2011年11月20日
●和文解釈入門 第184回
山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫、1997年)に哲学叢書や翻訳文学の影響で日本語がだめになったというところがある。哲学叢書は訳語の定義を徹底すると、新たに用語を作らざるを得ないと考えたのか、定立、措定など一般的な日本語ではない言葉を使ったことが日本語を悪くしたということらしい。ドイツ語原文では分かりやすい言葉で哲学を説いているのに、日本語では難しく言うことがあたかも高邁な説を言うという誤解が行われており、これが博士論文などの日本語にも反映されているのかもしれない。定義を明確にするために哲学用語を新たに作るという安易な方法が日本語を毒したと言えないこともない。
翻訳文学については、奴隷的逐語訳という言葉を使い、大正年間はトルストイの翻訳の、昭和に入ってはドストエーフスキーの翻訳の影響があるという。つまり訳者である米川正夫、原久一郎、中村白葉は原文に忠実なあまり、また文法的に正しくありたいあまり、日本語のリズムを失ったとある。しかし、ロシア語も知らない人がどうしてこう言い切れるのか理解できない。誤訳についても「カラマーゾフ兄弟の翻訳をめぐって」(大島一矩、米陽出版社、2008年)で詳細に比較検討しているからこういう人が云うなら話は別だ。文法に関する理解が現在より進んでいなかった当時、誤訳がないとは言い切れないはずだ。ロシア語が分からないなら、単に日本語として読みにくいと書けばよい。
ただ、暮らしの手帖の編集者の花森安治の述べたという「英和辞典に出ている言葉は日本語だと思うな」というのは、大いに参考になる意見である。辞書の訳はあくまで参考であり、それに基づいて文脈による日本語らしい日本語を書くのは当然であり、それには日本語の文章修行が必要である。辞書の編纂者だって全ての文脈に即した訳語を提供できるはずもないし、語義をできるだけ分かりやすい日本語で伝えることに努めているのは当然である。文章修業というのは、語学以前というか、あるいは平行して個々人が勉強しなければならないものである。
文章の達人とも言える丸谷才一の「文章読本」(中公文庫、1980年)にも、「美文というのは多義性、つまり曖昧ということが情緒を生む」、「たとえば、過去のことを述べる場合にもところどころ現在形を混ぜるのはすこぶる有効な手だろう。日本語にはもともと欧文ふうの厳密な時制の習慣はないのだから、これでいっこう差支えない場合が多いし、情景はむしろいっそう鮮明にさへなるかもしれない」とか、「〔だった〕、〔あった〕、〔行った〕と文章の終わりの音がみなそろう直訳風の文章の欠点」、「〔である〕づくめを止める」と述べ、体言止め、文語体、口語的口調の混用だって効果もあるかもしれないと述べているのは日本語の文章を書く上で大いに参考になる。
話がややそれたので元に戻すと、山本の言わんとすることは分かる。この3氏の翻訳を読んだことがないので、この3氏に対しての批判は避けるが、トルストイやドストエーフスキーは著作集のそれぞれ20巻ずつぐらいは原書で読んだが、結構読みやすかった記憶がある。それを活かしきっていないのなら、それは翻訳の問題だと言える。もっとも読みだしたのはロシア語を始めてから20年ぐらいしてだから、大して自慢にもならない。名作というのは難解だから読むのではなく、名作そのものが読者を惹きつけるのだと思う。Платонов, Пелевинを読むのを最初の10ページぐらいで自分が飽きるのは、文体の好みもあるのだろうが、トルストイやドストエーフスキーなどと比べると作品自体のレベルが落ちるのだろうと思っている。
設問)「何年生まれですか?」をロシア語にせよ。
V kakom godu vy rodilisj ?
Kakov vash god rozhdenija ?
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最初のは正解です。二つ目は文法的には可能ですが、こうはまず言わないでしょう。私の答えは、Какого вы года рождения?
これは生格の述語的用法と呼ばれるものでкакого размера эта комната?(この部屋の大きさはどのくらいですか?)などがある。Когда вы родились?(いつお生まれになったのですか?)でもよいが、口語では私の答えのように尋ねるのが普通である。родилисьは完了体過去形であり、文脈によってはアオリストもあるが、一般的には結果の現存(存続)の用法である。生まれた以上死なない限りは生きているということである。Он умер.(彼は死んだ)も死んだ状態が続いているという意味で、結果の現存である。Он мёртв.としても意味は変わらない。Он умирает.というのは、歴史的現在でなければ普通は「彼は死にかけている」という過程の意味にとるのが普通である。
外国語が上手くなりたいのなら、まずは自分の日本語(母国語=国語力)能力を高めよ!と学生時代に先生からしつこく言われたことを思い出しました。
「文章修業というのは、語学以前というか、あるいは平行して個々人が勉強しなければならないものである。」 ←ごもっともでございます。
В каком году вы родились?
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正解です。
①В каком году вы родились?
②Какого года вы родились?
③В какой год вы родились?
正規に習ったのは①ですが…
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1番は正解ですが、それ以外はこうは言わないでしょう。