2011年09月30日
●和文解釈入門 第133回
設問を作るときは、ロシア語か日本語かは別にして、動詞句が浮かび、それを訳してみる。それが自分の和露の語彙集(すでに75,000項目を越えた)にあれば、その文例を使う。なければ使わず、別のを考える。私の語彙集の文例はソ連ロシア文学(エッセー、歴史、記録文学など)や通訳の現場でロシア人から聞いたものなどからこの40年間に拾ったものである。だからこのコーナーの設問に対する私の回答は、自分の想像で作ったものではないので正しいと自信を持って言える。投稿される回答に対する私のコメントは、正答、意味は分かる、間違いの三つに分けている。意味は分かるというのは、文脈によってはとか、ロシア人はこうは言わないだろうし、自分もこういうロシア語は使わないが文法的には正しいものという意味である。日本語で言えば、「私には子供がいる」と「私は子供を持っている」というような感じか。間違いというのは語法的(文法的ないしは語結合の)誤りで、分かる範囲で間違いを指摘している。すべて私の判断ではあるが、この指摘がおかしいと思うときは、遠慮なく連絡願いたい。私の指摘が間違っていれば、当然その旨訂正して、お詫びする。
可能性や能力というのはмочьやуметьを使わなくても表現できる。「ロシア語が話せますか?」をВы можете говорить по-русски?やВы умеете говорить по-русски?とする必要はない。Вы говорите по-русски?が普通である。このように不完了体を用いて表現できる。「彼は全部で500 kg持ち上げられる」もОн поднимает в сумме 500 кг.となる。これに完了体未来形を用いることもでき、Он поднимет в сумме 500 кг.となる。和訳は変わらないが、ニュアンスの違いは不完了体の方は彼が500 kg挙げた事があるという知識に裏付けされているが、完了体の方はその日彼の姿を見た印象で大丈夫挙げられるなという感じであり、例示的用法と呼ばれるものである。
設問)「彼は見かけほど単純ではないという気がしてきた」をロシア語にせよ。
Постепенно
становится думаться,
что он не столько
простой как по
внешностям.
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二つ問題があります。一つはстановиться думатьсяという語結合です。会話ですからこういう回りくどい言い方は問題だと思いますがですが、発想的には正しいと思います。「気がしてきた」や「気がしつつある」という場合、考えが形成中かどうかということです。形成の途中であれば形がまだ現れないわけで、考えという形をとっていないことになります。ところがロシア語のシノニムの辞典の考えでは、気がしてきたというのは、すでにそういう考えが固まったものが入ってきていると考えるのです。もう一つはне столько... сколькоという結び付きですから、какではおかしいように思います。私の答えは、Я начинаю думать (считать), что он не так прост, как кажется.
「~という気がしてきた」は「リンゴやバナナ、牛乳などをジューサーで混ぜている」という過程とは違う。撹拌の後、結果としてミックスジュースが出来るのだが、「~という気がしてきた」ではある考えがすでに存在するのである。「~という気がしてきた」というのも一見過去形だが、まとまった一つの考えが頭に入ってきたという意味では現在完了である。不完了体のначинатьがдумать, считатьと結びついて、一人称ないしは意見の主体が主語に立つ時は、たんなる心の状態の始まり(意見の形成)を示すのではなく、前の意見の変更に関わる意志的な行為を示すとシノニムの辞典にはある。つまりначинаю думатьもначинатьの後の不定形が過程(~と考え始めつつある)を示すというよりは、「もうすでにそういう考えに変わった」というニュアンスであり、そういう考えの確信が高まって行く過程を不完了体現在形で示しているにすぎない。断片的な(部分から成る)意見というものは、それだけでは意味が不明であり、それは意見というのは一つのまとまりであって、ある意見が部分的に分かるというのはまさに一知半解を意味するのだと思う。
Мне стало заметно,
что он не так простой
как мы судим по
его поверхностям.
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これだと「~という気にすでになった」という意味で設問と違います。またповерхностьは外面や表面という意味で、外観という意味では使わないと思います。
今回の設問は「気がしてきた」をどう訳せばいいのかだと思うのですが、日本語でも
「~し始める」しか思いつきませんでした。
①Он начинает казаться менее простодушным, чем по внешности.
②Мне становится ясно, что он не так прост, как кажется.
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両方とも正解としたいのですが、始めのほうのначинать казатьсяでこの意味が出るかというと出ないと思います。しかも三人称となると(意味上は私が主語であることは分かりますが)どうでしょう?二つ目は作った文という感じです。日本語でいえば、「~ということが私には分かりつつある」という感じです。ただчто以下は素直な発想でロシア語らしくて満点です。これは見かけよりもはるかに難しい問題です。発想的には正しいと思いますので、начинаю думатьとすれば文句のつけようがなかったと思います。