを右にいっぱい回すと、目盛には緑色が光ります)Если вы повернёте ручку направо до отказа, на шкале вспыхнет зелёный свет.では、повернётеという動作が実現してからвспыхнетという動作が成立する、しかも最初の動作と次の動作が(あまり間をおかずに)行われるという動作の順次性が示されている。この使い分けは、二つの文の時間的関係である。次々と動作が起こるのであれば、完了体を続けることになるし、時間的拘束がなければ、если, когдаを含む節ではбытьの未来形 + 不完了体不定形を使う事になる。
(映画館のそばを通る時に、明日の切符を買います)Когда мы будем идти мимо кинотеатра, мы купим билеты на завтра.

 最初に書いたように、この回では未来における繰り返しを扱っていない。上記で使えないと書いた不完了体未来形は繰り返しで使える。(2030年までに喫煙で毎年1千万人が死ぬ)К 2030г. от курения ежегодно будет умирать 10 млн человек.

 体の用法を考えるときに、動作の有無の確認か、予定か、意志かをロシア語で区別することはできるが、動詞の持つ意義によってはその現れ方が偏って出てくることはある。土産店で、「その人形をお求めになりますか?」という問いを露訳するときに、まず誰がその問いを発するのかという問題がある。ついているガイドがロシア人観光客にということなら、Вы берёте куклу? とбратьの予定の用法で現在形が来る可能性が高い。しかし、売り子なら、買って欲しいという期待があるのが普通だから、Вы возьмёте куклу?となるはずだ。しかも、братьの動作は「買う」という意味というよりは、動詞の持つイメージから「つかんで持ち去る(「もらう」と訳した方が日本語の口語的なニュアンスが出るかもしれないが)」という一点となる動作なので、この語義でのбратьをレジでの支払のときにВы будете брать куклу? というようには使えないだろう。レジに品物を持って来て、売り子が単に動作の有無(買うかどうか)を尋ねることは普通あり得ないからだ。同じ「買う」でも、レジでの支払いのときなどではなく、「車を買いますか?」のように買い物全体という過程的・持続的なニュアンスが感じられるときに使われるとすればбудете брать, будете покупатьも使える。покупатьは不定法の場合は不完了体不定形でも完了体不定形でも同じような頻度で使われる動詞であるが、予定の意味で現在形は使わないようである。似た意味で、заказыватьは予定の意味でも使うし、Вы будете заказывать краски?(塗料を注文なさいますか?)と動作の有無を尋ねるときもよく聞く表現である。
これまでは文脈による体の用い方の違いだったが、このように動詞の語義と文脈によってどの体を用いるのかという新しいアプローチにも慣れてほしい。ただこのやり方は、無意識に、あるいは正しいかどうかという自覚なしに投稿者の皆さんはすでに使っていると思われる。

設問)「ヴィクトル・ニコラーエフ様、チェックインカウンターの方へお越しください」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年04月25日 07:52
コメント

Пассажир Виктор
Николаев, вас просят
подойти ко стойке
оформления билетов
и багажа.
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к стойкеと訂正すれば正解です。ただ設問は必ずしも空港とは限りません。ホテルかもしれません。私の訳は、Господин Виктор Николаев, вас просят подойти к столу регистрации.
ガイドをしているときに、迷子になった客の呼び出しなどに使える。

Posted by ブーチャン at 2012年04月25日 09:31

上記ご説明の部分は体の用法の中でもかなり難しい部分ですね。設問の回答を出すだけでこんなに時間がかかっていては会話どころじゃありません。さとうさんがフォローして下さっているようにたまに自覚なしで使えたとしたら、それはエイヤッ!の確率でしょう。

Внимание! Господин Виктор Николаев! Просим направляться к стойке регистрации!
動作への着手の不完了体を使いました。
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不定法における動作着手の用法は叙想語(можно, надо, должен, нужно, пора)とともに使われるのが普通で(叙想語がない場合で使われるのは、実質的に叙想語を省略したようなМне ехать.などで)、お答えのように主体的な動作を担う動詞が他にあるような場合は、単一動作の伝達という用法になります。設問も単一動作の伝達で、направлятьсяと不完了体は来ないでしょう。不完了体が来るとしたらすでに言及された動作を名指す(刺身のつまのような用法)か、疑問詞などとの組み合わせにより動詞自体に意味上のアクセントが来ない場合に使われます。この場合は具体的にチェックインカウンターに来てほしいということ行っているのですから、完了体でないとおかしいわけです。こういう不定法で不完了体が来るのは、第338回の回答で示したидти, делать, ехать, выходить(動作の名指し)ぐらいです。направитьсяというのは、「向かう」ということですが、チェックインカウンター来て(着いて)もらわないと困るわけです。
 一方日本語では似た言葉のподойти/подходитьについてですが、これを「接近する」とだけ理解していると、それは間違いです。прибыть/прибывать куда-либо という意味でよく使います。4巻本の露露では口語的用法になっていましたが、最近出たアカデミー版の露露では、口語的という記述がないですから標準語法として確立したのでしょう。同じくподходить к телефону = сняв трубку, отвечать на телефонный звонокとありますから、電話に近づくのではなく、「電話に出る」と訳さなければ間違いいうことになります。

Posted by メイ at 2012年04月25日 22:16

Господин Виктор Николаев, подойдите пожалуйста, к стойке приёма.
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文法的には完璧です。チェックインはприём(受付という意味はありますが)ではなく、регистрация(登録という意味で)を使うべきです。語彙は瑣末です。間違いが納得できれば、すぐ覚えます。問題は体の用法で、語の選択、語結合で、それについては今回も問題はありません。

Posted by asuka at 2012年04月26日 01:30

Господин Виктор Николаев, просим вас подойти к стойке регистрации.
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正解です。

Posted by Ml at 2012年04月26日 02:11

Уважаемый Виктор Николаев! Подойдите, пожалуйста, к стойке регистрации.
よろしくお願いします。
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正解です。ただуважаемыйは呼びかけでは使わないようです。よくレストランでボーイにУважаемый!のように使うのを聞くことはあります。最近はソ連時代のТоварищ!を俗語化したような感じで、あまりいいニュアンスを持たないというロシア人もいます。

Posted by 雪のかけら at 2012年04月26日 04:57
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